第51話 心変わり

 刀を躱された赤髪の忍は目を見開くが、男が飛び上がっていたことを視認し、今度は刀を振り上げようとする。


「あぶっっっ!」


 刀を躱し、一度は安堵の表情を見せた男は、赤髪の忍の動き出しを見るとすぐ、滞空時間を稼ぎたいのか、身体を大の字に開く。

 身動きが取れないように思われた男であったが、赤髪の忍が振り上げた刀が当たる寸前、予備動作なく、いつの間にか赤髪の忍の後方へ素早く飛び移っていた。空を切った赤髪の忍の刀の横を、男が持っていたと思しき小石がゆったりと落ちた。

 赤髪の忍は男が距離を取ったことを確認すると一度刀を鞘に納める。


「あ、あっぶね~!!」


 唾が飛んだ男は手の甲で口元を拭う。


「あれ!? し、忍さん!? いつの間に?」


 マキはそこでようやく、物凄い速さで飛んできた朧気な赤い玉のようなものが赤髪の忍であったと認識した。


「ひゃ~、危なかったマジで! どっからすっ飛んできたのさ~。油断も隙もない! さすがに焦った焦ったわ~。冷や汗かいたし、これじゃあマキちゃんのこと言えないじゃ~ん?」

「へっ? 私!?」


 呆然と立ち尽くすマキはいきなり名前を出されて困惑する。


 い、今何か起きていたの!? いきなり忍さんが現れたと思ったら、あの男の人はちょっと遠くにいるし。


 僅かな間に繰り広げられた二人の攻防は、一般の通行人どころか、一番近くにいたはずのマキですらほとんど見えていなかった。

 男は口調は変わらないものの、その表情には少しだけ動揺の色が伺える。


「一体、ど~なってんのぉ~? あんたの存在は感知していたけど、もっと遠くにいたはずなんだけどな~。……あ~、そういうことか。今回は俺が一本取られたってわけだ。でもそれにしたって、あれだけのスピードで近付いてきていて、ギリギリまで気配に気付けないなんて考えられないんだけど~?」

「俺も驚いたぞ。お前はポルツの魔法使いだと踏んでいたが、違っていたか? あれほど軽々と躱されるとはな」


 男が少しだけ眉をひそめる。


「バカ言え。軽々な訳ないでしょ~? 分かっているくせに、も~意地悪だな~。ちなみに俺は魔法使いだけど、今はポルツの奴隷じゃないから~。そこんとこよろしくね~? あんな奴らと一緒にしてほしくはないからね~」

「何の用があってここに居る? 俺達を狙う理由は何だ?」

「だから用なんて無いって言っているでしょ~? ね~? マキちゃん?」

「へっ!?」


 またしても名を呼ばれて困惑するマキ。


 さっきから二人で何を言い合っているの!? というか今の話通りなら、私が突っ立っていた間に二人は戦ってたってこと? 全然見えなかったんだけど!? やっぱりこの男の人はとんでもない実力者ってことだ。なんだか馴れ馴れしい感じは嫌だけど。


「あ、でも確かにこの人は偶然会ったって言っていましたよ!」


 赤髪の忍に促されたわけではなかったが、マキはとりあえず愛想笑いで赤髪の忍の背中に向かって説明した。


「でっしょ~? 誤解を解いてくれてありがとね~、マキちゃん!」

「さっきから馴れ馴れしいんですけど」

「え~、ひっど~。こっちは仲良くなりたいだけなのに~」


 誤解を晴らし、事が済んだと思ったのか、男は気軽な雰囲気で近付こうとするが、赤髪の忍が刀の鞘に手を置き牽制したため立ち止まる。


「ちょっと~、まだ警戒しているの? 今マキちゃんが釈明してくれたじゃん?」

「嘘をつくな」


 男から視線を外すことなく赤髪の忍は指摘する。


「お前がこの街に来た理由は俺達とは無関係なのかもしれない。だが、お前はマキに接触する前から当然俺達の存在には気付いていたはずだ。そこは偶然などではない。その上でわざわざ接触してきたのは、大方挑発目当てか何かだろう」

「あ~、ばれちゃった? でも挑発だなんて大袈裟なことじゃなくて、ちょっとからかってみただけだって~。仮に戦ったって、そう簡単に勝てるなんて思ってないしね~。さっきだって、危うくやられるところだったわけだし~」


 男は手を振り、やれやれといった表情をする。


「またどこかでちょっかい出しに行くからその時はよろしくね~。あんたにちゃんと勝てるよう、入念な準備をした上で絶妙なタイミングで邪魔してあげるから~!」


 男は赤髪の忍に向けてピースをした。


「あ、俺の名前を言ってなかった! 互代ごだい 芭蕉ばしょうね。ま~、この名前は最近使っている名ってだけだけどね~。マキちゃんも次からちゃんと名前で読んでね~? いきなり冴えない人とか言っちゃだめだよ?」


 互代は幼児を諭すかのように言う。


「……なんで名前だけはちょっと格好いいの。冴えない見た目のくせに」

「マキちゃん毒吐きすぎ~。あんたら二人していい性格しすぎだから! 言っとくけど、俺元々はイケてたんだからね!? 色々あって顔も名前も変えているだけだからね!? あっ! つまり、よくよく考えたら今は冴えなくて正解じゃんか! もういいや。じゃあね~!」


 背中を見せて手を振る互代に対し、赤髪の忍は再び刀を抜こうとした。


――えっ!?


 思わずマキは声を上げた。

 マキは瞬きをしていなかったが、互代が目の前から忽然と姿を消した。

 先ほどまで互代が立っていたはずの場所に、ひらひらと一枚の紙が舞い落ちた。

 あたふたしながら、とりあえず紙を拾い上げるマキ。


『まったね~!』


 紙には丸っこい文字でそう書かれていた。


 何これ。うざっ! ……って、いやいやそんなことより!!


 いきなり姿がなくなったことに驚いたマキは、首をぶるぶる振って互代を探すが見つけられない。


「え? えぇ? 忍さ……あっ?」


 理解できない状況で赤髪の忍に助けを求めようとしたマキは、彼の目が少しだけ見開いていることに気付いた。


「まさか、忍さん。……驚いています?」

「今の動きは、速い……、いや、速いと言うべきなのか分からない」


 珍しく歯切れの悪い赤髪の忍を見てマキは一層困惑する。


 あの忍さんが驚いている……。想定外の出来事に、頭の処理が追い付いていないのかも。こんな姿、初めて見た。なんだろう。そこにちょっと安心している私がいる。


「忍さんでも困惑するんですね」

「不自然な感覚だ。あの一瞬でどこまで移動したのか。離れていったと言うより、その場から気配が消えたと言う方が近い感覚だ。にわかには信じがたいことではあるが」

「人は見かけに依らないんですねぇ。忍さんが言うならよっぽどです」

「あいつは今まで以上に警戒する必要がありそうだ」


 やっぱりずっと警戒はしてたのね。


「もしかして、私を置いて出掛けていたのはあの人絡みですか?」

「あぁそうだ。気配を察知した。それからはあいつとの気配の探り合いだった。前回は完全に欺かれたが、今回は幾ばくか収穫もあった。それと、考えを改める良い機会になった」

「ほう! それは一体?」

「マキを鍛え直す必要がある」

「ふむふむなるほ……、え?」

「今後もあいつのような相手と戦う可能性があることを考えると、今までのような生ぬるいものではなく、より実戦的な内容にしていく必要がある」


 今までが、生ぬるい? ちょっと待って! 認識の共有ができてない!

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