拾弐

 どす黒い靄の塊が巨大な女の形に変形しました。

 間違いないです。私を殺した悪霊です。被害者本人が証言するのだから絶対です。

 よくも私を殺してくれましたね‼ 

 それどころか集一にまで手を出そうとっ‼ もう許しませんよ‼

 私は、悪霊にビンタをお見舞いしてやろうとしました。しかし、うまくいきません。私は現在、鶴屋君の体を乗っ取っているのでした⁉ それに加え、お札に封印されていることが影響しているのでしょう。思い通りに体を動かせません。

 体が動かないのは集一も同じようです。集一は、まるで、蛇ににらまれたカエルのようです。 

 悪霊が今にも彼を呑み込もうとしているのに、私は助けに行くことができません。おまけに手足がピクピクします。体の主導権も、鶴屋君に戻りつつあります。このままではヤバいです! とりあえず、集一に逃げてもらわないと……。

「集一!」

 ……だめです。私の声は届いていないようです。


『墜チヨウヨ! 一緒ニ、地獄ヘ墜チヨウヨ‼』


 あいつの声が聞こえます⁉ 

 私の傷が……あいつにやられた時の傷が痛みます。そう、あの蚯蚓腫れのような赤い腫れのことです。でも、ここで負けるわけにはいきません。痛みに反射して、レイさんの声がフラッシュバックします。別れ際、レイさんは「思い出して……最期の願いを!」と言っていました。 

 最期の願い? 私の、私の願いは……。


『……タスケテ……玲奈っ』


 集一の声です⁉ しゅ……。



 思い出しました。

 私も、忘れっぽいものです。そして、私はなんて厚かましい女なんでしょう? 私をこの世に引き戻したのは『願い』なんてきれいなものじゃありません。

 ……これは呪いです。浮かばれない私の……ささやかな、呪いです‼

「集一には……水辺集一には、指一本触れさせないんだから‼」

 次の瞬間、私は鶴屋君の体を離れ、実体化しました。体に力がみなぎります‼ 

 集一はすでに、どす黒い阿婆擦霊の中に取り込まれています。


 ――もう‼ 断じて、許しません‼ 


 体から溢れ出るエネルギーが次々に鬼火へと変化します。私は無数の火の玉を悪霊に向かって投げつけました。今の私は、マンションにいた時よりも格段に強くなっているでしょう。その証拠に、疲れというものを全く感じません。

 死んでから何となく感じていた重苦しい気だるさが、嘘のようになくなりました。そして、全身に広がっている蚯蚓腫れのような赤い腫れが熱くなるのが感じられます。

 この傷こそが、私の恨みです。呪いです。悪霊に殺されて、悪霊を呪って怨霊と化した、今の醜い私に課せられた、魂の鎖です。

 鬼火の多くが悪霊に直撃しました。どす黒い巨大な女のシルエットは、ダメージを受けた個所から順に崩れ始めます。そして、徐々に霧散していきます。なおも私は攻撃を続けます。

「集一から、離れて‼」

 やみくもに鬼火をぶつけていると、ついに、集一の姿があらわになりました。悪霊は最後のあがきとばかりに、一か所に集結すると、触手のように伸びた影法師で、私の両腕を絡めとりました。

 しかし、両腕の自由が奪われても、私の快進撃は止まりません。集一の姿を拝むことができたのです。これほど心強いことはありません。

 私は巻き付く影法師を力ずくで引きちぎると、同じ手法、つまり自分の影法師を操り、悪霊を取り押さえました。

 新技です。影を自由自在に操ることができます。しかも悪霊は私の影を引きちぎることができないようです。きっと私の思いの力が、愛の力が勝ったのでしょう!

 私は動きを封じた悪霊に向かって特大の鬼火を、お見舞いしてやりました‼

 まぶしい燐光と共に、法廷内が無音状態になります。例えるなら、実際入ったことはありませんが、真空管の中といった具合でしょう。

 直後に、シャンシャンという鈴の音が聞こえ、静寂はかき消されました。同時に、私自身も燐光のまぶしさに圧倒され、目をつぶっていたことを自覚しました。




 ――悪霊はどうなったのでしょう? 私は勝ったのでしょうか?

 辺りを見渡すと、目の前に集一が倒れているのが確認できました。悪霊の姿は何処にも見当たりません。

「集一! 大丈夫? ケガはない?」

 私は集一を抱き起しました。しかし、集一は目を開けてはくれません。心配になった私は恐る恐る集一の左胸に耳を当てました……。

 直後に、涙がこぼれました。

 集一の心臓は力強く鼓動しています。生きている人間の温かさが私の冷めた心に染みわたります。それは、死者にはもったいない体験でした。

「……集一。お見舞い……遅れちゃって、ごめんね!」

 そう言い残して、私は姿を消しました。

 時間切れです。

 集一は安心したように眠っています。今までの疲れが、一気に出たのでしょう。

 眠っているのは集一だけではありません。裁判官、検事、弁護士、書記官、警備員、体を貸してくれた鶴屋君。無理もありません。この法廷にいた大半の人間が、悪霊に取り憑かれていたのです。解放されてホントによかったです。それだけでも、この世に舞い戻った介がありました!

 集一はやっぱり眠ったままです。何か寝言を言っています。何でしょう?

 ………………⁉

 彼女として恥ずかしいです‼ ホントに、集一は鈍感なんだか敏感なんだか、わかりません⁉ 

 ……私なら、すぐそばにいますよ……。




 緊張の糸が切れて、平和な顔で眠っている集一。そんな彼の姿を見守っているだけで、私は幸福の疑似体験ができるのでありました。

 間もなく、私の霊体は、鶴屋君の背中に貼られたお札の中に吸い込まれていきます。

 それを小泉君が手際よく回収し、カバンの中に隠します。私の視界は再び真っ暗になりました。

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