第66話 涙の消滅

 マキは赤く腫れ上がった頬を優しく擦りながら、赤髪の忍の分身に鋭い視線を送る。


「そりゃ、油断した私がバカでしたけど、それにしてもひどくないですか!?」

「何がだ?」

「い、一応女の子なのにぃ!!」

「本体だって、いつもこうだろ?」

「うぐっ……。そうですけど! 仕方ないじゃないですか! いきなりハンバーガーとか聞こえたからぁ!」


 分身相手に八つ当たるマキ。


「今回の失敗を教訓にするしかないだろう。剣術大会は真剣を使わないから良いとしても、実戦で気を取られたら致命的な隙になる」

「は、はい……」


 あれ? 何だろう。そんなにキツイ言葉が来ない。


「じゃあ気を取り直して、もう一回いきます!」

「よし、こい」


 今度こそ油断するな――ホットドッグ――えっ、何その響ぎゅえぉぅっ!?


 またしても気を取られるマキ。今度は後頭部を木の枝で叩かれた。


「痛いぃぃぃ」


 マキは足をバタバタさせて地面に転がる。


「さっきと全く同じことをしてどうする?」

「うぅぅぅ……。何なのかさっぱり分からないけど、魅惑的に思える言葉が聞こえて、つい……」

「なるほどな。今回、本体が使った洗の……、詰め込み教育のための魔法は――


 分身忍さんも今、洗脳って言いかけたね……。『詰め込み教育のための魔法』とか、言いにくいでしょ。洗脳でしょ、洗脳。


「脳に語りかける性質上、かけられた者の意識に引っ張られやすい。大方、マキの食欲に吊られ、食事関係の言葉が優先的に流れたんだろう」

「それ、めちゃくちゃ恥ずかしいですね」

「そこはいい。問題はマキが気を取られたところだ。集中が足りていないと言わざるを得ない」

「……はい」


 マキは分身の言葉に備えて体を強張らせる。


「ただ、集中が乱れているのには、発動中の魔法が大きな要因ではある。そもそも本体があえて就寝中ではなく、わざわざ日中に発動させたのも、集中を削ぐ狙いがあった。つまり、今のマキは狙い通りの状態というわけだ。そういう意味では良い鍛練になっていると言えよう。ここからは同じ話の繰り返しになるが、この失敗を好機と捉え、改善していくしかない」

「えっ……」


 マキの緊張がすっと解れる。


 こ、これはっ……! 気付いた! 分身忍さんの方がちょびっと優しい! 本物とは大違い!

 でも分身なのに性格変わるのか!? むしろ分身の方が人間味があるように思えるくらいだけど! もう、こっちが本物だって信じたいよ!


「すみませんでした! 今度こそ集中します!」

「そうか。また隙が出来れば同じように攻撃する。泣こうが喚こうが手を緩めるつもりはない」


 うわぁ、なんかいきなり本物の片鱗が……


 マキは一度苦い顔をした後、呼吸を整えて三度走り出す。


「いきます!」


 短刀を抜いたマキは勢い良く飛びかかるが、分身に軽々と躱される。


「まだまだっ、うわぁっ!?」


 マキは空中で素早く反転し、次の攻撃に備えようとしたが、着地を乱して体勢を崩す。あわや転倒しかけたが、地面に手を着くことで何とか堪えた。


――な、なんで!?


 転倒は回避したマキだが、自身が体勢を崩したことに驚きを隠せない。


 今のはそこまで難しい動きじゃなかったはずだ。それなのに体勢を崩すなんて信じられない! 集中が足りない? 確かに今も頭にはずっと言葉が響き続けてはいるけど、そんなに気にしていなかったつもりだ。完璧に集中出来ていないってだけで、こんなに変わるものなの!?


 マキは手に付いた砂をパンパンと払う。


 驚いたけど、良いことを知った。今の現象はきっと私だけの話じゃないはず! と言うことは、相手の集中を少しでも削ぐことが出来れば……、あぁ、こういう時に使う言葉が今さっき流れたような……、あっ、パフォーマンス? だったかな? 気にしていないつもりだったけど、意外と頭に入ってたわ。ってことは、やっぱり集中し切れてなかったんだ! まぁ、それはいいや! とにかく!


 マキは口元を拭いながら笑みを浮かべる。


 集中を少しだけでも乱すことが出来れば、格上相手だろうと、戦況を大幅に変えられるのかも! 本物の忍さんが殺気の使い様で云々って言ってたのも、正にこのためだ! 

 忍さんは普通に戦っても強いだろうけど、いつも相手を煽り散らしたりして、常に相手を万全な状態で戦わせていない。斬原やべえ人との時は、殺気を一切見せないことで動揺を誘っていた。豹変したカオリちゃんの時は、結果的には幻惑魔法だけで意識を奪っていたけど、あの時も多分、目的はあくまで動揺させることだったんだと思う。

 特に斬原って人は絶対、本来はもっと強いはずだ。それがあの時は私でも分かるぐらい実力を出せていなかった。下手すると、本調子ならどっちが勝ってもって状況だったんじゃないかな? でも忍さんの圧勝だった。作戦勝ちだと思う。

 やり方が汚いとか、ただのド畜生じゃないか!等の感想は置いておいて、これこそが忍さんの強さの所以だ!

 正々堂々とかいう概念は存在しないけど、忍って多分、そういうものだろうしね。

 今日は集中の大切さを、身をもって体験できた。すごく良い勉強になった! 分身忍さん様々だ!


「どうした?」


 膝を付いたまま無言で笑顔を向けるマキを不審に思ったのか、分身が木の枝を構えたまま尋ねる。


「あ、何でもありません! それより、気を付けてくださいね! 私は今、もの凄い早さで成長中です! 油断してると消えちゃいますよ!」

「無用な心配だ。俺は仮に相手がマキ程度だろうと油断するつもりはない」


 うぐっ。また本物をちらつかせるような発言を……。でも、私は気付いている。間違いなく、分身忍さんの方が全体的に甘い! ちょっとの差ではあるけど、叩く力も僅かに弱い! さっき叩かれた時は、いつもの雰囲気のせいで過剰に痛がっちゃったけど、普段ほどの痛みじゃなかった! それが優しさなのか本物と分身との能力的な差なのかは分からない。とりあえず分かるのは、本物との稽古ほどの絶望感はない! そう。高い壁ではあるけど、決しててっぺんが見えないわけじゃない! ……多分!


 マキは立ち上がり、短刀を構え直す。


 ちょっとでも攻撃が当たれば分身は消えるんだ。消えちゃうのは名残惜しいけど、やってやる!


「いっきますよぉーっ!」


 マキは全速力で駆け出した――




「そろそろ終わりだな」

「はぁ……はぁ……、はい!」


 マキは分身を消失させることは出来なかった。

 滴る汗が西日に照らされ、輝きを放つ。息を乱してはいるが、マキの表情は充実さに満ち溢れていた。


 ぜんっぜん、ダメだった! 全く相手にされてなかった。だけど――楽しかった!


「最初は集中出来ていないようだったが、途中から動きが変わったな」

「やっぱ気付きましたぁ~?」

「ああ。やや動きが縮こまりだしたからな。おおよそ、魔法による集中力の乱れを警戒しながら立ち回ろうとした結果だろう」

「さすが分身忍さん! その通りです! 頑張ってみたつもりですけど、全然ダメでしたね」

「単に動きを制御する分、攻撃の精度は落ちる。それは仕方がないことだ。集中出来ないまま無理に全力を出すより、確実さを取るのは悪いことではない。強いて言えば、隙を伺いすぎて動きが悪くなっていた部分は改善すべきだな。狙いが見え見えでは、当然敵に警戒される」

「た、確かに!」

「まあ見え見えでなくとも、俺は隙を見せるつもりは一切なかった。どのみち手詰まりだったな」

「ちょっとは手を抜いてくれたって良いのにぃ! ひっどいなぁ~、もぉ~!」


 不満を述べるマキの表情はふわふわしている。


「俺はそろそろ消える。マキは北へ向かえ。その方角に本体がいる」

「えっ。もう、消えちゃうんですか……? もうちょっとお話ししたいです……」


 マキは体の前でモジモジと指を絡める。


「今日の鍛練は終わったからな」

「そ、そんなぁ……」


 西日に照されるマキの瞳が、より一層輝きを増す。


「……また、逢えますか?」


 俯きがちに、マキは尋ねる。


「何を言っている? 分身の俺が消えても、本体は当然残るぞ?」

「違います! 本物の方じゃない! 私は、分身のあなたにまた逢いたいんです!」


 マキは凛々しい表情で声を張る。


「本物なんか目じゃない! 本物と成り代わってほしいと思うぐらい、素敵なあなたにまた逢いたいんです!」

「何が言いたいのか良く分からないが、明日はまた新たな分身が生成されるはずだ。では」


 無表情の分身は足元から霧状に消えていく。


「あぁっ。……もう。最後の最後までひどいなぁ。またね。本物より素敵な忍さん!」


 微笑むマキの頬を一筋の滴が伝う。


「ちなみにだが」

「ん?」


 顔から下までが消えたところで、唐突に分身が口を開いた。


「今回生成された俺は、常に本体と情報共有出来るように調整されていた。鍛練の内容や会話も全て、本体に共有されている」


 それだけ言い残し、分身は完全に消失した。

 嘲笑うかのように寒々とした風が吹いた。


 ……え? 本気で言ってる? ホントにひどいやつじゃん、それ。

 …………終わった。

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