参
俺は、目を覚ましてすぐに、看護師に頼んで病室を変えてもらった。
幻聴が聞こえるようになってから一人になるのが怖くなった俺は大部屋を希望したのだが、病院は殺人事件の重要参考人を大部屋に入れてはくれなかった。
代わりに用意された鍵付きの病室に、今日も刑事がやってきた。奴らは俺が犯人だと決め打ちしているようだ。恫喝に近い一方的な事情聴取が、数時間続いた。
容疑を否認していた俺は、玲奈を失った事実を、刑事たちに無理やり飲み込まされ、落ちるとこまで落ち込んだ。声を発すると涙がこぼれそうで……、俺は途中から黙秘した。
うんともすんとも言わなくなった俺に、刑事たちは苦戦しているようだった。これ以上、実のある取り調べはできないと思ったのか、今日のところは引き上げていった。
刑事たちと入れ替わりに、腐れ縁の鶴屋と、後輩の小泉が見舞に来てくれた。
小泉は「さすがっす、水辺さん! あれだけの事故でその程度で済むなんて、鉄人っすね!」と、俺をおだててみせた。鶴屋は、奥歯に物が挟まったように、「お前は不死身だな……」と呟いた。
俺は今、人生で一番落ち込んでいる。もう立ち直れないかもしれない。
息子が疑われていることを知った親父は、目を覚ました日に会って以来、顔を見せなかった。母さんも、毎日様子見には来てくれるが、特に言葉を発することもなく、花瓶の水を換えるという、決まった動きをするだけである。
見舞に来てくれた二人に、俺は愛想笑いをしてみせた。そして「心配かけて、すまん」と儀礼的な挨拶をした。
鶴屋はしばらくうつむいていたが、突如、何かを決意したかのように、俺に向き直った。
「シュウ、お前……、本当に……」
「やめてください鶴屋さん! 水辺さんのわけないじゃないっすか‼」
俺に疑惑の目を向ける鶴屋に、小泉が噛みついてくれた。だが、さっきの刑事たちの言い草からも、どうやら俺は限りなく黒に近い被疑者らしかった。鶴屋が疑うのも無理はないだろう。
「……俺はお前を信じていいんだな」
小泉の牽制が効いたのか、鶴屋は態度を軟化させていた。だが、気まずくなったのか、大した会話もしないまま、二人は病室を出て行った。
いったいどうして、こんなことになったのか?
俺は単身事故を起こしたときのことを思い出そうと、瞑想した。
そう、あれは確か玲奈をマンションの部屋に送り届けてからだった。俺は自宅に向かって夜の国道を、愛車の軽で走っていた。走りなれた道のはずなのに、妙な胸騒ぎがしたのを覚えている。そして、瞬きをした次の瞬間、黒い靄のような塊がフロントガラス横の暗闇から、視界に飛び込んできたのだ。その塊は所々赤みを帯びていたことも覚えている。
俺はびっくりして急ハンドルをきった。車は信じられない勢いで左右に振れ、ハンドルでは制御できなくなった。そして、道路わきの電柱に突っ込んだのだ。
フロントガラスが砕けて、周囲に飛び散るのがスローモーションに見えた。そして電柱が、車のボンネットを紙風船のようにペシャンと凹ませながら、俺に向かってきた。同時にエアバックと思われる白い塊が目に映ったか映らなかったか、というところで俺は意識を失ったのだ。
当時は痛みを感じる余裕もなかったのだろうが、今現在は、体のあちこちに痛みが感じられる。
俺が見た、あの黒い靄の塊は、一体何だったのだろう……? このことはもちろん警察にも話した。だが、聞く耳を持ってもらえなかった。事故現場には、黒い靄のような塊に関する手がかりは、何一つ残されていなかったらしいのだ。
恋人を殺害した俺が、動揺のあまり、事故を起こした。それが警察の見立てだった。
――冗談じゃない‼
俺は最愛の人を、玲奈を失ったんだぞ! おまけに事故で大怪我。しかも殺人容疑までかけられて……オーバーキルにも程がある。そのせいで俺は、純粋に悲しむことさえ許されないのだ。
――もういっそ、死刑にでもなればいい。
そんな考えが頭をよぎると同時に、見知らぬ男が病室にズカズカと入ってきた。
男は薄い縦縞の入ったグレーのパジャマ姿で、点滴を受けている状態だった。頬はげっそりとやせ細り、無精ひげが生えていた。ギョロリとした目は力強く、油断ならないオーラを全身に纏っていた。
謎の男は、招かれざる客に警戒している俺を見て、ニヤリと笑ったかと思うと「お前には、たちの悪い奴が憑いている」と切り出した。
「はあぁ……」
事態を呑み込めていない俺に、男は事情を丁寧に説明してくれた。
「俺の名は河内山宗純。行き倒れているところをこの病院に担ぎ込まれた者だ」
「はあ……」
「実は俺、幽霊退治を生業にしてるんだ」
「はあ……そうですか……」
「さっきの刑事たちの話も、お前のダチの話も、全部聞かせてもらったぜ」
「それで、俺に何の用ですか?」
いきなりやってきた謎の男は、自信をゴーストバスターと自称した。胡散臭すぎる。刑事の話を聞いていたと言うとこらから、どうせ、俺を揺すりに来た輩だろう……。
こんな奴、無視するのに越したことはない。そう思った俺は、黙りを決め込もうとしたが、河内山と名乗った男の、次の発言が、俺の背筋を凍らせた。
「死んだ彼女と心霊スポットなんかに行って、イチャイチャしてたんじゃないのか?」
「どうしてそれを⁉」
「言っただろ。俺は幽霊退治屋だって。お前さんの背中に、憑いてるのさ……嫉妬のエネルギーで実体化し、生き人を襲った怨霊がな」
心当たりはあった。それを現実と認めるのが怖かっただけかもしれない。あの湖からの帰り道、玲奈を負ぶった時だ。鈍感な俺が生まれて初めて、目に見えないモノの存在を感じ取った、あの時、あの場所だ。俺たちは、あの場所に漂っていた霊魂を悪霊に変えてしまったらしい。そして、その悪霊が玲奈を襲い、俺に取り憑くために、あわよくば俺を道ずれにするために、実体化したのだとすれば……。
震えが止まらなくなった。この仮説が正しいとすれば、玲奈が死んだのは俺のせいじゃないか! 俺が肝試しなんかに玲奈を連れて行ったから……。
「かっ、金は払います。だから仇を、玲奈の仇を討ってください!」
俺は涙交じりで、河内山さんにすがっていた。犯人が悪霊だとすれば、警察は当てにならない。今の俺には、この胡散臭い自称ゴーストバスターの存在が、地獄に垂らされた蜘蛛の糸のように感じられるのだ。
「まあ焦るな。お前に憑いている怨霊に、もう実体化するエネルギーは残っていないようだ。とりあえず、自分の無実を証明することから始めたらどうだ」
「俺、このままだとどうなりますか?」
「残忍な犯行に、容疑の否認、そのくせ十分な物的証拠が出そろってる。情状酌量の余地なしで、下手すりゃ死刑だな」
「残忍な犯行?」
河内山さんの言葉に気になる点があった。語るに落ちる戦法をとる刑事たちから、玲奈がどんな殺され方をしたのか、説明されることは今までなかったのである。河内山さんは「お前、ニュースも新聞も見てないのか?」と問い返してきた。実は玲奈の死を認知した時から、俺は現実逃避をするために、外から情報を得ようとはしなかったのだ。
いや、これも、ただ怖かっただけかもしれない。だがこれからは、そうはかない。玲奈の無念を晴らすためにも、俺は悪霊に、あの時の黒い靄のような塊に、仇を討たなければならない。そのためにも現実を受け止める必要があった。
俺は勇気を振り絞って、河内山さんに玲奈が殺された状況を話してもらった。
河内山さんの話を聞いていた俺は、途中、気を失った。
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