それにしても、ここは何処なんでしょう?


 かなりの時間、歩きました。いいえ、正確には漂いました。慣れてくると、空中浮遊というものは楽しいものです。頭にプロペラをつけて自由自在に飛び回る未来のロボットと同じことをしていると思うと、心が躍ります。

 でも相変わらず、蚯蚓腫れのような傷の痛みは治まりません。ズキズキと、心まで締め付けられているようです。




 しばらく辺りを彷徨っていると、お花畑にたどり着きました。その奥には川が流れているようで、水の音が聞こえます。白菊が咲いています。天然ものでしょうか? 

 とにかく、花にはうるさい私をうならせるくらい、バラエティーに富んだ菊畑です。

 花を見て回っていると、川にたどり着きました。川沿いには曼珠沙華や蓮の花が咲いています。真っ赤な曼珠沙華と、真っ白な蓮の花、そして真っ青な川面が見事な景観を演出しています。

 まるで、この世ではないかのような美しさです! 

 手元にスマホがあれば、写真を撮って集一君にも見せられたものを……残念な気持ちでいっぱいです。まったく、私はスマホを何処に落としてしまったんでしょう? 

 おや、第一村人発見です!

 髪の長い女の人が、ジャブジャブと川をこちら側に渡って来ます。と思ったら、川から上がった途端、宙に浮いているではありませんか。私以外にもエスパーがいたことに、驚きを隠せません。超能力仲間です。話を聞くことにしましょう。

「あの、すいません」

 初対面の相手なので、ちょっと控えめに接します。気心が知れるまでは慎重に、これが私のモットーです。それにしてもきれいなヒトです……。川から上がったばかりなので全身ビショ濡れですが、水も滴るいい女とは、きっとこういう場面で使うのが正しいのでしょう。肌も気味が悪いくらい真っ白です。すごい美肌です。そういえば私も、肌だけは心なしか白くなりました。でも、全身にできた蚯蚓腫れのような傷が赤みを帯びていて、とても比べられません。

「あら、あなたも未練があって漂ってるの?」

 それは、とても冷たく、されど人間らしい、優しさを帯びた声でした。焦った私は思わず「はい!」と答えてしまいました。

「ツライこと聞いちゃってごめんね。そのキズ……見ているだけでも、とっても痛そうなのに……」

 はっ! 

 私は気付きました。このヒトとなら仲良くなれそうです。早速、名前を聞きました。彼女は一瞬戸惑った様子でしたが、自分のことを「レイ」と名乗りました。もちろん私も自己紹介をしました。自己紹介はコミュニケーションの基本です。

 私は、レイさんとお話をしました。大学での何気ない日常について話したり、おいしいシュークリームのお店の場所を白状したりしました。そして代わりに手に入れたレイさんの情報によると、この川の近辺では、運が良ければ饅頭や牡丹餅、お酒までもがタダで手に入るということです。これは耳寄りな情報です。得した気分になりました。思わず「集一君にも教えてあげなきゃ!」と口走ってしまいました。

「……集一君って?」

 レイさんに、痛いところを突かれました。私は仕方なく、ノロケ話になって恐縮ですがと、集一君との思い出のいくつかを暴露してしまいました。私はなんて口が軽い女なのでしょう。 

 彼氏の生態について三分くらい話をしていると、私のノロケに嫌気がさしたのか、レイさんは急に黙り込んでしまいました。

「すいません。こんな恥知らずな話ばっかりしてしまって」

「…………、…………」

 レイさんはやはり沈黙したままです。怒らせてしまったのでしょうか? 

 私は「レイさん……?」と、申し訳なさそうに、長い髪に隠れてしまっている彼女の横顔を覗き込みました。

「……⁉ レイさん、どうしたんですか⁉」

 私はここ(奇妙な世界)に来て、一番驚きました。レイさんは涙を流していたのです。

 そんなレイさんを見ていると、なぜだか私まで泣きたくなってしまいます。どうしてなんでしょう……。

「私はね、ヒドい男に引っかかって、結局ここに流れ着いちゃったの。最期を迎えても、やっぱり、納得できなかったみたいなのよね……」

 語り始めたレイさんのお話は、恋バナというには、あまりに切ない物語でした。

 いいえ、酷すぎます‼ これではレイさんが可哀想すぎます……。

 しかし、私は言葉を返すことはできませんでした。私の彼氏が集一君であるということが、どれだけ恵まれたことなのかを実感しました。私は本当に、浅はかな女です……。

「……集一君に……、水辺集一に、会いたい」

 私は自分の声に驚きました。声に出すつもりのなかった言葉が、ボソッと口から洩れてしまいました。ひとりでに涙が出てきます。私はどうかしてしまったのでしょうか……。

「レイナちゃん、よく聞いて! あなたはもう一度、あっちの世界に帰れるわ‼」

 レイさんが意味の分からなことを言っています。あっちとは何処なんでしょう?


 そもそも、ここは何処なんでしょう……⁇


「レイさん……私……」

「レイナちゃん。あなたも私も、もう死んでいるのよ。私はあっちの世界、つまり生者の世界に未練がなくなったから、成仏するためにここに来たの」

 レイさんの言葉を信じたくはありませんでした。でも、涙が止まりません。涙腺は自身の死を認めているようです。ズキズキとした傷の痛みも強さを増します。

 その時、私は川の水面に集一君の姿を見ました。間違いありません集一君です。川面に映っている彼は、ベッドに寝かされ、無機質な機械によって生かされている状態でした。何らかの大怪我をしたようです。そして、黒い靄の塊が、彼を取り巻いています。あれは、もしかして……。 

「痛いっ‼」

 突如、蚯蚓腫れのような傷の痛みが、ズキズキとした鈍いものから、傷口にしょう油を落としたような激痛に変わりました。実際にやったことはありませんが。

 痛みに耐えきれず、私はとっさに集一君に謝りました。そうするのがベストだと本能が教えてくれたからです。私は水面に向かって「集一……ごめんね……わたし、きっと助けてみせるから‼」と叫びました。

 私が水面を見てから苦しみだしたことを悟ったレイさんは、水面に小石を放り込んで、情景を消してしまいます。

「ここに映っちゃうってことは、レイナの彼もここに墜ちそうになってる、ってことよ!」

「……どうすれば、どうすれば集一を助けられるんですか?」

 私はレイさんに教えを乞いました。この川はたぶん、世にいう三途の川なのでしょう。

 つまり、川のこっち側にいる私には、もう蘇生の余地はないということになります。それなら、せめて集一だけでも、あの黒い靄の塊、つまり私を殺した悪霊から、彼を守ってあげたい! それが私の最期のわがままです。

「レイナちゃん! 強くイメージして……自分の最期を。そして思い出して……最期の願いを!」

 レイさんの吐く息は真冬の北風のように冷たく、冷ややかな声音に感じられました。でも、その言葉には慈愛と人間らしい温かみが込められているようでもありました。矛盾していますが、どうせここは冥界のはざまです。言葉でうまく表せないこともあります。

 レイさんの言葉通りに、私は、浮場玲奈の最期をイメージしました。そして、最期の願いを思い出しました。


「集一君には……水辺集一には、指一本触れさせないんだから‼」


 何が起こったんでしょう? 

 私の体が川の向こう岸、たぶん現世の方に、引き寄せられていきます。すごい力です。抗えません。これが神の見えざる手でしょうか?

 レイさんが私に向かって手を振っています。笑顔です。私が見た、彼女の今日一番の笑顔です。

「レイナちゃーん! またいつか逢いましょー‼」

 レイさんの声が遠くなります。私は全力で手を振り返しました。

「レイさんも、成仏してからもお元気で‼」

 私の声がレイさんに届いたのかはわかりません。でも彼女は、私を、ずっと笑顔で見送ってくれました。

 あの世にも友達ができました。これで成仏後に、冥界で何かと有利になるかもしれません。

 私は何処までも、前向きでいることにしました。それが集一君改め、集一との約束だったからです。

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