第69話 ココアスプラッシュ!
「マキ……さん? ちょっと、言ってる意味が……」
ずれたサングラスを直しながら、鞘伏は困り果てた顔で口にする。
場から去ろうとする鞘伏と、袖を掴んでそれを阻むマキ。二人はせめぎ合い、制止したままプルプルと震える。
鞘伏が一旦抵抗を止めるも、マキは袖を掴む力を一切緩めず、表情筋も弛めない。
「私に稽古をつけてってこと。良いでしょ? 暇そうだし」
「ふざけんなよ。付き合ってられっか!」
鞘伏はマキの手を振り払った。
「痛っ! ひどっ」
マキは赤くもなっていない手を優しく擦る。
「絶対痛くねえだろ」
「ここで大声上げちゃおっかな~?」
振り払われた手を覆い隠すように体を縮こまらせ、マキはより一層口角を上げて鞘伏を見た。
「おまっ……!」
鞘伏は素早く周囲に目を向ける。
二人のやり取りを不審に感じたのか、通行人達の視線が集まりかけていた。
「分かった! 話は聞くから。な!? とりあえず、ここから移動しよう!」
鞘伏がマキの手を取り、強引に連れ出した。
――勝った
満足げな表情を浮かべたマキは脱力し、鞘伏の誘導に身を任せた。
「とりあえず、まぁ、好きなもん頼んで良いぞ」
鞘伏はマキを連れ、少し離れたカフェに入っていた。
お金がないマキにとっては願ってもない話であるのだが、彼女は眉間に皺を寄せて鞘伏を見る。
「……ねぇ。なんで外の席なの? 普通に席空いていたのに。寒くないの?」
マキの言葉に呼応するかのように空っ風が吹く。
「え。あっ、ごめん。あんまり考えてなかったわ。なんとなく、テラスの方が良いのかな~って思ったんだけど……。席、替える?」
「まぁ、奢ってくれるんだから、別に良いんですけど。むしろ、ありがとう、ございます」
鞘伏に悪意がなかったことを確認すると、マキは睨み付けるの止め、感謝を口にした。
「おお、ちゃんとお礼とか言える子だったんだな!」
「むっ……」
鞘伏は一瞬でマキをしかめっ面にさせた。
「そういう可愛いところがねぇと、奢り甲斐がないからな! で、何にするよ?」
「……美味しいもの」
微笑む鞘伏に対し、マキはむすっと投げやりに言う。
「ざっくりすぎるだろ! 完全に主観だし。じゃあ、まぁガキだし、とりあえずココアでも飲んどけよ。温まるだろうし」
「ココアって何?」
「熱くて甘ったるい飲み物。ちなみに俺は苦手だ」
「じゃあ、それ」
マキは即答した。
「……今の、俺が苦手ってのが決め手だったりする? ま、どうでもいいか」
鞘伏は店員を呼び、ココアとブラックコーヒーを注文した。
品が運ばれてくるまで、二人は言葉を交わさなかった。マキはただジロッと鞘伏を見るだけで、鞘伏はそんなマキから目をそらし、ただただ居心地悪そうにしていた。
「お待たせしました~」
暫くして、注文の品が運ばれてきた。木製の丸いテーブルにカップが置かれると、僅かに液面が揺れて湯気が立ち上がり、甘い香りがマキの鼻を包み込む。
「良い匂い……」
「遠慮せず飲めよ」
鞘伏がコーヒーカップを持ち上げる。マキを気遣ってなのか、すぐに口を付けようしたが、息を吹き掛けてコーヒーを冷ます。
「結構熱いから気を付――
「いただきっ――熱っ!!」
涙目になったマキは、舌の先端を外気に曝す。マキの滑稽な様子を見た鞘伏は吹き出した。
「ふはははっ! だから言わんこっちゃ――熱っ!!」
鞘伏はマキを嘲笑った拍子に手元を狂わせ、跳ねたコーヒーが手にかかった。
マキは十分に息を吹き掛けた後、ゆっくりと口を付ける。
「お、美味しい! 甘い!」
マキの顔がほころんだ。
「こんな美味しい飲み物があるなんて……! 全然教えてくれなかったじゃん、忍さん」
「よく、そんな甘ったるいものを飲めるなぁ。見てるだけで気持ち悪くなるわ。ん? ところで今――
「あぁぁぁっ!?」
マキが愕然とした表情で声を上げた。
目を大きく見開くマキに、鞘伏も少し面食らう。
「ど、どうした!?」
「……ない」
「は?」
「……ココアがもうない! なんで!?」
マキはココアが入っていたカップを口の上に持ち上げ、一滴たりとも逃さないよう、向きを変えて傾ける。
「…………はっ!?」
鞘伏は目を見開き、口を大きく開けた。信じられないといった様子で、熱くて触れないかのように両手をまごつかせた。
「え? 嘘だろ? 結構熱かったはずじゃ? そんなの一気に飲める!? 喉強くね!?」
「美味しいから、早く飲まなきゃって思ってたら、すぐなくなっちゃった……」
「えぇ……。誰も取ったりしねえよ。にしても、お前すげぇな。そんな風に飲んだら、火傷するか腹下すぞ」
「……もうないなんて」
空のカップを眺め、寂しがり屋の子犬のようにしょんぼりするマキ。そんなマキを見て、鞘伏はポリポリと頭を掻く。
「あーっとだな、別におかわりしても良いぞ?」
「良いのっ!?」
鞘伏の言葉を聞いた瞬間、マキは目を輝かせる。
「お前は犬か! 分っかりやすいやつだなぁ……。はぁ。わりぃ、そこの姉ちゃん!」
鞘伏は店員に向けて手を挙げた。
「は~い! 何でしょうか?」
「コイツにもう一杯、ココアを出してくれ」
「かしこまりました~」
店員が空のカップを下げていった。
マキは意識は全てココアに持っていかれ、余韻を楽しむように唇を舐めていると、鞘伏の表情が真剣なものに変わった。
「ところでよ、お前さっき『忍』って言わなかったか?」
「ふっふふ~ん……へっ?」
マキが急に我に返る。
「へっ? 私、そんなこと言った?」
「言ってたじゃねえか」
「えっ……」
マキは一気に顔を引きつらせる。
やばい。全然覚えがないんだけど、多分言っちゃったんだ! よりによって警志隊の偉い
青ざめた顔で、やや下を向いたマキは瞬きを繰り返す。
「コイツが言うってことは……」
やばいやばいやばいやばい……
マキは膝に両手を乗せ、ビクビクと震え出す。
「依田って名が偽名だろうとは思っていたが」
鞘伏はマキを他所に、どこか一点を見つめながら呟く。
マキの鼓動が速くなっていく。
「もしや……」
「あー、えーっと……」
鞘伏が続きの言葉を発する前に、何とか誤魔化そうとするマキ。
「お待たせしました~」
店員の声と、机に置かれたカップの乾いた音が、二人に一瞬の間を作り出した。
――こ、こうなったら!
どうにか空気を変えたいという思いだけが先行し、頭が真っ白になったマキは熱々のココアを一気に口に含む。
ぶつぶつ呟いていた鞘伏が、顔を上げてマキの目を見た。
「その、『忍』っていうのは依田のことなのか?」
――ブーーーッ!!
マキは盛大にココアを噴き出した。
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