第59話 またしても

 マキはそっと体を起こす。


 何だろう。確証はないんだけど、前はギリギリで気付かれたっていう思いが浮かんだ。でもそんなことあったっけ? う~ん、まぁいいか。

 忍さんの寝顔は前々から気になっていた。記憶にはないけど、気付かれたってことがもし事実だったとしたら、今回はまたとない好機では!? おそらく今の忍さんは、私と出会ってからでは一番眠い状況のはず! 部屋に行ってからそこそこ経ったし、もうスヤスヤなのでは!? へへっ。


 マキは細心の注意を払いながら一歩ずつ奥の部屋に進む。

 扉の前まで来たマキは呼吸音にも気を払いながら、ゆっくりと時間をかけて扉を開けた。


――やっぱり寝てるぅ!!


 声を押し殺し、ピクピクさせた目だけで興奮を示すマキ。もっと近くで見たいマキは、さらにゆっくりと動き、遂に目の前までたどり着く。


 め、目を瞑っているだけで普段とほとんど変わらないだと!? 寝息も聞こえないけど、本当に寝てる? 息してる!?


 確認したいが下手に動けないマキ。


 さすがに寝てるだけだよね? 


 赤髪の忍の寝顔を見ながら、マキは感慨深い気持ちになる。


 あぁ、そういえば忍さんが私の頭を撫でてくれたことがあったなぁ。あの時は優しかったよなぁ~。優しかったなぁ? 優しかったんだよね? 優しかった、で良い、よね?


 懐疑心に苛まれる内、ごく自然にマキが、赤髪の忍の頭に手を伸ばしかけていたその時だった。


――バチッ!!!


 赤髪の忍の頭に触れかけたマキの手に鋭い痛みが走る。


「いったぁぁぁあ!!!」


 一度は悲鳴を我慢しようとしたマキだったが堪えきれなかった。


 痛い! 指取れた! 痛……って、あれ?


 瞬間的に走った衝撃を逃がすように腕を振っていたマキは、腕の先にきちんと指があることを確認した。


 あれ!? 指、あった!


 安堵するのも束の間、今度は背中に悪寒が走るマキ。カクカクと首を向けた先には、刀の柄に手を乗せて彼女を見る赤髪の忍の姿があった。


「何をやっている?」


 寝ていたことが嘘のように、冷静な赤髪の忍の問いかけにマキは硬直する。


「え、えぇーっとですね」

「マキは大部屋の方を使うよう言ってあったはずだが?」

「いや、あの~。あれ~? おっかしいなぁ。寝ていたはずなんですけど気付いたらここに、みたいな?」


 さすがに苦しいか……


「そうか」

「そうか、じゃない!! あっ……」


 心の声が口から出てしまい、思わず手で口を押さえるマキ。


「だったらなんだ?」

「いやっ……、それで、良い、です……」


 マキは目を伏せ渋々答えた。マキの返答を聞くと赤髪の忍はようやく刀から手を離した。


 いや、まだ何か疑っていたんかい! 私ってどこまでも信用されていないのね……


 冷や汗を流し、マキは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「マキの奇行はともかく、対襲撃者用の魔法を食らっても意識を失っていないとはな」


 最早奇行という言葉に噛みつく元気すらないマキ。ただ、魔法についてだけは気になった。


「ちなみにどういった魔法だったんです? 正直何が起きたのか分かりませんでした」

「触れた者に雷撃を浴びせるという簡易的なものだ。俺でもこの程度の雷魔法なら使えるからな。ただ、本来は失神させる位の威力にしていたつもりだが、流石にマキの図太さといったところか」


 赤髪の忍は顎に手を置く。対するマキは顎に皺を寄せる。


 う、うれしくない……。忍さんは抜け目なく余計な一言を言うよね。


 少しうつむき、考え込むようにしていた赤髪の忍が顎から手を離した。


「マキが目の前にいた理由は知らんが、とりあえず今回のことは収穫だった。対襲撃者用の魔法は別のものに切り替える。マキ相手ですらこの有り様では、実用に耐えないからな」

「うん……。はい。じゃあ、おやすみなさい」


 憔悴の色を浮かべたマキは投げやりに話を切り上げ、とぼとぼと部家を出た。赤髪の忍に譲られた大部屋に設営されたベッドに倒れるようにして横になり、枕を濡らした。



――窓から差す陽光がマキに目覚めを告げた。


 あぁ、目がちょっと腫れているな、これ。


 優雅な部屋には似つかわしくない、淀んだ表情で目覚めたマキ。沈みきった気持ちは朝食を経るとすっかり回復し、満足げな表情でホテルを出た。


「いやぁ~、良い宿でしたね~」

「そうか」


 柔らかな笑みを向けるマキに目もくれず、赤髪の忍が相づちする。


「むっ。いやぁ~、この宿ならまた泊まりたいです!」

「この宿はキセン内でも格式の高いところであろう。その上で泊まりたいのであれば、マキが相応の報酬を得るべきではあるな」

「ぐぬぬ……。確かに」


 でも、そうなるともうムリだろうな……


 マキの顔が歪んだ。だがすぐにハッとする。


「それこそ! 前々から気になっていたんですけど、忍さんってなんでそんなにお金持っているんですか? そんなに儲かるんです?」


 尋ねられた赤髪の忍は、歩みを止めてマキを見る。


「えっ? なっ、え? 聞いちゃいけませんでした?」


 いきなり視線を送られたことでギョっとするマキ。


「報酬は依頼内容と依頼人によってまちまちではある。確かに過去、金払いの良い依頼が重なったこともあるが、そもそも使う機会がないからな」


 え!? お金があるのに使わないとかあるの!? あぁでも、確かに忍さんが散財する姿は想像出来ない。


「ああ、だが最近は出費がかさんでばかりだな」


 わざわざ言われた……。まぁ自覚しかないけど。忍さんが何も言わないことを良いことに甘えまくっているけど。


「ご、ごめんなさい……」

「まあ別にどうでもいいが」


 どうでもいいんだ……。この余裕。こりゃ相当持っているな!


「でも、そんなにお金使わないなら、報酬取る必要あります?」


 マキはごく自然に尋ねる。そして静寂が訪れた。

 赤髪の忍を見て、マキは戸惑う。


 し、忍さんが動揺している? そんな変なこと聞いた!? 自然にポッと言っちゃったけど! だってそうじゃない!? まぁそれ言い出すと、なんで忍をやっているの?って話になっていくけどさ!


 赤髪の忍はどこでもない一点を見つめ、マキが焦り出すほど沈黙を保った末に呟いた。


「…………忍、だから……」


 マキは再び戸惑う。赤髪の忍の言葉に力がなく、彼の表情に微かに悲哀の色が見えたことに驚き、言葉を失った。


「あ、ああ、あっ! あっち! あっちに何やらありそうですよ! い、行ってみましょう!」


 マキは目をキョロキョロさせ、笑顔を取り繕い、適当に遠くを指差して歩きだした。赤髪の忍は少し遅れて後に続いた。


 ……ダメだ。この話は二度と聞いちゃダメだ。


 赤髪の忍がきちんと後ろを付いてきていることを確認し、ふぅ~っと息を吐くマキ。


 あんな忍さん、初めて見た……。

 別に大きく取り乱していた訳じゃない。多分まともに見ても気付く人はいなかっただろう。でも私には分かった。忍さんが迷っていたんだ。声が儚くて、怯えているようにすら見えた。見ている私の胸が苦しくなって……。

 おそらく今忍さんが忍をしている理由がそこにある。今の忍さんを形作る何かが過去にあったんだ。そして、それはきっと並大抵の経験じゃあないんだろう。私程度の苦しみなんて、笑えてくるぐらいの。

 でもちょっと安心した。どこまでいったって、忍さんはちゃんと人だ。どんな言動をしようが、何をしようが、心を殺しているように思えたとしても、ちゃんと人なんだ!

 忍さんがどんな人生を歩んできたのかはすごく気になる。だけど聞かない。いや、聞けない。あんな悲しい表情を見てしまったから。だから、いつか忍さんの口から聞けたら嬉しいかな。



 ……それにしても。


 マキは眉に皺を寄せていた。


 気まずい……。忍さんのことだからどうせ何も気にしていないんだろうけど、なんか気まずい……。


 マキは空気を変える何かを探していた時、思わず顔をしかめた。


「げっ……」

「あっ」


 そこには昨日、いじめられていたところをマキに助けられたにも関わらず、悪態をついた少年の姿があった。

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