血の降る夜、銀髪の少女 Ⅱ

 ――20:45


 香澄は叔父に見つからないように家から抜け出した。叔父は香澄に興味はないかもしれないが、夜に未成年が外出していた場合、保護者も厳罰の対象になる。だから見つかってしまったら家から出ることは不可能になってしまう。そこまでして、わざわざ殴られるために、人目を忍んで公園に向かう自分がとても哀れで滑稽だった。


 音がしないように注意深くドアを閉める。慎重に鍵を刺し、そのままゆっくり回す。檻の内側から鍵を閉めているような気分だった。香澄はこれからどんなひどい仕打ちに合うのか、考えたくもなかった。


 いっそ警察に見つかって求めて補導されたらいいと思った。自分も夜間外出禁止令に違反しているので、自信も少年院に行くことになるわけだが、きっと今の生活よりはマシだ。逃げたい。今すぐ逃げたい。だけど自分が逃げたらあやめはどうなるだろうか。あやめは大切な幼馴染だ。彼女に危害が

及ばないためにも、自分が殴られるしか無い。香澄は逃げることができないことを改めて噛み締めていた。


「いっそ、あやめなんかいなかったら……」


 思わず出た独り言に香澄は愕然とする。何を言っているんだ。彼女がどれだけ自分のことを思ってくれていたか。彼女は恩人だ。あやめがいなかったらきっと自ら命を絶っていただろう。そう言い切れるほど、彼は何度も彼女に救われている。


 自分の脳裏によぎった最低な考えに、香澄は自暴自棄になった。空に浮かぶ満月はジリジリと香澄を睨みつけている。罪悪感が体を重くした。ノロノロと歩く内に、香澄は道端に人影があることに気づいた。


「誰かいる……?」


 夜に外出している人間にまともな人間はいない。半グレの若者か、狂人か。香澄は警戒しながら近づいた。人影の正体は、街灯の下に座り込んだ、痩せ型の中年男性だった。髭面で痩せこけているが、不思議とみすぼらしい印象はなく、妙に品のある男に見えた。香澄は目を合わせないよう、気配を消してそばを通り過ぎようとした。


「ねえねえ、君、こんな時間に何してるの? ジョギングしているアスリートには見えないし、この辺でよく見る、ヤンチャそうなお友達には見えないけど」


 香澄はドキリとした。同時に、エセ紳士風な男の妙に軽妙な語り口調に少し安心した。どうやらまともな人だ。こんな夜に出歩いている点を除けばだが、それはお互い様だろう。


「え、えっと、ちょっと用事があって公園の方まで……。おじさんこそこんな所で何しているんですか」


「今日は月が綺麗でねぇ。思わず外まで見に来ちゃったんだ。それより少年、こんな夜に一人で出歩いていたら、怪物に襲われるかもしれないよ。知っているかい、夜の怪物の話?」


「今日聞きました。もしかしておじさんが噂を流したんですか? 僕はその噂のせいで面倒なことに巻き込まれているんですけど」


「いやいや、ボクはそんな事しないよ~。噂なんてものはね、どれだけ閉じきった部屋でも、どこからともなく現れるコバエみたいなものなんだよ。とはいえ、ここであったのもなにかの縁だ。その面倒事を少しでも解決に進められるよう、お守りをあげよう」


 そういうとエセ紳士男はポケットから大きな赤い宝石のついたペンダントを取り出し、香澄に渡した。


「なんですかこれ、ルビーですか? 今な高級そうなものを急に渡されても受け取れませんよ」


「若者が遠慮しないの。ほれ、よおいしょ!」


 エセ紳士男は香澄の意思も尊重せずに、ペンダントを首に掛けた。部屋着のジャージ姿だったので、ひどく似合わない格好だ。香澄はすぐにペンダントをジャージの中に隠した。


「いいんですか? すぐに売りに出しますよ」


「いいよいいよ。後は君の自由。それじゃあ、健闘を祈るよ」


 そう言い残すと、エセ紳士男は立ち上がった。男の全身は思っていた以上に大きく、180cmはゆうに超えているだろうか。そのまま振り返ること無く夜の闇に消えていった。


「何だったんだ一体……。それより時間、ちょっとやばいな」


 香澄はスマホで確認した時間を見て小走りで公園へ向かった。




 公園のベンチには悪鬼の如き三人組がベンチに座っている。足元にはタバコの吸殻がいくつかあった。


「おせえぞクソカス!」


 そう言って吸いかけのタバコを香澄に投げつける伊藤。すんでの所で躱しながら香澄は答える。


「ごめん。さっき知らない人に声をかけられて」


 伊藤はベンチから立ち上がり、香澄に接近すると、なんのためらいもなく香澄の腹に拳をめり込ませた。


「……ッツ」


 突然の攻撃に、息が止まる。香澄は口の中に血の味が広がってくるのを感じた。





 それからしばらく、三人のなんの意味もない暴力が続いた。香澄は朦朧とする意識の中でひたすら耐えていた。






「おい、そのペンダントなんだ? 高そうじゃん」


 一人が香澄の首にかかったペンダントに目をやった。香澄は遠くを見つめていた。何かが迫っているような気がした。


「なんか、高そうじゃね? お前が持ってても意味なさそうだし、俺達がもらってくわ」


「いくらで売れるだろうな。よし、このペンダントに免じて今日はこの辺で勘弁しといてやるよ」


 香澄は三人の会話が全く耳に入らなかった。なぜなら三人の後ろに大きな影が忍び寄っているのが見えたからだ。


 それは獣だった。二本の足で歩く、狼のような体に山羊の頭。揺れる体毛は月に照らされて青く輝いている。大きな体躯だ。3mはあるだろうか、それでいて恐ろしく静かで素早く、伊藤たちの真後ろまで接近していたのだ。山羊の頭が口を開く。その歯は肉食獣そのものだった。怪物は右手、あるいは右前足を振り上げた。長い爪は死神の鎌のようだった。


「う、後ろ! 逃げろ!」


 香澄の声に驚き、三人が振り向くと同時に五本の鎌が振り下ろされた。香澄の目には血飛沫だけが写った。


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