第32話 悪魔の微笑み

 山賊達の中には不気味な笑みを浮かべている者もいれば、アヤメの状況を見て少し驚いている者もいた。


「あの女が倒すどころか押されてね?」

「それって結構まずくね? あの女が勝てない奴なんて俺らじゃ……」

「バカか! 聞こえたらどうするよ!」


 驚いている男達は周りに聞こえないように小声で話す。

 アヤメは山賊達が出てくると、奥歯を噛みしめ苦い顔をした。


「アヤメちゃんさぁ、君には敵を追っ払ってもらわないと困るわけ。分かる?」


 山賊達の先頭にいる無精ひげの男が嫌味たらしくアヤメに話しかける。


「本当はぶっ殺してもらわないと困るんだけど、君の強さを見込んで、追っ払うだけでも良いよっていうことにしているんだよ? 優しいでしょ? なのに追っ払えないなんてダメじゃねえか」


 男は髭をさすりながらさらに気持ちの悪い笑みをアヤメに向けた。


「分かんねぇかな~。なら分からせるしかねぇか」

「……な、何を……?」

「おい! あいつを連れてこい!」

「へい!」

「ま、待って! それは……」


 無精ひげの男の指示を受けた下っ端の男達が、洞窟の奥から何かを引きずるようにして出てきた。

 鉄格子の檻。その中には怯えてうずくまっている女の姿があった。瞳に光はなくどこか諦めたような表情をしている。


「ゆ、ユリちゃん! あなた達、何をしようとしてるんですか! それは話が違うじゃないですか! ユリちゃんには手を出さないって約束じゃないですか!!」


 アヤメは鋭い眼光を山賊達に向ける。山賊達の中には彼女の表情に少し臆する者もいたが、無精ひげの男は得意げな顔をする。


「おいおい怖い顔すんなよ~。それだって敵をちゃんと追っ払うならっていう約束だろ? 君が守らないんだから仕方ないでしょ?」


 男は檻まで近づくと刀を抜き、ユリの首元に近づけた。


「きゃっ!?」


 ユリが血色の悪い唇をぶるぶると震わせる。


「……やめろ」


 アヤメは男を睨みつける。


「はぁ? なんだって?」

「やめろ!」


 アヤメは声を荒立てた。凄みに押された数人の山賊は事態を重く見る。


「あれはさすがにやりすぎじゃねえか? あの女敵に回したら手に負えねえだろ……」


 心配する男達を他所に、なおも無精ひげの男は余裕の笑みをする。


「やめてほしいんだろ? だったら君がやることは一つしかないじゃないか」

「……」

「殺せ」

「なっ……。そ、そんなこと出来ません……」

「あぁ? そうかそうか」

「きゃっ」


 無精ひげの男は怯えるユリの首筋に少しだけ刀を押し当てた。当たったところから血が滴る。


「やめろ!!」

「だっ、大丈夫……」


 激高するアヤメの目に、今にも消え入りそうなユリの笑顔が映った。


「私は大丈夫だから。アヤメちゃんだけでも、逃げて……」


 震えながら微笑むユリを見て、大きく見開かれたアヤメの目から涙が流れ落ちた。


「絶対……。助けるから」


 アヤメは涙を拭う。刀を強く握りしめ、真っ直ぐ赤髪の忍を見た。


「あなたに恨みはありません。でも、私も守らなければいけないものがあるので」

「ようやく胆が据わったか」

「あなたに恨みはない。だから私を恨んでください」


 アヤメは勢い良く飛びかかる。赤髪の忍は彼女の攻撃を受け止めるが、少しだけ力で押される。焦る様子はないものの、赤髪の忍は先ほどまでと比べて明らかに気を張って対処している。


「まるで別人の動きだな。だが俺を殺したとして、その後はどうする?」

「うるさい」

「このままじゃ何も解決しないのではないか?」

「うるさい!!」


 アヤメは赤髪の忍を黙らせるよう、息つく暇のない猛攻を仕掛ける。


 し、忍さんが押されている……


 山賊達のいる所から近い場所で戦況を見守るマキは驚きを隠せない。


 真剣な感じが伝わってくる。なのにあの忍さんが押されるなんて……。目の前で起きているのにまだ信じられない。

 だ、だめだ! 私の役目はユリさんという人の救出だ。驚いている場合じゃない! でもどうしよう……


 マキは山賊達に気付かれずにいるものの、まだ近くに寄れてはいない。


 せめてあの岩の後ろまで行ければなぁ……


 ユリ達のすぐ後ろに小岩がある。そこまで何とか行きたいマキだが岩までの間に障害物がなく、身動き出来ずにいた。


 忍さんが隙を作るって言っていたし、信じるしかない。山賊達の注目が忍さん達に集まった瞬間を見逃さず岩まで行こう!



――アヤメの攻撃は留まることを知らず、赤髪の忍は防戦一方を強いられている。


 反撃できずにはいるものの、赤髪の忍はアヤメへの語りかけを止めない。


「お前には確かにある。だがこの状況は変えられない」


 アヤメは無言で攻撃を続ける。


「お前だけではどうすることもできない」

「……くっ」

「お前にあの女は救えない」

「…………、だったら」


 アヤメの動きが少しだけ乱雑になる。そこを見逃さなかった赤髪の忍は反撃しようと刀を振り下ろした。


「だったらどうすればいいのよ!!」


 赤髪の忍の刀は彼女に簡単に凪払われ宙を舞った。

 刀を失った赤髪の忍はその場で何もせず、ただアヤメを見た。

 アヤメは刀を大きく振り上げる。


「あああああっ!!!」


 濁った声で叫びながら、アヤメは刀を振り下ろした。


 忍さぁぁぁん!!!


 見ていたマキも思わず叫んだ。



――刀は寸でのところで止まった。


 あれ? 大声出したのに誰一人気付いていない!?


 マキは一人で勝手に安堵した。


「……出来ない」


 アヤメは手を震わせ、大粒の涙を流す。


「やっぱり殺すなんてこと、わたしにはできない……」


 震える手から刀は滑り落ち、アヤメはその場で膝をついた。


「なんで? なんでなの……? なんで私は、こんなに弱いの……」

「やはりお前には向いていない」

「……え?」

「もう一度言う。お前には確かに力がある。だが、どれだけ力があろうと関係ない。お前だけであの女は助けられない」

「わたしが助け、なきゃ、いけないのに……。それなのに、わたしは、わたしは……」

助けられない。お前にとって俺は敵で、今置かれている状況では俺を斬る以外に選択肢はなかったはずだ。敵の命かあの女の命か、どちらが大切か分かっていない訳でもないのだろう。それでも俺を殺すことすら出来なかった。となれば山賊相手でも同じことだろう。助けられないお前がこの状況で出来ることは一つしかないんじゃないのか?」


 一瞬ハッとした表情を見せたアヤメは、肩を震わせながらゆっくりと顔を上げた。


「わたしを……わたしたちを、助けて……」


 その時、アヤメの涙を優しく拭うような柔らかい風が吹いた。


「分かった。助けよう」


 赤髪の忍は手を差し出し、煌びやかな笑顔を向けた。


 でたぁぁぁあああ!!! 忍さんの詐欺的悪魔の微笑みぃぃぃ!!!

アヤメさん騙されないで!! それは輝くような笑顔の皮を被った悪魔ですよぉ!!!


 マキは声には出さず目で訴えた。


「えっ? あれ……?」


 赤髪の忍の手を掴んだアヤメは大きく目を見開いた。


「あ、あなたはもしかして……うっ!?」


 何かを言おうとしたアヤメだったが、体から力が抜けていくように意識を失った。

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