気が付くと、私は地縛霊になっていました。


 見慣れた部屋の景色が、懐かしく感じます。ここは私の住んでいた賃貸マンションの一室です。そう、わたしが最期を迎えた場所でもあります。主だった家具などの荷物が運び出され、部屋にはガラクタしか残されていませんでした。

 部屋にやってきたクリーニング業者の人たちの噂話によると、私の死に様はとても凄惨なものだったそうです。そりゃあそうでしょう。あれが飛んできて、ああなって、苦しむ私に向かって、さらにアレが、ああされて…………。


 許せないです‼


 私があの悪霊に何をしたというのでしょう? 百歩譲って気に障るようなことをしていたとしても、あそこまでやる必要はなかったんじゃないでしょうか⁉ 怒りがこみ上げてきます!




 おや、今日も誰かがやってきました。いい機会です。最近身に着けたポルターガイストでも試してやりましょう。

 玄関のドアの鍵が開けられます。入ってきたのは……男? 泥棒でしょうか? 警察なら大家さんに鍵を借りてドアを開けるでしょうが、この男はピッキングで鍵をこじ開けました。怪しすぎます。真っ黒です。ネクタイが……。

 警察関係者の人もクリーニング業者の人も、私の存在には気づきませんでした。どうやら私は見えない存在らしいです。

 いたずらし放題じゃないですか! 

 今、私は全世界の中二病患者が憧れたジョブ、透明人間になっています。人としてカテゴリーされるかは怪しいですが、死者も者というからにはヒトでしょう! 

 殺されたショックでやさぐれ気味の私はこの泥棒を、ポルターガイストを駆使した超常現象によって撃退してやろうと考えました。

 それにしても、この男、怪しすぎます。灰色のスーツに真っ黒なネクタイ。普段は香典泥棒でもやっているのでしょうか? 冠婚葬祭専門の泥棒? それとも悪徳業者の一味? 死んだ身としては、死ぬ死ぬ詐欺や、ぼったくり葬儀をやるような輩を放っておくわけにはいきません。幽霊の名のもとに、天誅を下してやります!

 男は玄関で立ち止まったまま、リビングに入ってこようとはしません。じれったくなった私は、ドアをきしませて、不快な音をたてました。ギシギシ音が誰もいないはずの部屋に響きます。

 私は男が表情を強張らせるのを、楽しみにしていました。

 ……しかし、この男、やはり只者ではなかったようです。

 私の脅しに恐怖するどころか、満面の笑みを浮かべだしたではありませんか! なんですか? 新手の変態ですか? 幽霊を動揺させるなんて、この男なかなかやります。作戦を次のステージに移行した方がよさそうです。

 何がうれしいのか、男は笑顔のままリビングに足を踏み入れました。

 驚くがいいです。私の新技、チカチカする照明を披露してやりましょう。電球が小刻みに、ついたり消えたりします。さすがに恐れ入ったでしょう!

 ……こっちが驚きました。

 この男、全く動揺していません。やっぱり心霊マニアの変質者なのでしょうか? いいえ、まだです。足は飾りになってしまいましたが、まだ手はあります。男はキッチンの方を向いています。いい機会です!

 私は水道の蛇口をひねって、勢いよく水を出してやりました。かなり体力を消耗しますが、幽霊でも少しなら物理的干渉ができるようです。ついでに、まな板の上で何かを斬る包丁の音も再現してやりました。聞こえるはずのない音に、冷や汗をかくがいいです!

 ……私が冷や汗をかきそうです。

 この男、恐れるどころか喜んでいます。「はっはっはっはっはっ!」と高笑いを始めました。そして何処からともなく取り出した袈裟を左肩に掛けました。続けて、フラフープができそうなくらい大きな数珠を取り出し、右肩から掛けて、袈裟とクロスさせました。

 ヤバいです。なぜ今まで気づかなかったのでしょう? この男、その道のプロです。

 きっと大家さんに雇われて、私を退治しに来たのでしょう。現世に留まっている目的を忘れて、幽霊ライフを満喫していた私に罰が当たったのでしょう。あれ? この場合、罰が当たるといって正しいのでしょうか? 

 ともかく最終手段です。ゴーストバスター的なヒトならきっと霊媒体質のはずです。まだ、やったことはありませんが、あいつに取り憑いてやります‼

 私は巨大な鬼火を一つ作りあげ、男に向かって投げ飛ばしてやりました。突如現れた、青白い発光体が男に急接近します。

 生身の人間ならこれで一撃バタンキュウのはずです。気絶している隙に体を奪ってやります。にひひひ! 私も悪くなったものです。

 私は幽霊という圧倒的に有利な立場であったため、油断していました。一度死んだのです。これ以上落ちることはない、と投げやりになっていても、仕方ないじゃないですか‼

 男は片手で鬼火を掴み取ると、いつの間にか銜えていたタバコに火をつけました。

「ちょうどライター持ってなかったんだ。サンキューな」


 ……完敗です。


 大人しく除霊されましょう。集一君を助けることもできないまま、私は何のために幽霊になったのでしょう? 

 これじゃあ本当に浮かばれません……。


 私は白旗を揚げて敵に投稿する軍人のように、男の前に姿を現しました。やはり、男は霊媒体質のようです。死んでから、初めて生者と目が合いました。

 それにしても……胡散臭い男です。

「……まさか、こんな……こんなことがあるなんて⁉」

 男は初めて驚いた表情を顔面に作りました。銜えタバコが地面に落下します。なんて爽快な気分なんでしょう。

「お前は、湖にいた霊魂じゃあなさそうだが、もしかして……⁉」

「湖って何ですか? 私はまだ成り立ての新人ですよ‼ おまけに、この部屋から出れないし……」

 男と普通に会話してしまう時点で、幽霊失格な気がしました。やはり私は幽霊よりも人間の方が向いていたようです。人間合格の自信なら……いえ、何でもありません。

「あんたは?」

「霊です」

「生前の名前は⁉」

「浮場です。う・き・ば・――」

「レイナちゃんだね⁉」

「はいっ‼」

 この男、やはりヤバい奴です。ゴーストバスター的な職業の胡散臭い心霊マニアの変質者です。おまけに私のストーカー説が浮上しました。気色悪いです!

 逃げようとする私に、男は掴み掛かってきました。そして、何かの呪文を唱え出しました。私は男を振り払うとベランダに逃げました。地縛霊の私は部屋から出ることができません。ベランダに逃げたのは背水の陣をしくためです。

 私はベランダから男に向かって、ありったけの鬼火を投げつけました。しかし、男はそれらをいとも容易くかわすと、ゾンビ男のようにゆっくりと迫ってきます。


 恐怖です‼ 


 まさか死後に、これほどの恐怖に出くわすなど、想像もしていませんでした。

 わけがわからなくなった私はゾンビ男から逃れるために、ベランダの欄干の上に飛び上がりました。鬼火のせいか、煙がくすぶりだした部屋から、男の腕だけがニュッと伸びてきます。

 信じられないかもしれませんが気が付くと私は、幽霊のくせに人間様に向かって、「悪霊退散‼」と叫んでいました。私の念と、男の腕がぶつかり合い、衝撃波が発生します。その衝撃波により、私はベランダの欄干の上から押し出されてしまいました!


 ……私は死後初めて、部屋の外に出られたのです。


 少なくとも地縛霊ではなくなったようです。嬉しさのあまり、涙がこぼれました。これで集一を助けに行くことができます。

 きっと、さっきの呪文は私を部屋から解放するためのものだったのでしょう。あのゾンビ男だか、変質者だか、ゴーストバスターだかに、お礼を言わないといけません。

「ありが……と……う⁉」

 私は部屋の方を見て絶句しました。私の部屋が炎に包まれています‼

 鬼火は自然に優しい、環境に優しい炎です! これは私のせいではありません。

 たぶん……アレです。自然発火です! 世の中には幽霊にもわからないことがあるものですね!




 しばらくすると、消防車が大挙して押し寄せてきました。あの男は、全身やけどを負いながらも奇跡的に命を取り留めたようです。

 部屋を焼き出された私は、当分の間、男の近辺を漂うことにしました。火傷が早く治るように念を送ります。自責の念に駆られたわけでは決してありません! 

 どうやらこの男、ストーカーでもなさそうです。それならどうして、私の部屋にやって来たのでしょう? 湖の霊魂がどうのこうの言っていた気もします。何か事情を知っているようです。私殺害事件の重要参考人です。取り憑いて洗いざらいは吐かすのもいいでしょう。


 ……ところで集一は、水辺集一は無事なんでしょうか?

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