第23話 正しさ
「私はただ……」
言葉が出てこなかった。そこでようやく忍さんに言われたことの意味が分かった。
何をすればカオリちゃんを助けることになるのだろうか? 助けたいという気持ちばかりが先行していて、どうすればなんてことは頭になかった。
恐る恐るカオリちゃんに目を向けてみる。歯を食いしばり、大きな目を血走らせて私を見ている。でも、その表情は苦痛に耐えているようにも見える。
前に出ようとすればするほど苦しそうで、でも必死に抗っているような。そこまでしてでも私に襲いかかろうとしている。間違いない。カオリちゃんの殺意は本物だ。
「そもそもこの危機的状況を何とかするには、現状は応戦するか逃げるかしかないのではないか?」
私が黙っているのを見かねたのかは分からないけど、忍さんはカオリちゃんに視線を向けたまま言った。
確かにその通りだ。動き出されたらすぐに私は襲われるだろう。だけど、忍さんの言葉に少し引っかかった。
「それは、カオリちゃんを助けることとはちが――
「ねぇ!? いい加減、放してくれないかなぁ!? あなたも殺すけど早くマキちゃんを殺さないといけないんだけど!?」
カオリちゃんが忍さんを睨みつけ、小刻みに動きながら叫ぶ。
「少しうるさいな。この少女には黙っていてもらう」
忍さんがカオリちゃんの前に手のひらを向けた。一体何をしようと!?
「やめ――
私の制止は間に合わなかった。
「何っ!? こ、これ、やっ、ぐぅぅが……っ……」
目を疑う光景だった。
忍さんに手を向けられてすぐ、カオリちゃんが息苦しそうな表情でもがきだし、ついには泡を吹いて気を失ったのだ。
「か、カオリちゃん!? どうしたの!? 忍さん! い、一体何をしたんですか!?」
「一時的に幻惑魔法で眠らせた」
「げ、幻惑魔法?」
「幻を見せて錯乱させる魔法だ」
「カオリちゃんが動けなかったのも幻惑魔法ですか?」
「あぁ。少女の目には木から伸びてきた枝が手足を縛っているように見えていた。そして首にまで枝が絡み付き、窒息したと勘違いして気を失った」
「そんなことで気を失うなんて……」
「思い込みというのはマキの想像以上に強いものだ。強力な術者になると幻惑魔法だけで死に至らすことすらできる」
「怖っ」
「そんなことはいいとして」
忍さんは話を戻した。
「さっきの話の続きだ。マキはこの少女をどうするつもりだった?」
出来れば掘り返してほしくなかった問い。忍さんは意地悪で言っているわけではないと分かっているけど、自分の愚かさ、浅はかさを叩きつけられているような気持ちになる。
「……すみません。私は何も考えていませんでした。あ、あの。恥を忍んで聞きたいのですが、忍さんだったらこの状況をどうしましたか?」
「この状況で俺が考える選択肢は斬るか逃げるかしかない。気を失わせたのもそのためだ。幻惑魔法で気を失わせたところで一時しのぎに過ぎないが、隙を生むことさえ出来れば次の行動に繋がる」
「いや、でも」
「依頼にない限り、叩き斬ることはまずしない。ただし逃げるにしても、また追われることを警戒して凶器を持つ腕ごと斬り落とすぐらいは考える」
「ま、待ってください! 忍さんの言っていることは、カオリちゃんを助けることとは繋がらないように思えるんですが。きっと何か他にありますよね? カオリちゃんを助けられる方法が。教えてください! カオリちゃんを助けるための正しい選択は何ですか!? 私は一体どうすれば……」
「分からないな」
え?
「正しい選択肢など俺には分からない」
私は耳を疑った。忍さんにも分からないの?
「それは、どういう……」
「簡単な話だ。俺に正解など判断できないというだけだ」
「えっ?」
「何が正しいのか、助かったと思えるかどうか、それは俺でもマキでもなくこの少女が決めることではないか?」
「それは……、そうかもしれませんが」
「おそらくこの少女は手配犯だ」
「えっ?」
「撲殺事件の手配書に書かれていた少女でまず間違いないだろう。犯行を繰り返し、見回りに出ていた警志隊員も二人殺されている事件だ」
「警志隊が?」
私は大嫌いな存在だから腑に落ちないけど、警志隊は町の治安維持が仕事なだけあって武人の中でも相応の実力は持っているはず。カオリちゃんが警志隊を? 簡単には信じられない、けどあのカオリちゃんを知ってしまうとあり得なくもないと思えてくる。
「警志隊の場合は迷子か何かかと思い近づいた拍子にやられたなども考えられる。撲殺による被害者は五十人を超えるらしい」
五十人と聞いて、妙に腑に落ちてしまった。
カオリちゃんは何事もないように男達も私も殺そうとしていた。そこにまるで抵抗がなかった。殺すということに慣れていたんだ。
私はカオリちゃんを助けたい……。あんなカオリちゃんは本当の姿じゃない。その思いは変わらない、はず。だけどどうすればいいのか。
一つだけ、わずかな可能性があるとすればこれしかないと思い、私はカオリちゃんが持っていた本を指差した。
「この本を取り上げてしまえば、カオリちゃんは普通の子に戻ってくれないですかね? この本のせいでおかしくなっているだけってことは?」
「ないだろうな。本を取り上げたところで目覚めればまたマキを襲うだろう」
忍さんは私の微かな希望をあっさりと否定した。
「で、でも! カオリちゃんはこの本が助けてくれたって言ってたんです! きっと何かこの本に特別な力が働いているんじゃ……」
忍さんはカオリちゃんの持っていた本を掴んだ。
「この本はきっかけに過ぎないだろう。この本の中には剣にも使われる鉱石が仕込まれているようだ。それも相当な純度のもの。どこでこんなものを手に入れたのか謎なぐらいだが」
「だったらそれがカオリちゃんを狂わせたんじゃ!?」
「それは考えにくい。おそらく最初のきっかけとしては、この本で殴った時に思った以上の威力があると知り、段々犯行を続けるうちに自身の技量も上がっていったのだろう」
「そんなことって……。それじゃあまるで最初から狂っていたみたいじゃないですか」
あまりにもひどい。それだと全く救いがないみたいで……
「一撃で相手を仕留める。そこに快楽を覚えてしまったんじゃないか? そういうのはこの少女に限った話ではない。一度覚えた快楽は忘れられず、より洗練されることを望む。良く言えば向上心の塊だ。より素早く、より強力な一撃を求め続けていたのだろう。そう考えればきっかけとなったこの本が原因とも言えるかもしれないが、今更取り上げたところで変わらないだろう」
「それじゃあ、もうどうしようもないじゃないですか……」
「この少女は放っておいてもそのうち警志隊に捕まるだろう。それでもこの少女を助けたい、更正させたいと思うなら責任を持て。仮に本だけ奪ったとして、この少女の前に背を向けて平然と歩けるのか自分で判断しろ」
忍さんの言葉は重い。私がいかに軽く考えていたのかを、忍さんの容赦のない言葉によって突きつけられた。
カオリちゃんを助けたい。この言葉は嘘じゃない。だけど
「…………カオリちゃんにはきちんと罪を償ってもらいたいです」
「そうか。であればすぐにここから離れる」
「……はい」
忍さんは上空に手を向けた。手のひらから小さな火の玉が現れる。
空に放たれた火の玉は少し離れている大通りからでも見えそうな高さまで昇ると激しい音を轟かせて爆ぜた。
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