第52話 いまさら
想像することすら憚られる未知なる恐怖がマキの顔を歪ませる。
「あのぉ、おっしゃっていることの意味が……」
聞き間違いであってほしいとの願いが顔に滲み出ながら、マキは赤髪の忍を見つめる。
「今言った通りだ。これからはより実戦的で本格的な鍛練にしていく必要がある」
やばい、本気で言っている……。
虚ろな目で宙を見上げるマキ。風が吹けば倒れてしまいそうな程に力なく立ちすくむ彼女を、赤髪の忍が気にかける様子はない。
「本来なら今日から仕事を探す予定だったが変更する。それから、今後の予定も少し変更だ。マキにやってもらうことがある」
「な、なんでしょう……」
微かに震え、今にも消えてしまいそうな細々とした声でマキは尋ねた。
い、一体どんなおぞましいことをさせられるのか……。私は今日で私じゃなくなるのか? もう今までのようには生きていけないかもしれない。お母さん、お父さん、ごめんなさい。二人が育てた娘とはここでお別れのようです……。私は普通の子ではなくなります。これからはいけない子として茨の道を歩みます。
「マキには――
覚悟を決めたマキは唾を飲み込み、瞼を痙攣させる程、力強く目を閉じた。
「剣術大会に出場してもらう」
「……ん?」
マキは耳を疑った。顔全体を強ばらせていた筋肉がすっと緩む。
「剣術大会?」
「そうだ」
えっ、何、そういう感じ!? 意気込んで損した。とりあえず、ただいま! 私! お母さん。お父さん。私はまだ二人の娘です!
「どうした? 何か不満か?」
「いえ。むしろ安心したくらいです」
マキはホッとした柔らかな笑顔を向ける。
「なるほど。マキがそこまでやる気を見せるとはな」
ん? ちょい待ち。
上がっていた口角が下がり、一気に真顔に戻るマキ。
なんか勘違いされているらしい。忍さんは多分、私がそんなにガーガー言わないから、私が最初からそのつもりだった的な勘違いをしているんじゃないか? このまま話が進むのは良くない。とりあえずはぐらかして有耶無耶にしよう!
「いやー、忍さんが剣術大会に出ろなんて言うとは意外でしたよー」
「そうか?」
「だって全然興味無さそうだったじゃないですか。でもなんで剣術大会なんです? 私はてっきりえげつない稽古が待っているのかと――
「あぁ。もちろん剣術大会と修行は別だ」
「えっ」
マキの顔から血の気が引く。
「それと、これは、別?」
「そうだ」
「稽古は、きびしく?」
「そうなるな」
「……」
一回安堵したところからの反動も相まってか、明らかに意気消沈するマキ。
「……では剣術大会は何のために?」
「経験を積ませるためだ」
「経験?」
「あぁ。マキはほとんど俺としか戦っていないからな。圧倒的に経験が足りないだろう。知らず知らずの内に俺の動きの癖に気付き、俺相手の対処のみに慣れてしまっている可能性もある」
「いえ。大丈夫ですけど?」
力感なくふらっと手は挙げたものの、冷めた口調で食い気味に言い放つマキ。
アナタは何を言っているの? アナタに慣れる? え、何それ。今笑わせようとしてるんじゃないよね?
アナタと稽古していて慣れるどころか、私は誰と戦っているのか分からなくなっているぐらいなんだけど。まさかだけど、私を買い被ってる? そんなわけないでしょ。それとも自己評価めちゃくちゃ低いとか? うーん、それは何かあり得そうな気もする。
「そうか。だが経験は多いに越したことはない。俺との戦いに慣れているかは、頭では気付いていないだけということも考えられるからな」
いやアンタはまず自分の強さに気付け!! 私の知っている世界が狭いだけかもしれないけど、忍さんの対処に慣れるぐらいの実力なら、多分剣術大会に出る意味はないと思う。
慣れたと言えるのはせいぜい稽古が厳しいこととか、でもそういうことなら慣れた、と言うより諦めたというか。
「経験の面もあるが、剣術大会は賞金もそれなりに出るらしいぞ?」
「ハッ!」
言葉が耳に届いた瞬間、マキの目の色が変わる。
「ちなみに確認ですが、忍さんは大会には?」
「俺は特に出るつもりはない。出ろという話になれば考えるが」
「いえ、出る必要はないんじゃないかと!」
「そうか。確かに今回はマキの戦闘経験目的だ。俺が出る意義はないな」
「よっしゃぁ……あっ」
心の声が抑えられなかった!
「なら私出ます! 剣術大会! 目指せ賞金です!」
「そうか。剣術大会は木刀しか使用出来ないらしい。実戦程の緊張感を得られないのは残念だが、全く無意味ということもないだろう。仮に賞金を手に出来たのなら、それは全てマキの取り分で良い」
「はい!!」
こここ、これはちょっと可能性あるんじゃないの!? 一番の難敵、もとい勝ち筋が見当たらない忍さんは出場しない! 楽に、だなんて思っちゃいないけど、決して夢物語じゃないはずだ! これでも一応それなりには死線をくぐってきているんだ! 主に稽古、でだけど。待って、稽古で死線をくぐるって冷静に考えておかしくない? ……まぁいいや。
きっと大会までにもっとおぞましい稽古が待っているんだ。それ自体は全く望んでいないけど、その稽古を生きて乗り越えた先にはきっと賞金が待っている! 私は小金持ちになる!!
マキは明確な未来を見据えて目をシャキッとさせた。その様子を赤髪の忍はじっと見ていた。
「覚悟が決まったか」
「はい! もうバッチリです!」
「であれば早速修行だ。街中では流石に支障があるため街外れに向かう。付いてこい」
「えっ、は、はい」
修行が早い!
赤髪の忍の覚悟の捉え方に一抹の不安を覚えながらも、マキは赤髪の忍の後に続いた。
――しばらくの間、二人は石畳で整備された綺麗な道を歩いた。
マキは広大な街並みがどこまでも続いているのかと思っていたが、次第に建物も人も減っていき、遂には石畳の舗装も無くなる。
「ここら辺から荒れ地が増えてきましたね。もうここは別の街ですか?」
「いや、ここもキセンだ。キセン自体は広大な街だ」
「なんか、別の街にしか見えないですね。建物も全然ないし、雰囲気が全く違うというか」
寂れた街の様子はマキにどこか懐かしさを感じさせる。元々暮らしていた景色に似ていた。
「キセンの都市部と呼ぶべきか、今の主要部は全て十数年前からの開発で整備されたらしい」
「開発?」
「キセンは元々広大な農地が続くだけの貧相な街だったようだ」
「へぇ! 今と全然違いますねぇ」
あれ。忍さんはそういうのいつ調べたんだ?
「そんなキセンの立地が良かったのか、その辺りの事情は把握していないが、交易や観光の拠点となるように整備したというところだろう」
「なるほど! そういうのを開発って言うんですね。ところで忍さんはいつそれを知っ――
「この辺りで良いだろう」
荒れ地が広がるだけの見通しの良い場所で赤髪の忍は立ち止まった。
「え? こんなところで?」
人の気配はないものの、視界を遮るものがない場所で立ち止まったことにマキは困惑する。
「今までみたいにコソコソした場所じゃなくて良いんです?」
「問題ない」
赤髪の忍は何もない空間に、壁に触れるかように手の平を構えた。視認は出来なかったが、マキは風とは違うゾワッと感じるものが通りすぎたように思った。
「あっ。一応結界は張るんですね」
「気付いたか。今更互代への対策をする必要性も薄いが、念のためだ」
短くフッとマキは息を吐いた。
「さあ、これから何をしましょう」
「あまり触れてこなかった魔法について話そうと思う。やはり知識は持っておいた方が良いからな」
あっ。それは何とも、今更な話だわ。
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