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 ヴィオーラ侯爵令嬢の襲撃失敗の知らせに、エリナは忌々しいとばかりにテーブルの茶器を払い落とす。盛大な音を立てて、高価な磁器のカップやティーポットは砕け散るが構いはしない。

 あのすまし顔の侯爵令嬢を痛めつけて、他国の娼館に売り飛ばしてやれると思ったのに、失敗するなんてふざけてる。絶対大丈夫だ、安心しろとほざいた王弟公の次男と宰相の次男たちも情けない。

 せっかく全て上手くいっていたのに、突然乱入してきたあの暴走王女がぶち壊してくれた。クリストフたちからの話では、国王の逆鱗に触れ、追放された身。帰国も許されていないのに戻ってきたから、すぐに追い出されるはずだったが、そうはならなかった。

 何を考えているかは知らないが、国王アルフレードはいきなり帰国を許しただけなく、王立学園への入学も許した。しかも王位継承権は自分にあると宣言し、クリストフが仕切っていた生徒会を取り上げて、改革の名のもとに自分たちの特権を根こそぎ奪いつくしていく。

 おかげで、クリストフたちは一般生徒扱いにされた上に、王の命令で生活費までガッツリ削り取られて、監査役までつけられた。少しでも無駄遣いをしようものなら、さらに削られるだけでなく、監査役から大説教を受ける状況。

 何か購入するにしても、全て王からつけられた監査役の決裁が必要になり、今までクリストフやリヒトたちが競って贈ってくれたドレスや宝石、調度品まで対象になり、全て没収され、競売にかけられてしまった。

「あの王女、邪魔よ!!暴走、迷惑、歩く人災、害獣のくせに、なんであれだけ一般生徒たちから人気があるのよ!!」

 地団太を踏んで悔しがっても状況は変わらない。クリストフたちが対抗策を打っても、ファルティナが先手を打ってしまい、反撃もままならない。

 悔しい。ここまで思い通りにいかないなんて今までなかった。ファルティナがいる限り、エリナは王太子妃、未来の王妃にはなれない。

 顔と身分だけは良いが、それ以外は全く取り柄のない王子に取り入ったのに、冗談ではない。自分は王妃となり、クリストフを操って、このシュレイセ王国を支配するのだ。王に取り入るのに失敗しただけでなく、王の命令で下級貴族の父・バラーナ男爵のメイドにされた母と同じになりたくはない。母とは違う。

「国王陛下どころか王族の男性全員から見向きもされず、男爵のお手付きになった母君と同じになりたくないのは分かりますが、物には当たらないでください。今までと違って自分で買わないとなりませんからね。」

「っ!分かっているわよ!!でも、あなただってこのままじゃ困るでしょう?」

 押し込まれた学園寮の部屋は最悪で、侍女も与えられず、身の回りのことは全て自分でやるように、皆の前で寮監からきつく言われ、悔しさのあまりきつく唇をかみしめたことを思い出して、怒りを燃やすエリナを御用達商人であるローゼンは落ち着きなさいとなだめにかかる。

 褐色の髪に緑の瞳を持ち、商人にしておくにはもったいないほど整った顔立ちをしたローゼンはエリナが学園に入学して以来、色々と付き添ってきた人物で、寮に入ることも許されている。

 これまで順調にクリストフに近づき、その寵愛を一身に受けるようになったエリナは贅沢の限りを尽くせたが、今はそれができない。一度覚えてしまった甘い蜜を忘れるなどできるはずがなかった。

「そうですね。私も困りますが、怒っても仕方ないでしょう?あの王女は帝都のクランに所属する前に自らパーティーを率いていた御仁です。平民の暮らしをよく知っている。何をすれば民が喜ぶかを分かっている。あなた方の勝手を厳しく取り締まれば、誰もが彼女を支持するんですよ。」

「でも、あの王女は追放されたんでしょ!なんで戻ってくるのよ!!」

「ええ、その通りです。彼女は出奔した従妹のサイフト公爵令嬢を探し出さなくては帰国は許されていない。」

 ヒステリックに叫ぶエリナにローゼンは笑顔を崩さず、小さな子どもに言い聞かせるように言い聞かせる。

 そう、ファルティナの帰国は本来許されていない。名目上、サイフト公爵令嬢が国内にいるとの情報があったから帰国できたが、その令嬢がいないならば、帰国理由がなくなる。一応、ファルティナは彼女を探しているようだが、手掛かりさえないようだ。ならば、いずれは出国しなくてはならない。

「時間がたてば、ファルティナ王女は出国しなくてはなりません。それまで大人しくしていなさい。もちろんクリストフ王子にもそう伝えなさい。」

「できるはずないわっ!あの女、こちらの勢力をどんどん削り取っていくのよ?クリストフ王子たちがどんなに頑張っても敵わないんだから。」

 悔しさのあまり、泣き伏すエリナをなだめながら、ローゼンは腹の中で笑っていた。どんなに学園の生徒たちから支持されようとも、ファルティナ王女は西の諸王国から恨まれ、全ギルドから加入・所属を拒否された身。王位継承を望んでも、他国から白い目で見られている彼女が王になることは不可能。それに、王宮のことに疎いらしいので、こちらの正体に気づくわけもない。

 現に温厚な商人にしか見えないローゼンが疑われたことは一度もない。ファルティナ王女とも数回顔を合わせたが、特に何も言われなかった。

 それもそうだ。なにせ自分はクリストフ王子の母である王妃・ソフィーヌ妃の信頼を勝ち取った商人として、揺るぎない立場にある。

見た目は可愛らしく、庇護欲をそそるが、損得で切り捨てることができるエリナがとりたて大騒ぎする事態にはならないと確信していた。

「うん、鋭いカンは褒めてやるけど、クリスにすり寄った時点で詰んでるんだよね~お前ら。」

 使い魔からの送られてきたエリナとローゼンのやり取りを水晶球から見ていたレティアはうっそりと笑う。

 こんな危ない話を寮の外れに押し込まれたとはいえ、結界魔法もなく部屋でしゃべるなど間抜けもいいところだ。

 さて、用は済んだから自室に戻るか、と思うレティアの周りに転がっている数人の死体。全て学園の裏庭に控えていたエリナ、いや、ローゼンの配下である暗殺者たちのものだ。放っておけば、翌朝、騒ぎになるが、レティアもバカではない。

 右手に小さな青白い炎を生み出すと、空に向かって突き出す。その瞬間、炎が小さく収縮し、こぶし大の炎となって死体に落ちる。

 一瞬にして死体は黒焦げから消し炭と化し、吹き抜けた風によって散っていく。痕跡は一切ない。これが格の違いだ。

 どうせこいつらは捨て駒だから、気にも留められない。哀れな連中だ、と一瞬だけ思い、レティアはすぐに忘れた。

 王の打った手がそろそろ結果を持ってくる。それを待って、どう動くかを判断しようと決めていた。

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