第9話 個室

「せんぱい、暇なんでなんか面白い話してください」

「そんな雑な振り方俺以外が許すと思うなよ?」

 せんぱいは許してくれるんだ、優しい。

「うーん、暇つぶしになる小話ならあるんだが……怖い話でもいいか?」

「面白いと対極に位置しますけど?」

「面白いと対極に位置するのは退屈だろうが」

 それは考え方の違いですね、とあたしは言う。

「炎の対極は炎を吸収することですか? 氷ですか? あたしは氷派ですけど」

「俺は零地点突破改ほうが好きだなあ」

 なんだと?

 うおおお死ぬ気で論破するぅぅううううう!

「わかりました、じゃあ怖い話でいいです」

 そういうとせんぱいは小さく頷いて、淡々と物語を語り始めた。

「この前、ちょっと腹の調子が悪くてさ、駅でお手洗いに駆け込んだんだよ」

「電車内じゃなくてよかったですね」

「本当に。まあそれで、個室が二個しかなかったんだけど幸運にも両方開いてたから無事尊厳を失わずに済んだんだ」

 あたしは胸をなでおろした。

 生理現象だから仕方ないとはいえ、ねえ。

 というか大丈夫かな、この話ちゃんと怖くなる?

「で、俺が個室に入ってからちょっと経って、隣にも人が入ってきたんだ。結論から言うとその人がヤバい人だったって話でさ」

 大丈夫そうだ。ちゃんと怖くなりそう。

「別に隣に人が入ってきたからと言って普段なら思うことなんて何もないんだけど。その日はなんだか嫌な予感がして」

「……」

 せんぱいは言葉の抑揚のつけ方が上手だ。

 ちょっと前まで笑い話の空気だったのに、一気に不穏な話になってきた。

 少しだけドキドキしながら話の続きを促す。

「ある程度時間がたったタイミングで、隣の個室から音が聞こえたんだ」

「どんな音ですか?」

「その音自体は別に、普通の生活音というか、衣擦れとか足音だったんだけど、そのあとウィィィイィィインっていう、無機質な機械音が鳴り響いた」

「……そ……それって」

 嫌な予感がした。個室、機械音。もしかして何か危ない道具―

「そう、ウォシュレットの起動音だな」

「あたしの緊張を返してください」

 あたしはポカポカとせんぱいを殴った。彼はそれを余裕の態度で受け流して、人差し指をたてる。

「落ち着けって、話はここからだから。そう、亜湖の思っている通りここまでは普通の人なんだけどな」

「……」

「隣の個室のウォシュレットが起動してから十秒、二十秒がたった。この時は特に気にもしてなかったんだけどさ、それが一分、そして二分と続いたときにちょっとおかしいと思ったんだ」

 長すぎる。

 せんぱいは端的にそう言った。

「それでもまあ、ウォシュレットの使い方なんて学校で習ったわけでもないし、個人差かななんて思ってたんだ」

「そうですね。それくらいなら個人差な気もします」

「それが五分以上続くまでは」

「えっ……」

「まだ個人差か? でもそれが十分、二十分たっても終わらないんだ」

「……ん?」

「そのまま一時間が経過する」

「いや、あの、せんぱい?」

「結局、隣の人が何者だったのかはわからないんだけど、普通の人間なら一時間も二時間もウォシュレットを―」

「待って待って、せんぱいもしかして怖い話の締め方しようとしてません?」

 ついついあたしは彼の話を遮ってしまった。

 不思議そうな顔をするせんぱいに向かってあたしは大声で突っ込む。

「少なくともせんぱいは早く個室から出なさいよ!」


<あたしとせんぱいと個室>

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