第8話 合鍵

「せんぱぁー……」

 勢いよくせんぱいの家の扉を開けると、まだ午後六時だというのに部屋の電気が全部消えていた。

 あれ、今日外出するって言ってなかったような気がするんだけど……

 コンビニにでも行ってるのかな。と思いながら靴を脱いで短い廊下を歩くと、ベッドから頭がはみ出ているのが見えた。

 ヘッドショットしやすそう。

 ベッドとヘッドで韻が踏める。

「……あは。せんぱい、寝てるんですね」

 大学生の例に漏れず、完全夜行型の生態系をしているせんぱいがこの時間に眠っているのも珍しい。きっと何か疲れることがあったんだろう。

 起こすのも忍びないので、あたしは電気を消したままクッションを取り、ベッドの傍の床に座り込んだ。

 じっくりとせんぱいの寝顔を観察する。

 別にせんぱいの寝顔なんてもう見慣れたものではあるんだけど、好きな人の寝顔なんて何回見たって飽きない。

 というか人間の細胞は日々入れ替わっていくものなので、今日のこの寝顔は、今日しか見ることができないのだ。

「……んん」

 せんぱいが少しだけ苦しそうに呻いた。悪い夢でも見ているのかな。

 あたしは心配になり、布団の中にあるせんぱいの手を握った。

「んん……駄目だって……」

「あ、ごめんなさい。起こしちゃいました?」

「んああ、よくないって」

「……ああ、寝言か」

「亜湖……駄目だって言ってるだろ」

 え、いまあたしの名前呼んだ?

 ここで別の女の名前が呼ばれていたらあたり一帯が更地になっていたと思うので、この辺に住んでいる人はせんぱいに感謝したほうがいい。

 それにしてもせんぱい、どんな夢を見ているんだろう。なんとなく、駄目とか無理とか聞くとやらしー雰囲気を感じる。

「まったく、せんぱいはえっちなんだか―」

「人んちのコンセントにシャー芯突っ込むのは本当に駄目だって!」

「夢の中のあたしになにさせてるんですか!」

 想像以上に駄目なやつだった。

 いろいろショートして大変なことになるからよい子も悪い子も真似しちゃだめだよ。

 あたしが大きい声で突っ込むと、ビクリと肩を震わせたせんぱいがゆっくりと目を開けた。

「びっくりした……亜湖、なんでうちに。もしかして鍵開いてた?」

「いや、せんぱいにもらった合鍵使いました」

「別にいいんだけどビビるから来るときは連絡くれよ」

 寝ぼけ眼でそういうせんぱいに、あたしは少しだけ意地悪がしたくなった。

「あれれ~? いつか泣いているあたしに向かって合鍵を渡しながらキメ顔で『この部屋をお前の逃げ場所にしていいから』って言い放ったのは誰でしたっけ~?」

「おまっ、よくないって。自分が病んでいるときに救われた言葉をネタにするのは本当によくないって!」

「えへへ」

「えへへじゃねえ! こんなことなら合鍵なんて渡すんじゃなかったぜ……」

 ため息をつきながらそういうので、あたしは沈んだ顔を作る。

「へえ、そんなこと言うんですね」

 そのまま鞄を持って廊下へと戻った。

「亜湖、どこ行くんだ?」

「そんな酷いこと言うせんぱいにはお仕置きですよ」

 あたしは筆箱からシャープペンシルの芯を三本取り出す。

「それは駄目だって! ってあれ? なんかすっげーデジャブなんだけど!」

 こうしてあたり一帯が更地になった。(なってない)


<あたしとせんぱいと合鍵>

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