血の降る夜、銀髪の少女 Ⅳ
「私の血は『治癒』の効果があるの。他の子達みたいに何もわからないまま死ねた方が良かったでしょうに。どういう神様の気まぐれか、あなたは身体が真っ二つになってもなお、死ねないでいる。さすがにあなたを生かすことはできない。けど、せめて、私の血でこれ以上痛みに苦しむことはないように。せめてもの手向けよ」
少女の血が香澄の体を癒やす。全身を這いずるような激痛は次第に消え失せ、冷たい血が、真夏の夜にエアコンでよく冷えた布団のようにとても心地が良かった。香澄の意識が遠のいていく。香澄は死が誘ってきていると実感していた。そうか、眠るように息を引き取るとは正にこの感覚なのか。死神の手はとても暖かい。
「さよなら」
その声の主は先程の少女だろうか。もしかしたらあやめかもしれないし、母親のような気もした。いずれにせよ、死んでしまった香澄にとってはどちらでもいいことだった。
暗い部屋で香澄は横たわっていた。体が動かない。母と父が僕を覗き込んでいる。母は泣いている。父も悲痛な顔で僕を見つめている。
「ごめんな、香澄」
これは走馬灯なのだろうか。こんな記憶は僕にはなかった。忘れていたのだろうか。それとも、もしかしたら本当に悪夢から目覚めたのだろうか。父は何かを僕の口に無理矢理ねじ込んだ。飴玉くらいの大きさのものを僕は飲み込んだ。すると部屋が真っ暗になった。父の顔も母の顔も見えない。
「とはいえ、ここであったのもなにかの縁だ。その面倒事を少しでも解決に進められるよう、お守りをあげよう」
エセ紳士風の男の声がする。体の中が熱くなる。身体の中で炎が燃えているような気がした。血が沸き立ち、今にも沸騰してしまいそうなその熱に香澄は苦しみ、唸り声を上げた。暗闇の中で香澄の身体が紅く輝く。熱はまるで生き物のように、渦のような動きで次第に心臓に集中していく。熱が一点に集まった所で香澄の心臓が破裂した。激しい血飛沫に黒で染まった部屋が赤に塗り替えられていく。噴水のように吹き出す血の中から大きな蟲の姿が見えた。ムカデのようなその姿に香澄は恐怖した。蟲は香澄の顔に近づくと、左の目に飛び込んできた。眼孔の奥で蟲の蠢く音が響き渡る。その音はあまりに大きく、不快だった。
「うわああああああ!!」
香澄の叫び声に銀髪の少女が驚く。少女はすぐに、香澄の胸部で紅く輝くペンダントに気がついた。
「血晶石!? どうして!?」
香澄の周りに飛び散った血が光るペンダントを中心に動き出す。その形は雪の結晶のように美しかった。千切られた下半身も、溶けて血となり、香澄のもとに集まる。血は香澄の上半身の断面に集合し、ボコボコと泡立った。次第に香澄の下半身が形成されていく。
「これじゃあ、私達と同じ…………」
驚く少女の背後から、ヤギ頭の怪物が襲いかかる。完全に虚を突かれた少女は、残った右腕を引き裂かれた上に、無抵抗に吹っ飛ばされてしまった。
「くっ、油断した! 再生が追いつかない……!」
焦る少女は、すくっと立ち上がる香澄を見た。寝起きのように呆けたまま、少女の千切れた右腕が掴む刀を手にとった。刀がビクンと反応する。刀身から血管のような赤い筋が浮き上がってくる。香澄は怪物の前に立った。
「グルルゥ…………」
怪物が香澄に襲いかかるその刹那、目にも留まらぬ速さで刀を振った。怪物の腹が十字に裂け、間髪入れずに香澄はその腹に手を突っ込むと、中からあやめが引っ張り出された。
「ギャオオーー!!」
野太い声で叫ぶ怪物。香澄はあやめをやさしく抱え、ベンチまで連れて行った。開いた傷が再生していく怪物。泡立つその血は先程の香澄とよく似ていた。怪物は香澄に向かって飛びかかるが、その攻撃を刀で防ぎ、瞬く間に怪物を縦に切り裂いた。避けた怪物の中から紅い宝石のような玉が出てきた。
「血晶石よ! それを破壊して!」
少女の声を聞いた香澄は赤い石を掴むと、そのまま握り潰した。石は水風船のように割れ、血が溢れ出した。その血は遺志でもあるかのように香澄の腕を這い、全身を巡っていった。
「…………僕は、どうなったんでしょうか」
香澄は少女に問うた。全身が再生した少女は静かに答える。
「少なくとも、普通の人ではなくなったわ。詳しい説明は後でするとして、その女の子を保護しないとね。仲間を呼ぶわ。それと…………」
少女は腰にある杖を香澄に目掛けて振り上げた。杖は背骨のように細切れに変形し、素早く振ることで香澄めがけて伸び、身体にぐるぐると巻き付いた。
「拘束させてもらうわ、あなたの今後は私達『オブリビオン』が判断します」
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