8 こけし……?

 私は看護師が、老人ホームのお祖母さんの居室の、暖房の裏側から取り出したそれに衝撃を受けた。


「こけし……?」


 子供の頭を模した球と胴体となる円柱がくっついた木製の、いわゆるこけし。日本の伝統工芸品の一つ、なわけだが……。


 そこにあったのは、人差し指と同じくらいの長さの小さなそれだ。

 柔和そうに目を細めた、おかっぱの女の子が描かれている。


 看護師はそれを貴重品棚の中に仕舞った。


 何をしているのだろう……?


 お祖母さんが私を手招いた。お祖母さんは視える人だ。


「モモコちゃん、覚えてる? このこけし、娘の出産祝いのために私が作ったの。モモコちゃんが助けてくれたから私は娘に会えたの……」


 お祖母さんから、『モモコちゃん』という人が五年前に不運な事故に遭い絶命したお祖母さんに、からだを明け渡してくれたことが語られた。


 つまりお祖母さん本人の名前はモモコさんであり、目の前にいるのはお祖母さんの友人であるサクラさんの魂だという。


 サクラさんが風呂場で転倒し亡くなった翌日は、サクラさんの娘の出産予定日だった。


 サクラさんは娘に手作りこけしを贈るつもりだった。

 事情を知ったモモコさんはからだを譲り渡し、サクラさんは死後にこけしを完成させることができた。


 しかしその直後、サクラさんの娘はお腹の子供と共に殺害されてしまった。幸せそうなサクラさんの娘に嫉妬した元カレが殺し屋を使ったのだ。


 では、こけしは届けられなかったのかというと、そんなわけでもなかった。


 貴重品棚に鍵をかけて、振り返った看護師がお祖母さんに微笑みかけた。


「お母さん、ちゃんと仕舞ったよ。もうすぐ、私たち成仏できるよね……」


 私は合点がいくと同時に力が抜けて「ああ……」と吐息を漏らした。


 その看護師は幽霊だった。そして、サクラさんの娘だった。

 それだけではない。その老人ホームで働く職員、利用者は、お祖母さんを除いてみんな未練を抱えてこの世を彷徨う幽霊だった。


 今までまったく察知できなかったことが不思議なくらいだ。

 未練があまりに強く実体化した霊だったからかもしれない。多分。きっとそうだ。霊魂が実体化する話ネットで見たことあるもん。


 そこに、コンコン、と個室の扉を叩く音がした。


「はーい」と看護師さん――サクラさんの娘が応じる。


 入室したのはお祖父さんと孫娘だ。後ろに殺し屋の三枝サエグサさんも守護霊のスグルさんもいる。


 お祖父さんが意を決したようにお祖母さんに向かって、溜まりに溜まった想いを吐露した。


「わしはモモコに会いたい……どうしても……。どんなに喧嘩しても、モモコを……愛してるんだ……」


「ふふ」とお祖母さんは春そのもののような長閑な気配を湛えて笑み、青空を仰いだ。


「……これでようやく、私の未練は消えたわ。モモコちゃんによろしく……」


 お祖母さん……サクラさんが成仏する瞬間、殺し屋の彼が車椅子のお札を剥がした。


 少女の霊が飛び込んできた。モモコさんだ。


 サクラさんがすっかり成仏すると同時に、静寂が降りた。周囲の看護師、スタッフ、施設の入所者も一斉に成仏したのだ。


 私は、もとのモモコさんの魂が、お祖母さんのからだにするりと滑り入ったのを見た。


 お祖父さんと少女は目を見張った。

 卓さんは微妙に気不味そうな顔をしていた。三枝さんは終始飄々としていた。


 モモコお祖母さんが「ただいま」と素っ気ない響きを発した。


「お祖母ちゃんっ!」と孫娘が抱き着く。


 お祖父さんも「よかった……」と安堵の息を吐き、それから「そうか……サクラちゃんだったのか……」と苦々しく唸った。


 モモコお祖母さんが部屋をきょろきょろと見回した。

 何故か卓さんが顔を強張らせたが、私は構わずお祖母さんに話しかけた。


「あの、何か探してらっしゃるんですか?」


「ああ……こけしよ。サクラちゃんが残していってくれたと思うのだけど」


「それここですよ」


 私は貴重品棚を指差した。

「ありがとさん」とお祖母さんが妙にご機嫌に、こけしを取り出した。


 これってサクラさんの娘さんの出産祝いじゃなかったの? というか、結局、何でこけし……?


 突然の行動に戸惑うお祖父さんと孫娘の前で、モモコお祖母さんはこけしの頭を撫でた。

 そして、きゅぽんっとこけしの頭部を外す。


 マトリョシカのようにこけしの胴は筒状で、なかに何か長方形の黒い板のような……。


「それ……」私は驚愕した。三枝さんは終始飄々としている。


 モモコお祖母さんは「ちゃんと録れてるといいけど」と唇の端をにっ、と吊り上げた。


 それは親指サイズの小型ボイスレコーダーだった。


 モモコさんはどうしてもお祖父さんの「愛してる」という言葉を聞きたかった。一生に一度の願いだった。

 だが、直接それをお祖父さんにねだるには流石に長年連れ添ったからこその照れがある。


 サクラさんはそれを察して、気を回して協力したのだ。

 サクラさんの未練は、自分にからだを貸してくれたモモコさんへの恩返し。それを叶える絶好の機会。

 お祖父さんの「愛してる」をモモコさんに残せるよう、娘と画策した。


 この施設の看護師もスタッフも入所者も総出で協力し、ボイスレコーダー入りこけしをお祖父さんたちにバレないように、家具のあちこちに移動させていた。


 卓上ランプやテレビの裏、冷暖房、貴重品棚……。その時に設備が故障しかけたり、こけしの影が映ったりした。

 それが孫娘が目撃したポルターガイスト現象の正体だったのだ。


 お祖父さんと孫娘が動揺を露わにし、少し顔を青褪めさせた。

 何か不用意なことを自分が口にしたのではないかと懸念したのだろう。


 モモコお祖母さんは録音がしっかりされているとわかって満足そうだ。


 私は唖然とした。


 守護霊の卓さんが諦め混じりの困り顔。

 ――卓さんは、そして三枝さんも、ここに来る前から真相を知っていたらしい。


「はいはい、これにて一件落着。何はともあれ円満解決したので撤収」


 三枝さんがパチンと軽快に手を打って、強引に場を収めた。





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