第41話 急襲

 マキは目の前の光景が信じられず呆然とした。


「さっ、鞘伏さん!?」


 横で見ていたベイも驚きを隠せず、両手を前に差し出している。


 口調も変わった……。まさか警志隊の一番偉い人が私なんかに頭を下げるなんて。


 少し腰を屈ませ覗き込むように、恐る恐るマキは話しかけた。


「あ、あの……」


 鞘伏は話しかけられるとすぐに頭を上げた。


「はっきり言って、警志隊は腐った組織です」


 鞘伏は心苦しさと覚悟の混ざった表情をしていた。


「私が警志隊の総統に任命されて早五年が経ちました。それまでは警志隊全体のことについてそれ程気にしていませんでしたが、想像を超える腐敗具合に驚かされました。おっしゃる通り保身だけを考え、都合の良い仕事だけをしている者も多いです。さらに警志隊は一定の身分のある者ばかりで賃金自体も税金で賄われていることから、大して税金を支払わない農民など見捨てれば良いと考えている者も少なくありません」


 少し前とは打って変わった警志隊総統からの言葉を、マキは重々しい表情で聞き入る。


「任命以後、汚職に手を染めた隊員の懲戒を進めはしました。ですが、まだまだ私の目の届かないところでの汚職は多数あると思われます。さらには懲戒したことによって賊に転じる輩も生み出してしまう始末です」


 苦い顔の鞘伏は握りしめた拳を震わせた。


「警志隊の多くが貴族出身であることは私も問題視しています。現に私も貴族の身です。貴族が多い背景として、貴族は幼少より剣の稽古を積む者が多いため、どうしても相対的に多くなってしまいます。農民出身であっても見込みがある者は警志隊への入隊も行ってはいますが、まだまだ理想とは程遠い状況です。警志隊は大きな組織でもあり一枚岩でないこともまた、体質が変わらない大きな要因の一つです。全くもって不甲斐ない限りです」


 鞘伏は少しだけ間を置いて瞬きした。


「貴女の指摘はごもっともです。否定仕様がなく、警志隊総統として情けなく思います。一つだけ宣言させていただくとすれば、期待されないと思いますし、していただかなくとも、私は警志隊を変えていく決意であります。それこそが私の生涯をかける責務として。ただし現時点では何の成果も挙げられておらず、返す言葉もありません。改めて貴女にお詫びします。申し訳ありません」


 再び深々と頭を下げた鞘伏は、頭を上げると次は赤髪の忍に目を向けた。


「そちらの御仁。我々の代わりに彼女を助けていただいたようで、誠にありがとうございます」

「助けるつもりでいたわけではない。成り行きでそうなっただけだ」


 赤髪の忍は淡泊に受け答える。


「それでも結果として助けていただいた事実には変わりありません。本来ならば私達が成すべきことでした。感謝申し上げます」


 鞘伏は赤髪の忍にも軽く頭を下げた。その様子をマキは悔恨の表情で見つめる。


 …………私は鞘伏という人を大いに勘違いしていた。勝手に思い浮かべていた野蛮な人ではなかった。この人は嫌いで仕方がなかった他の警志隊の人達とは明らかに違ったんだ。私なんかに二回も頭を下げた。貴族でそんなことをする人なんて他に考えられない。あろうことか、そんな人に私は八つ当たりした。本当はこの人の方が比べ物にならない程、心を痛めているはずなのに。それでもこの人は私の言葉の全てを受け止め、否定しない。なんだか私の愚かさを見せつけられているようにすら感じる。そういう意味ではズルい人だ。


 頭を上げた鞘伏は少しだけ目をキリッとさせ、再び赤髪の忍を見た。


「ところで。そちらの御仁、名前を伺っても良いか?」


 僅かに空気が引き締まるのをマキは感じ、困惑した。


 え? どうして急に?


「貴方からはただならぬ雰囲気を感じる。相当の実力を持っていよう。俺は大抵の実力者は把握していると思っていたが、恥ずかしながら貴方を存じ上げない。名と剣の流派を教えていただけないだろうか?」


 忍さんの名前なんて私も知らないし、聞かれても答えないだろう。最早、名前なんてあるのかすら疑わしい。ただ、忍さんが何も答えなかったら余計に怪しまれる。仕方ないな、ここは私が。


「この人は、しのっ――ガフッ!?」


 呼び名を伝えようとしたマキの頭に鋭い手刀が落とされた。


「痛ったぁぁぁ……。な、何をするんですか!」


 痛みで涙の滲んだマキが訴えた。


「俺の名前は依田よだだ」


 …………は?


 赤髪の忍は懐から手に収まる大きさの木の板を取り出して鞘伏達に見せた。


依田よだ 吉宗よしむねだ。田舎出身のため知らないのも無理はない。剣も野戦で培った我流のため流派などはない」

「依田か。なるほど覚えておこう。目立った実績はないようだが、そういったことに興味がないのか? 何なら警志隊はどうだ?」

「興味がない」

「そうか、それは残念だ。考えが変わったら教えてほしい。いつでも歓迎だ」

「承知した」


 一瞬、何を言っているんだ?と思ったけど、忍さんの名前を初めて知った! でもどうしよう。違和感がすごい! 今更、依田さんとか呼べないんだけど。


「よし、ならベイ! 俺らはそろそろ行くぞ」

「へいへい。てかアンタ、内部事情ペラペラ話し過ぎだから。警志隊の偉い人って自覚あります?」

「うるせえよ。事実だから良いんだよ。お前こそ俺の機嫌一つで生死が決まるって自覚ねえだろ?」

「言ってることが物騒過ぎる……、っておいおいやべえ、目がマジだ。やっぱこの人頭おかしいよ……。誰かこの人逮捕して!」

「口ばっかり動かしていないでとっとと龍刃運ぶぞ……って、お?」

「……っ、痛ってぇ……。んあ? 一体何があったんだぁ?」


 鞘伏が斬原に近付いていこうとした時、斬原が意識を取り戻した。


「お。龍刃、目ぇ覚ましたか!」


 鞘伏は旧友に会ったかのような笑顔で話す。


「あぁ? 宗玄そうけんか。いつの間にここに来たよ? つーか、なんで俺気ぃ失ってたんだ?」

「俺の本気の飛び膝蹴り食らってこんな早く目覚めるとか、お前やっぱり頑丈だな! 普通の奴なら死んでんぜ?」


 笑顔の鞘伏は斬原の背中をバンバンと叩く。


「あぁ!? テメェがやりやがったのか! そもそも俺は雑魚どもに剣の指導をしてやろうとしただけだぞ!?」

「何が指導だ! どうせぶった斬ろうとしていただけだろうが。賊だとしてもそれは俺ら警志隊の仕事だ、バカ!」

「ちぇっ! 無駄に頭が切れるやつだ」

「いや、お前のこと知ってれば誰だって思うだろ! なあベイ?」

「いきなり俺に振らないでくださいよ。俺は余計な火種は生みたくないんでね」


 ベイは面倒くさそうに返事した。


「それで、お前らは俺が寝てる間に何やっていたんだ?」

「お前があわや殺しかけた賊の処理だよ。そのあとお前と同じ店で団子食ってたそこの女と、団子屋の外にいた依田って武人と話していただけだ」


 鞘伏の言葉に、マキは引っ掛かった。


 あれ? いつの間にか女って呼び方に戻った。さっきまであんなに丁寧な口調だったのに……。あの丁寧口調は何だったの?


 マキは鞘伏にジトっとした視線を向けてみたが彼は気付かなかった。


「あ? 女? で、依田ぁ…………っ!?」


 マキ達の方を向いた斬原はいきなり血相を変える。突き刺さるような眼力にマキは当てられた。


 ひぃっ!? こ、こっち見た!


 目を血走らせた斬原は息つく間もなく立ち上がり、抜刀し、いきなりマキ達めがけて猛進する。


 あっ……。体が動かない……


「おらぁあああ!!!」

「あっ! ちょっ、待っ!!」


 鞘伏の制止は間に合わなかった。


――甲高い金属音を響く。


 眼力だけでも断ち切ろうと言わんばかりの勢いで鋭く振りぬかれた一刀であったが、向かってくることを予期していたかのようにすでに刀を抜いていた赤髪の忍が、マキの一歩前に出て淡々と受け止めた。


 斬原の威圧に負かされて体が硬直していたマキは、目の前で刀と刀がぶつかり合った衝撃に押されたように後ろに倒れて尻もちをつく。

 止められてもなお断ち斬ろうと激しく刀を打ち付けながら斬原が呟いた。


「お、お前を斬るためだけに……、俺は……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る