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「ファルティナ様、王太子殿下とリヒト様に謝ってください!」

「なぜ私が詫びる必要がある。たかが男爵の小娘ごときが私に命令するとは、どういう了見だ!!」

 これ以上の騒ぎは起こる、と確信していたレティアは予想通りの行動をしてくれるエリナに肩をすくめる。

 貴族階級で下位にあたる男爵の娘でしかないエリナが最上位の王族、しかも、王女であるファルティナに声をかけるだけなく、呼び止めて謝罪を要求するなどあり得ない。

 貴族の常識を知らないこともだが、普通、クリストフたちの醜態を見れば、歩く人災と呼ばれる王女・ファルティナに物申すことが命がけになることが分からないなど一般の生徒達には信じがたい。

 ただレティアとアシェの目には、どんな根拠があるかは知らないが、自分は大丈夫、いや、こうすれば、多くの生徒たちの同情を買えるというエリナの打算が見え、つまらない。

 しかし、相手はファルティナ。逆鱗に触れたのは言うまでもなく、冷たく見下すまでは良かったが、腰に帯びていた短剣を抜き、エリナの頬を一刀のもとに切り裂く。周りにいた生徒たちもさすがに悲鳴を上げ、その場から動けなくなるが、エリナは声も上げることもできず、そのまま切り裂かれることを確信し、顔が恐怖に染まる。

 だが、その刃が頬に届く寸前、反対方向から素早く投げつけられたペンが当たり、その軌道をそらし、エリナの髪を一束切り落とすのみに留めた。

 ばさりと廊下に落ちた自分の髪を見て、顔面蒼白になり、その場にへたりこむエリナにファルティナは短剣を突き付けたまま、廊下の端に転がるペンを一瞥し、盛大に舌を打つ。

 どこの誰かは知らないが、相当腕の立つ奴がいる。目の前でへたりこんでいる目障りな小娘など切り捨ててしまいたかったが、やり過ぎるとクランへ報告されかねなかったので、感謝せざるを得ない。

「姉上!!」

「ファルティナ様、無抵抗の女性に刃を向けるなどあり得ませんっ!!ここは神聖な学びの場です!!」

 治癒魔法で治してもらったらしく、痣一つない顔を怒りで真っ赤に染めたクリストフが駆け付けると、震えるエリナを抱きしめて庇い、その二人を守るようにアイセンが剣を抜いて立ちふさがる。

「アイセンっ!貴様、王女である私に刃を向けるとは、どういう了見だっ!クリス、神聖な学びの場など、お前が言うな。お前たちこそ、どういう神経をしている。」

 ふざけた非難をする弟もだが、騎士団長の息子にすぎないアイセンが王族である自分に剣を向けたことにファルティナの怒りが爆発する。

 見守っていた生徒たちもさすがにこの暴挙には呆れ顔だ。

 ファルティナが怒るのも無理もない。いくら歩く人災だとか、害獣だとか、暴走王女だとか言われても、ファルティナはこのシュレイセ王国の王女だ。それに刃を向けることは王家に対する反逆・背信行為。即刻、死刑とされても文句は言えない行為だ。クリストフを守るためでも、言い訳にならない。

「あ、姉上っ。」

 自分とエリナを守るためとはいえ、アイセンが姉に刃を向けたことの重大さに気づき、青ざめるクリストフ。アイセンも蒼白になり、刃を下すに下せない状態になる。

「男爵の娘なのかどうかも分からん素性の小娘に入れ込み、王女である私に刃を向けるなど愚劣の極み。発情した犬のように尻を振るう女のどこがいい!!」

 鋭いが、仮にも一国の王女が言うセリフにしては下劣すぎ、レティアは頬を引きつらせ、隣にいるアシェは笑いをこらえるのに必死だ。

 正論で分があるのはファルティナだが、場末の酒場でのケンカみたいなセリフを言ってのけるのはどうなんだろう。面白いから構わないが、バカすぎる従姉弟たちの醜態にレティアが哀れすぎる。

「エリナを侮辱するな、姉上!」

「黙れ、クリス。何度も言うが、王太子を僭称するな。お前が王位をつくことはない。アイセン、この件は学園長を通して、騎士団長であるディバー伯爵に抗議する。覚悟しておけ。」

 どうやら、お前たちは甘やかされてきたようだからな、と吐き捨て、ファルティナはクリスたちに背を向け、廊下の奥へと去り、それを呼び水に見守っていた生徒たちもその場から散っていく。生徒の誰一人として、クリスたちを気遣わない。

 下手に関われば、ファルティナのことを悪しざまにののしる彼らの愚痴に付き合わされることは間違いない。そのせいでファルティナの怒りに触れたくはない。

 それ以上に今までクリストフの母妃の怒りを恐れて誰も咎めたかった恋愛お花畑集団を公然と咎めたファルティナに皆、心から喝采を送っていた。クリストフたちのせいで、苦々しい思いをしてきた者たちにしてみれば、スカッとする出来事だったのだから無理もない。

「派手にやってくれるのはいいけど、もう少し自覚持てないのかな~あいつら。」

「持ってたら、あんな小娘に入れ込まないだろうね。貴族だけなく、平民からしてみれば、仕える次期王があれじゃ幻滅する。人心が離れまくってるのに、王太子を僭称する自信ってなんだろうね。」

 ファルティナや他の生徒たちがいなくなって、やっと正気に戻ったクリストフが癇癪を爆発させ、今更、駆け付けたリヒトとヴォルフに八つ当たりする姿に、アシェは面白い見世物が見れたと笑い、レティアはバカすぎるだろ、と、背を向ける。

 置いてかれてはたまらないので、慌てて追いかけようとするが、ふと気づいて、アシェはレティアに声をかける。

「レティア。俺、ちょーっと探ってくる。いいよね?」

「ああ、分かった。任せるよ。私も私で調べたいことができた。」

 ニッと人懐こい笑みを浮かべ、アシェは風のように姿を消す。レティアも嘆息をこぼしながらも、その場を足早に駆け出す。

 まだ直接ファルティナと顔を合わせていないが、先ほどエリナへの攻撃に対して、介入したことに気づかれている。誰がやったのかは気づかれていないが、警戒してくるのは目に見えている。だてにクランでソロ活動をしてはいないのだ。生徒の中に手練れが隠れている意味にも気づいている。

 下手に気づかれては厄介になるし、会いたくもない。それだけ、あの従姉にかけられた迷惑は桁外れだった。今思い出しても腹が立つ。

 ただ、あれだけの騒ぎを起こしたからには、ファルティナがどう動くかは検討がつく。それならそれで利用させてもらう。迷惑料分には程遠いが、こちらの役に立って貰う。

 歩く人災の真骨頂が始まるのを横目で見ながら、レティアとアシェは自分たちの成すべきことを始めた。

 

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