拾四

 裁判所のロビーで、小泉君は私をカバンから取り出しました。

 鶴屋君は病院に直行したので、小泉君と私は二人きりになっていました。

「ホント、すんません! 浮場さん」

 小泉君は申し訳なさそうな顔をしています。ちょうどいいです。私は、彼には聞きたいことがありました。

「あの時は助かったけど、どうしてずっと無視してたのよ⁉」

「それは……その……」

 小泉君は見聞きできるヒトでした。それなのに、どうして土壇場まで私の声が聞こえないふりをしていたのでしょうか? 場合によっては許しませんよ! 新技の影法師で縛り付けてやってもいいんですよ!

「早く言わないと、呪うわよ……」

「すんません‼ 水辺さんに、俺の女に気安く話しかけるなって、約束させられてたんっすよ‼」

「……えっ⁉」

 これは驚きました。しかもチョー恥ずかしいです。聞かなきゃよかったです。小泉君はすごく真面目な人間だったようです。あんな特異な状況においても、ミナベサンとの約束を守ろうとしていたなんて……。愚直すぎます!

「よおっ! うまくいったみたいだな⁉」

『⁉』

 びっくりしました。いつの間にか隣の席にミイラ男が座っています。前よりは包帯の面積が減りましたが、まだまだ全快には程遠いようです。ミイラ男は包帯とパジャマの上から黒い礼服を羽織っていました。袖に手は通されていません。代わりに腕を胸の前で組んでいます。何もしてないくせに、なんか、エラソーです。

「河内山さん⁉ 確か、出禁になってたんじゃないんっすか⁉」

「俺は、法廷には、一歩も入ってないぞ! つまり、そういうことだ」

「はあ……そうっすか」

 相変わらず、胡散臭い男です。それにしても、何しに来たのでしょう?

「レイナちゃん、今、何しに来たんだ? って思っただろぉ」

 私、やっぱりこいつが嫌いです。どうして、幽霊の心を読むことができるのでしょうか? 私が単純なだけでしょうか?

『全部終わったんだから、さっさと私を、除霊でも何でもすればいいでしょ‼』

 もう、じらされるのは御免です。この男はゴーストバスター、つまり、私を祓う以外にここにいる目的は残されていないはずです。すべてが終わった暁には、集一から大金をせびり取って、飲み代にでもするのでしょう⁉

「どうやら、何か勘違いをしているようだな。俺はケリをつけに来ただけであって、レイナちゃんをどうこうしようって気は毛頭ないよ」

「どうゆうことっすか?」

 小泉君も気になって質問をぶつけます。しかし、河内山は、すぐには答えようとせず、物思いにふけっている様子でした。タバコを銜えたかと思うと、私(お札)に手を当て「封・開」とささやき、真っ二つに裂きました。

 次の瞬間、私はお札から解放されて、自由に身動きが取れるようになりました。

「あれ⁉ ――ヤッター!」

 これで再び空中浮遊を楽しむことができます。試しにその場で空中宙返りをやってみました。最高です。幽霊なんですから、これくらいはできなくちゃ、割に合いません。

 私を閉じ込めていたお札は炎を上げて燃え散ります。河内山の銜えたタバコに炎が燃え移ります。ロビーは禁煙なので、無法者がよりよく目立ちます。

「レイナちゃんは実に特異なケースなんだ。ふつう、怨霊に殺された人間が怨霊を呪って幽霊になるなんてありえない。うまく説明できないが、きっと、レイナちゃんだから幽霊になれたんだ。他の人間なら幽霊になんてなれなかった。その証拠に――」

 喫煙者が煙を吐きながら、語りだしました。長くなりそうです。私は私の境遇にはもう、関心がありません。さっさと残りの霊力を使い果たして、成仏するだけです。

「ここは禁煙だぞ。河内山!」

 あっ⁉ 刑事のおじさまです。今度ばかりは助かりました。長い話は苦手です。さっさと、このインチキ男を追い払ってください!




 私の期待を裏切り、刑事のおじさまは河内山を追い払ってはくれませんでした。それどころか彼に何か耳打ちしています。何でしょう? 盗み聞きしてやります!

「水辺の逮捕直前から、なぜか行方不明になっていたDNA鑑定の結果報告書がやっと見つかった。遺体から検出された体液は、やっぱりアイツのものに間違いない――」


「……へっ⁇ ……えええええええっ‼」


 いったい、どういうことですか‼ 

 誰が、私の死体に、何をしたというんですか⁉ 

 キモすぎます! 戦慄を覚えます‼ もう生きていけません! あっ、もう死んでいたんでした。

 と・に・か・く、許せません‼ やった奴を地獄に落としてやります‼ 


「……アイツって……誰ですかあああああ‼」

 私は近くにあった椅子や、机、掲示板、傘立てなどを浮き上がらせました。怒りで体がコントロールできません。地震並みのポルターガイストです。揺らせるものなら手あたり次第、力の限り揺らしまくりました。バーサーカー状態です。もうわけが分からなくなってきました。

「なんだ⁉ この騒ぎは⁉」

「聞かれちゃったかぁ……。まずいなぁ……」

「ちょっとっ‼ 河内山さん! どうにかしてくださいよ‼」

 突然の心霊現象に、驚きを隠せない刑事のおじさまと小泉君をよそに、河内山は落ち着いていました。

 浮かしたり揺らしたりするだけでは飽き足らない私は、所かまわず、大量の鬼火を投げつけます。

 あっ……やってしまいました。そのなかの一発が、ロビーの端を歩いていた、見覚えのある男に直撃します。

 善良な第三者になんてことを……。

「きゃあああああ‼」

 次の瞬間、私は床に落下しました。それどころか、身動きが取れません。この感じ、お札に封印された時の感覚に似ています。でも、今の方が、比べ物にならないくらい、苦しいです。お痛が過ぎた私を、河内山が除霊しているのでしょうか? 

「ついに本性を現したな! この悪魔め‼」

 河内山が、いつになく勇ましい声で私を罵倒します。でも、ちょっと酷くないですか? 取り乱して暴走してしまったのは悪かったですが、悪魔呼ばわりすることはないでしょ!

 成仏する前に一言文句を言ってやろうと、私は床をはいずりながら、河内山の顔を覗き見ました。

 河内山は両手を忙しなく動かしながら「リン・ビョウ・トウ・シャア・カイ――」と呪文のようなものを唱えていました。表情も真剣そのものです。

 私に二度目の死が訪れようとしています。集一……今度こそ、さよならです。


「ひゃはははははっ‼ 死ね死ね死ねっ‼」

 

 あれ? 

 今の物騒な声は、いったい誰でしょう? 小泉君? いいえ、彼は河内山の横で、手を合わせながらうずくまっています。刑事のおじさま? いいえ、おじさまは携帯していたピストルを構えて、口を真一文字に結んでいます。

 では、おじさまは、誰にピストルを向けているのでしょうか?

 振りかえった先で、私は恐ろしい光景を目にしました。

 ついさっき、誤って鬼火を命中させてしまった男が、仁王立ちしています。その周りを、黒い靄の塊が滞留しています。

 男は目を赤く光らせていました。右手には五寸釘が握られており、左手は大量出血で、どす黒く染まっていました。どう見てもこの世のヒトとは思えません。しかし、私はこの悪魔のような男に、見覚えがあります。

 確か……?

 小泉君が男を指さして、「お前は! さっき法廷にいた……」と言っています。

 裁判を傍聴していたこの男が、悪霊を操り、集一を犯人に仕立て上げた、一連の事件の黒幕のようです。

 この男は確か……?

「おっ……大家さん⁉」

「はーい。当たりでーす! 大人しく成仏してればよかったものを、余計なことをしやがって‼ 今度こそ、確実に、殺してやるううううう‼」

 狂気です! 再び戦慄を覚えます‼ 

 しかし、体の自由がまったく利きません。憎くき、あの男に復讐することができません。何という呪力でしょう。私では太刀打ちできそうにありません。

「そうは問屋が卸さねえぞ‼ 変態呪術師さんよお‼」

 はっ⁉ 河内山さんです‼ 

 そういえばこちらにはゴーストバスターがいたのです。なんて頼もしいのでしょうか!

 河内山さんは呪術師に向かって突進していきます。呪術師は身を翻しながら、血が滴る五寸釘を河内山さんに向けて投げつけます。放たれた五寸釘には黒い靄の塊がまとわりついています。

 河内山さんはひるむことなく真正面から五寸釘を受け止めると「滅!」と唱えました。するとどうでしょう、五寸釘はすぐさま燃え上がり、チリと消えました。

「何なんだよ⁉ お前、何者ダヨ⁉」

「俺は、河内山宗純。しがない幽霊退治屋だ‼」

 河内山さんは呪術師の男を突き飛ばし、馬乗りになると「斬‼」と唱え、男を覆う黒い靄を手刀で切り捨てました。

「ぎゃあああああああっ‼」

 呪術師の男は苦しみもだえながら、悲鳴を上げます。

「人を呪わば穴二つって……お母ちゃんに教わらなかったか?」

 河内山さんは、そう呟くと、男を解き放ちました。なおも男は苦しんでいます。

「殺せえええ! 殺せえええ‼」

「……安心しろ。俺が引導を渡してやる。死ぬ時くらい周りに迷惑かけるなよ!」

 河内山さんは手刀で、呪術師の男の首を切る動作をしました。まもなく男は、力尽きたように、動かなくなります。同時に、私も呪力から解放され自由になりました。

 騒ぎに気付いた警備員が、急いで集まってきます。警備員たちの波に逆行するように、河内山さんは、どっしりとした足取りで、私や小泉君、刑事のおじさまの元に帰ってきました。そして、早速おじさまが質問を投げかけます。

「奴は死んだのか?」

「ああ……レイナちゃんには悪いがアイツは、さほど苦しまずに逝ったよ」

 河内山さんの目は、どこか物悲しそうでした。気が引けますが、私も続けて、質問してみることにしました。

「私は、これからどうなりますか?」

「さっきも言ったように、レイナちゃんは特殊だ。呪いの力でこの世に留まってはいるが、その元凶、つまりさっきの呪術師の呪いが消えちまったんだ。人を呪わば穴二つも成立しない」

「それって、どういうことですか?」

「きれいな体で逝けるってことだよ」

 河内山さんの説明で、すべてが理解できました。全身に散らばっていた蚯蚓腫れのような赤い腫れがみるみる引いていきます。

 私は呪いから解放されたのです。

 傷の消えた私の体は、雪のように真っ白でした。いつかのレイさんみたいです……。

「……私はいつ頃、逝けるんですか?」

「今すぐ送ってやることもできるが、そう急ぐこともあるまい。『呪い』が『願い』に変わったんだ。残された時間を楽しんでも、バチはあたらねえんじゃないのかい?」

 河内山さんは強張った顔を、一瞬緩めたかと思うと、礼服のポケットから真新しい位牌を二つ取り出しました。そのうち、何も書かれていな新品の位牌を小泉君に渡しました。もう一方の位牌にはすでに戒名が入っていました。

「レイナちゃんの新しい依代に使ってくれ。これで依頼については全部片付いたな。……あばよ!」

 河内山さんは私たちに背を向けると、出口に向かって歩き出しました。それを刑事のおじさまが呼び止めます。

「河内山! 今回は報酬をせびらねえのか?」

「今回はいいんですよ、別所さん。俺も死んだ家内と、約束しちまったもんでねえ」

 そう言い残して、河内山さんは裁判所を後にしました……。


 ……それにしても、なんだか焦げ臭いです。

「ああっ‼ ヤバいっすよ! ロビーの椅子にタバコの火が燃え移ってますっ‼」

「あのヤロー‼ 火の不始末ごまかして、逃げやがったな‼ 待ちやがれ‼」

 小泉君が消火器を探し回ります。刑事のおじさまは、鬼の形相で河内山さんを追いかけていきました……追いつくといいですね!

 私の心は、澄み切った春の大空のように、開放的で、爽快でした。

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