血の降る夜、銀髪の少女 Ⅲ
「死ねばいいのに」
香澄は伊藤達にいじめられるたび思っていたことだ。彼らが憎くて仕方がなかった。何故こんな理不尽な目に合わなけらばならない。こいつらは屑だ、人間の形をした悪魔だ。こんな奴らいなくなればいい。香澄は毎日祈っていた。彼らに天罰が下ることを。そして、それは今夜、成就した。
「あ……あぁ……」
三人の体はだるま落としのように上からバラバラになって崩れ落ちていった。目の前に伊藤の頭が転がってくる。その顔は死んでしまった事に気がついていないのか、香澄に凄んでいた表情のままだった。背の低かった伊藤の仲間の片割れは顎から上が引き裂かれており、首に残った下顎からは長い舌がだらしなく垂れ下がり、あかんべえをしているようだった。生まれてはじめて嗅ぐ、死者の臭いが周囲に立ち込める。地面は真紅の薔薇の花畑のように、一面真っ赤に染まっていた。
あまりにも突然に、あっけなく、無残に伊藤たちは死んだ。心音の確認も、瞳孔を見る必要もない。彼らの形は今や生物の
「や、やめろ……」
香澄の震える声などに耳も貸さず、怪物は骨ごとその肉を咀嚼する。ゴリゴリと骨をすり潰す音が夜の公園にこだました。
香澄は死を悟った。僕もこの怪物に喰われるのだ。伊藤たちが少し羨ましかった。あいつ達はきっと恐怖に駆られること無く、痛みもなく死ねたのだ。
「グルル……」
伊藤の体の切れ端を飲み込んだ怪物が香澄を見つめた。炎のように赤いその目には、思想が浮かんだ顔が反射していた。
――どうしてこんな目に。アイツラのせい? 最初からあやめに相談するべきだったのか? それとも教師や叔父に? 答えはわからないし、分かった所で時間が巻き戻るわけでもない。怪物の目が、とても赤い。さっき見たような気がする。そうだ、変なおじさんから貰ったペンダントだ。あれについていた赤い宝石ととても良く似ている。あの人は何者だったんだろう。それにしてもこれ、全然お守りにならなかったなぁ。本当は呪いの宝石で、持ち主が死ぬとかいった
怪物が近づく。血生臭い息が香澄の前髪を揺らした。ゆら、ゆらと。しかしそれは突然収まった。何かが香澄の前に立ちはだかっていた。
「香澄くん! 気をしっかり! 逃げて!」
あやめだ。なぜ、どうして彼女がここに? 香澄の頭はパニック寸前だった。
「あ、あやめさん?! どうしてこんなところに?」
「心配だったから探したの! とにかくここから離れないと……」
あやめの背後に迫った怪物は、口を大きく広げた。口内には血に濡れた牙が乱雑に生えていた。
「あやめさん!」
香澄の叫びはあやめに届かなかった。怪物はあやめを頭から一気に丸呑みにした。
「あ、あ、うわぁああああああ!!」
香澄は今まで出したことのないくらいの声で叫んだ。かろうじて一本の線で保たれていた、香澄の理性が崩壊した。怪物は相変わらず、無感情に香澄を見つめる。伊藤たちと同様に大きな爪を振り上げた。
意識が朦朧とする香澄。今いる世界が夢なのか現実なのか、区別がつかない。しかし、生きている。夢だったのか。地面に横たわったまま目を開けると大きな満月が空に浮かんでいる。ここは外だ。まだ夢の続きのようだ。
体が動かない事に気がついた。指はわずかに動くが、足に力が入らない。そして、妙に下半身が生温かかった。香澄は恐る恐る自分の足元を見た。つま先がいつもより遠い。急に背が伸びたのだろうか。香澄はその答えにすぐ気がついた。
香澄の上半身は、下半身と分断されていた。かろうじて背骨だけが繋がっている。急激に痛みが全身を支配していく。
「あ、いやだ、死、死ぬ。あやめさん、だけでも」
上半身の断面から激しく血があふれる。あのペンダントもその血溜まりの中に沈んでいた。
「い、痛い、痛い」
空に浮かぶ満月は、とても美しかった。香澄は月を見ると、少しだけ心が落ち着いてきた。消えゆく意識の中、満月の中に人影が見えた。
「間に合わなかったわね……」
黒い、中世の貴族が身につけていたような、細かい装飾品で飾られたコート姿の少女が目の前に現れた。広いつばのハットを被っており、そこから神秘的な銀色の髪が下に伸びている。そして、腰には刀と杖がぶら下げられていた。香澄は、あの世からの使者がきたのだと思った。
「……生きてる?
香澄は女性を見つめた。少女は赤いメガネを掛けていた。その奥に潜む瞳は、そこの見えないくらい深い、それでいて透明な湖のようだった。蒼い瞳には長く生え揃った睫毛がさざなみのように流れていた。
銀髪の少女は刀を抜いた。すると、その刃を自らの左腕にあて、一気に引き裂いた。左腕が香澄の頭上を転がっていく。少女は切断された腕の断面を香澄に向けた。
血の雨が降る。血は紅く、少し冷たかった。
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