閑話 辺境伯

—王都へ至急帰還すべし。

 シュレイセ王国の北方にある国境の領地・ナジェル。

 執務室に届いた王からの書状に、このナジェルを治める辺境伯の青年は珍しく渋い表情を見せ、側近でもある友人たちが心配する。

 赤味がかった金髪に、ややつり上がり気味だが、温和な印象を与える蒼い瞳。整った端正な顔立ちは領地であるナジェルだけでなく、貴族の夫人や令嬢に王宮に仕える女性たちを魅了するが、当人は気にも留めていない。

「どうかしたのかい?アルス。」

「ああ、陛下からだ。何か騒ぎがあったらしい。至急帰還しろ、とのお達しだが、オレが戻ったところで解決できるとは思えんが……」

「いえ、解決しますから!早急に準備しますね!」

「そーだよ!アルス。君が戻れば万事解決だよ!」

 言うが早いか、飛び出していく黒髪に片眼鏡をつけた青年をよそにもう一人の蓬髪の青年がアルスの両肩をがっしり掴んで、前後に揺さぶる。

 見目もよく、頭もよいアルスだが、若干―いや、かなりの天然が入っていて、時折どこかずれた発言をするせいで、側近の友人たちのツッコミスキルはかなり磨きこまれ、今ではツッコミ入れている間に誰が段取りを整えるのかまで動けてしまう。

 仕えている家臣たちは若き領主と側近たちのやり取りを微笑ましくも楽し気に見守っているが、王都からの、しかも国王陛下からの勅令とならば、呑気なことは言ってられない。

 飛び出していった黒髪の青年からの緊急招集で事態を把握した家臣たちは早急に領主であるアルスの王都帰還の手筈を整えるため、大慌てに動き出す。

 ナジェルは北にメルベイア王国、東に帝国、西にウィンレンド連邦共和国に囲まれた国境警備の要で、王国で重要視されている地だ。

 そんな難しい地をまだ二十三歳の若さで見事に統治している青年・アルスフォードは名君の才があるとして、家臣たちだけでなく、領民からも深く慕われている人物である。

 要衝の地といっても、東の帝国や西のウィンレンド連邦共和国とは友好関係にあり、平和なものだが、北のメルベイアはシュレイセを虎視眈々と狙っている敵対国家で、難癖をつけては、小さな諍いや衝突はしょっちゅう起こしている。

 だが、幸い大きな戦闘には発展していない。それはそうだ。友好国の帝国やウィンレンドから手痛い反撃を喰らい、殲滅寸前の目にあわされるからだ。

 いい加減こりてくれればいいんだが、と思うアルスフォードと違い、側近たちはやられたら、それ以上の痛い目に合わせているので、このところは静かなものだったが、まさか王都で騒ぎが起こり、帰還命令が出るとは考えてもいなかった。

「アルス。君、まさかこんな騒ぎになるとは思わなかったとか言わないよね?」

「?なんで分かった、カイル。」

「あああああああああ、何言ってるの??!!本当にっ!いいかい?あのソフィーヌ妃のバカ息子だよ。騒ぎを起こさないわけないじゃないか。」

 驚いた表情を見せるアルスフォードに蓬髪の青年・カイルは髪をかきむしって絶叫する。

 あのバカ王子が学園に入学。しかも温情で二年に進級した話を聞けば、問題が起こらないわけがない。さらに止めるべき側近たる連中が全員、下級貴族の小娘に骨抜きにされて、恋愛お花畑で好き勝手しているとの報告があれば、いずれは帰還命令が下るだろうと、カイルをはじめとした側近だけでなく、家臣たちも思っていた。

 だからこそ、領主不在の間の体制を整えてあったから、いつ出発しても問題はない。問題はないが、当のアルスフォードが持ち前の天然を爆発させて、ずれた発言してくれるから、大絶叫したくなる。

「ウィンレンドからも忠告されたじゃないか。クリストフがバカ騒ぎ起こしたから、こちらでも動くよ、って。」

国王陛下から依頼があったんじゃないの。

 疲れ切ったように説明するカイルに、大したものだ、と、アルスフォードは感心する。

「感心していないでください、アルスフォード。この国の危機です。国王陛下が呼び戻すなんて、相当まずい事態ですよ。ウィンレンドが動いたことも考えれば分かりますよね?」

 手筈を大慌てで済ませて、執務室に戻ってきた黒髪の青年・フレデリックはアルスフォードの天然ぶりに脱力しつつも、かろうじてこらえる。

「ああ、『七星』だな。シャルーナの最強パーティーが動いているなら、事態は深刻だろうな。」

「分かっているなら、動こうよ!君が動けば、万事解決さ。」

「カイルの言う通りです。戻らなければ、また後悔しますよ。」

 それでもいいのか、と言外にフレデリックから問われれば、アルスフォードは黙るしかない。

 赴任したばかりで動けない、と言って、戻らなかった三年前。ファルティナが実質の追放を受けた原因。それを知って、どれほど後悔したか、分からない。

 今の状況があの時と同じであるならば、もう二度と同じ後悔は味わいたくなかった。

「アルスの天然なところは良いよ。むしろ、あの二人よりもずっと好ましいし、私は大好きだよ!けどね、こればかりは見逃せない。陛下のご命令通り、早急に戻るべきだ。」

 カイルに悪気はない。なにせアルスフォードの側近として、バカ王子が王太子を僭称し、好き勝手放題していることを新聞や交易商人たちから聞かされていれば、許せるわけもない。

 同意見のフレデリックからも鋭く見つめられれば、アルスフォードに勝ち目などない。むしろ、自分も後悔はしたくなかった。

「王命に従う。カイル、悪いが、ジェームズを呼んできてくれ。王都へ戻る間、あいつとエルドに領主代行を任させる。カイルとフレデリックは一緒に来てくれ。ウィンレンド……いや、盟主を怒らせるのは得策ではない。」

 決意と自分の読みを口にすれば、たちまち二人は嬉しそうにうなづく。それでこそ、アルスフォードだ、と。

 「ウィンレンドは我が国に『七星』を二人送り込んだ。だが、それ以外の『七星』も動いていると考えるべきだ。」

「事態は僕らの予想を超えている可能性が高いわけですか。」

 それまでのどこかズレた感が消え失せ、怜悧な表情で自らの読みを告げるアルスフォードにフレデリックは一気に青ざめる。

 クリストフの騒ぎ程度ならば、まだいい。だが、あの歩く人災・ファルティナまで戻ってきたことや『七星』二人が潜入したことを鑑みれば、状況は思っている以上に悪いのでは、とアルスフォードは思うのだった。

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