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 目の前の現実を信じたくないレティアだったが、他の生徒たちには一連の騒ぎは恒例行事らしく、特に騒ぎ立てず、それぞれ席に着く。と、同時に基礎政治学の教師―見事な白髪と豊かな髭の老人が入室してくる。

 相変わらずの騒ぎに嫌気がさしているのか、教師はクリストフたちを一瞥し、小さな溜息をこぼすと、授業を始める。

 正直言ってしまえば、王子と王弟公の子息や宰相の子たちが揃って基礎クラスにいるなど嘆かわしい限りだが、他の生徒の学びを止めるわけにはいかない。

 教師として、学ぶ意欲のある生徒に教えることが務めだと言い聞かせて、教室を見まわし、ある席に座る二人の留学生の姿に目をわずかに見開いた。

 本日付で、しばらく学園に通うことになったウィンレンドからの留学生の一人。

 その顔に教師は見覚えがあり、その人物も気づいたらしく、小さく苦笑し、目で授業を進めるように告げると、気を取り直し、粛々と授業を始めた。

 さすがに授業中は大人しくしていたクリストフだったが、教師がいつもと反応が違ったことに気づき、その視線を追うと、見慣れない二人の生徒にいたことに表情をしかめた。

「お前たち、どこから来た。」

 授業が終わるなり、クリストフは二人の前に来ると、尊大な態度で詰問する。それは彼にとっては当然の行為だったが、詰問された方の―特にレティアは呆れのあまり固まった。

 最後に会ったのは三年前だったとはいえ、一応、従姉だ。しかも同い年で若干生まれ月が早かっただけの親族を忘れるものか。隣にいるアシェもあまりのバカさ加減に呆れて、顎が外れるほど口を開くが、すぐに正気に戻る。

「ウィンレンド連邦共和国からです。それがどうかしましたか?」

 わずかな間をおいて、愛想笑いを張り付けたアシェが答えると、クリストフはくだらないことを聞いたという表情を浮かべ、鼻で笑う。

「ああ、そうだったか。あんな山国の田舎からシュレイセに来るとは、さぞかし驚いただろうな。ここで学べることを感謝するといい。田舎者には分不相応だがな。」

 その言葉に追従し、リヒトやアイセン、ヴォルフも侮蔑の視線をアシェとレティアに向け、エリナはあからさまな憐れみを込めた目で見る。

こいつら、殴っていい?いや、殴らせろ、てか、殺やせろ。

 アシェは剣呑な光を目に宿らせ、表情を消し、本気でやってやろうかと思う。故国を侮辱され、黙っているほど大人になれない。

 そんなアシェに気づかないのはクリストフたちだけで、他の生徒たちは違った。

 ウィンレンドを公然と侮辱するなど、あってはならないことだ。大陸最強国家からの留学生に貶めることはウィンレンドを貶めることになる。なんて恐ろしい事を言ってくれるんだ、と生徒たちは一様に青ざめてしまった。

 東の帝国でさえ、あの国を恐れて手を出さないのに、バカなことを言うな、と心の内で全員が叫んでいた。

「おや、殿下。次の授業時間が迫っておりますぞ。早く行かれなければ、国王陛下にご報告させていただきますが……いかがしますか?」

 一触即発になりかけた両者に割って入ったのは、穏やかだが有無を言わせぬ強さを秘めた老人の声。その声に見守っていた生徒たちから安堵の息が漏れ聞こえ、クリストフたちは教授、とうめき、表情をこわばらせる。

「そちらのウィンレンドからの留学生がたは私と来ていただけますかな?転入手続きでご説明せねばならぬことがある故、学園長より申し付かっておりますのでお願いいたします。」

 さあ、行きますぞ、と二人を促す教授にレティアとアシェはおざなりにクリストフたちに頭を下げると、先を歩いて行ってしまう教授の後を追いかけた。

 教室を出た後、石造りの廊下を歩いていくと、校舎の東棟にたどり着く。そこから螺旋階段を上り、三階にある一室に招かれる。

 部屋のドアが静かに閉まると同時に、教授は振り向くなり、レティアの前に膝をついた。

「お久しぶりでございます、レティア様。お元気そうで何よりでございます。」

「ご無沙汰をしておりました、ロズウォール先生。」

「へぇ、レティアの知り合いだったんだ。」

 膝をついたまま、頭を下げる教授・ロズウォールにレティアは苦笑し、まあね、と答える。

 アシェの言う通り、この基礎政治学の教授・ロズウォールは元王宮教師で、レティアたちを教えていた人物だ。もっとも、王宮教師の期間は一年でしかなかった。

 何はともあれ、ロズウォールを立ち上がらせると、部屋の中央に置かれた応接用のソファを勧められ、そこに座ると、向かい合うようにロズウォールもソファに腰かけた。

「レティア様がお戻りになられた、ということは、此度のクリストフ様たちの一件でございますな。」

「ああ、そうだ。陛下のご依頼でね。なにせ、ファルティナまで帰ってくる事態だからね。どうにか収めたいというのが、陛下の願いだけど、荒れるのは必至だね。」

「目に見えますな。クリストフ様だけでなく、あのファルティナ様までお戻りになられるとは……」

 疲れ切ったように嘆息するロズウォールにレティアはかける言葉が見つからない。それもそうだろう。あの暴走王女が戻ってきたとなれば、穏便に物事が収まるはずがない。

「俺も聞いたし、遠目で見たことあるけどさ、あの王女様って本当に歩く人災だよな。盗賊とか魔物退治で村一つ壊滅させて逃亡するとか当たり前で、いっつも逃亡する常習犯で有名だもんな。」

 明るい口調でさらっと言ってくれるアシェだが、内容はかなり物騒というか、大迷惑な話だ。

 返す言葉もございませんな、とロズウォールは何とも言えない笑みを浮かべ、がっくりと肩を落とす。見れば、その疲労の色は濃い。

 頭は良かったが暴れることが好きな王女と容姿以外良いところなしの王子。そんな二人が王の実子で自分の教え子となれば、頭が痛いどころではない。

 正直言ってしまえば、レティアの兄二人とオーウェルの嫡男は優秀で礼儀正しい子たちだったので、ロズウォールも教えがいがあったが、ファルティナとクリストフはどうしようもなかった。

 一度教えると、飽きてしまい、どこかに飛び出していくファルティナ。教えても教えても、一向に学ばず、我が侭で傲慢なクリストフ。思わず叱れば、ファルティナは反省の態度を見せるが、クリストフは逆に怒り狂い、母妃に告げ口してくる始末。

 とても手に負えず、見かねたレティアの兄たちがアルフレードに訴え、形式的には体調不良を理由に王宮教師の座を辞させ、学園で基礎政治学の教授に任せられた。

「レニール様、レオニール様、アーウェン様は誠に優れた方々でした。ご留学されるのも当然でございましたな。」

 自慢の生徒であった彼らが早く戻って来てほしい、と言外に言われ、自分も似たようなものだ、と自覚があるレティアは渋い表情を浮かべることしかできなかった。

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