閑話 辺境伯と七星
国王からの勅命を受け、ナジェルから王都へと急ぐ精鋭五十騎を率いるアルスフォード一行は無事に工程の大半を超え、明後日には到着するまでに至った。
「意外なくらい、平穏だね。フレド。」
あの小賢しいマグクール侯爵とその娘であるソフィーヌ妃が妨害をしかけてくると踏んでいただけに、この順調さは予想外でしかない。いや、逆に嫌なものを感じ、カイルは警戒を解かず、兵たちに一層の警備を命じつつ、隣の馬上で若干ヘタレているフレデリックに声をかけた。
「そうですね。妨害工作があっても当然と踏んでいましたが、順調すぎて怖くなりますね。」
強行軍で十日間、乗り飛ばしてくるなど、文官であるフレデリックにはきつかったが、そんなことは言っていられない状況なので、気を張っていたのに、意外過ぎる。カイルと同意見だ。
「順調なことは良いことだろう?」
「「いや、だから怖いんだって!!」」
いつの間にか近くに来ていたアルスフォードの天然発言に、見事なツッコミを入れる二人。なんとも微笑ましい光景に騎兵たちの表情も緩む。
これで領地に残っているジェームズがいれば、もっと微笑ましくなるが、当の本人が聞けば、激怒することは間違いない。
兵たちからはアルスフォード、カイル、フレデリック、ジェームズは仲の良い友―親友たちと思われているが、実際のところ、カイルとジェームズは犬猿の仲で、事あるごとにぶつかり、そのたびにフレデリックが胃を痛めて仲裁に入り、最後に見ていたアルスフォードが仲がいいな、と言って終わりになる関係だ。
なんというか、カイルは武術や剣の腕はそこそこだが、凄まじいほど頭が切れる。普通の軍師が十歩先を読むところを、彼は二千歩先を読む天才……なのだが、どういうわけか、ジェームズと気が合わない。
ジェームズは側近の中でも一番腕が立ち、頭も悪くないのだが、しょっちゅうカイルにからかわれ、何かしらの被害を被っている。
いつだったか、昼食をかけて、賭けをしたところ、カイルのいかさまに嵌められて、その場にいた三十名以上の兵士たちの食事を払わされた。あとで知ったジェームズがブチ切れて、城内を追いかけまわし、調度品に甚大な被害を出した。
アルスフォードはさほど気にしなかったが、静かに怒ったのは今回城代を任せた一人で将軍・エルドと家老筆頭・デイヴィットだ。
壊した調度品の費用を給与から半年以上差っ引き、反省文をフレデリックに見張らせて月に二回書かせた。
もともと書類作成が苦痛な二人にとってはかなりの仕置きになり、しばらく大人しかった。
「ジェームズがいたら、からかえたのにな~うまいこと言って、全額おごらせたり、宿の風呂に突き落とすとかで遊べたのにな~」
「聞かれたら、怒られますよ。そんなことやっていて、襲撃を受けたらシャレになりません。」
おふざけ発言をするカイルを生真面目な性格のフレデリックが咎める。そんなバカなことをされている間に、アルスフォードが襲撃されたら笑い話にもならない。
彼に何かあったら、シュレイセ王国は暴走王女かバカ王子によって滅亡の危機にさらされる。
「大丈夫だって。万が一の時はヴィルフォード様のご子息たちがどうにかするって♪まぁ、そんな真似はさせないけど。」
凍てつくような笑みを浮かべて言ってのけるカイルにフレデリックは恐怖する。実際、アルスフォードに何かあれば、カイルは容赦なく敵を徹底殲滅する。それだけ、彼にとってアルスフォードは主である前に、大切な友人であるのだ。
「どちらにしても、あと少しで王都だ。気を引き締めなければならないな。」
急に表情を引き締め、剣を抜くアルスフォード。遅れて、カイルとフレデリックたちも剣を抜き、警戒する。
のどかな平原を貫く王都までの街道にも関わらず、隊商の一つともすれ違わない。そんな異常な状況に気づくのが遅れ、カイルは盛大に舌を打った。
街道の周囲は背の高い―人が隠れるのに丁度いいほどの草が伸びている。この種類の草は成長が早く、通常なら、近隣の村々で定期的な刈り取りが行われるのに、それがない。
大方、何者かが、アルスフォードたちが来ることを見越して、街道整備の任を負った村人たちを脅したか、監禁したかのどちらかだ。
あまりに順調だったので、気が抜けていた。密偵か先遣部隊を放って警戒すべきだったことを悔やむカイルだが、状況は変わらない。
「ナジェル辺境伯・アルスフォード一行だな?」
剥いでなめした毛皮を上半身にかけた薄汚い禿頭の男が
「襲撃者か。マグクール侯……ではないな。ならば、あの
「誰でもいいでしょう?アルス。こいつらは君の命を狙っている襲撃者。それだけで充分だ。」
カイルの厳しい声で応え、騎兵たちは即座にアルスフォードを囲み、円陣を敷き、襲撃者たちを迎撃する。
それをきっかけに、襲撃者たちは全方位からアルスフォード一行に襲い掛かる。
馬を巧みに操り、襲い掛かる襲撃者たちを手際よく各個撃破していく騎兵たちであったが、敵の数はなかなか減らない。いや、気づけば、切り捨てられた襲撃者の死体が馬の動きを鈍くするほどの数になっていく。
いくら騎兵の練兵度が高くても、これでは自慢の機動力が抑えられ、防戦に徹するしかない。
「ああああ、面倒だな。アルス、少し下がって!
「カイル、その手は危険です!敵の狙いは、こちらの疲弊だけでなく、強行突破による兵力の分断です!陣を守りつつ進撃すべき」
苛立ったカイルが詠唱を始めるが、つかさず、フレデリックがそれを制する。ここで
そうなれば、こちらが炎にまかれ、孤立させられる。使うならば、
「よせ!カイル!!」
遅れて、狙いに気づいたアルスフォードがカイルの前に出た瞬間、草むらから飛び出した―両手に短刀を振りかざした男がその無防備な背に襲い掛かった。
「アルス!!」
悲鳴にも似たカイルの叫びが木霊した。
だが、次の瞬間。彼らの背後から飛び上がった影が一瞬にして、襲撃者を一刀で切り伏せる。
「な、なんだ?!テメーはっ!!」
「早々に引け。そして、お前らの雇い主に伝えろ。これ以上、介入してくるならば、我らが相手をする、とな。」
千載一遇のチャンスを狙っていた襲撃者の首領は突如現れたフード姿の人物に
「ハッ、そんなんで引くと思って……」
「悪いが、隠れていた伏兵百数十名。全て片付けさせてもらった。伝令がいないと、こちらとしても困るんでね。」
高圧的に言い返す首領にフードを外しながら、その人物は一歩前に踏み出す。
フードの下から現れたのは、額に金剛石が埋め込まれた金の縁取りが施された白の半仮面―『七星』最強・神極。
その仮面を見た瞬間、生き残っていた襲撃者たち十数人が悲鳴を上げて我先に、と逃げ出していく。あとに残された首領は静かだが、圧倒的な覇気を放つ神極の前に腰を抜かし、恐怖で顔面を引きつらせる。情けないことに失禁したのか、尻のあたりが濡れていくのが見えた。
「おや、逃げた奴がいるか……なら、お前はいらないな。」
口元をわずかに上げる神極。
一陣の風が吹き抜けたと同時に、首領の首がごろりと地に転がる。あまりにも鋭利な一撃に血しぶきさえも起こらない、見事な動きにアルスフォードたちは見惚れてしまう。
「アルスフォード辺境伯、この先のゴミは全て片付けてありますが、ゆめゆめご油断なさらぬように。」
一度だけアルスフォードたちを見据えた神極。だが、吹き抜ける風と共に姿が消え失せていた。
「あれが『七星』最強の神極。あの強欲な盟主が自慢するわけだ。」
「ええ、とんでもない御仁ですが、心強いですね。」
一瞬にして片を付けてしまった神極にカイルとフレデリック、精鋭の騎兵たちは驚嘆するも、ただ一人、アルスフォードのみがわずかに厳しい表情を浮かべていたことに気づくことはなかった。
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