第5話 突然の告白

 マキの頬を赤髪の忍が指先でさすり、確かめる様子で顔を近付ける。すぐに頬に溜まっていた熱気が顔全体を覆った。


「ちょっ、な、何触ってるんですか!!」


 パッシィーーーン!


 目を瞑り、荒ぶる声と共に勢い良く放たれたマキの右手は、赤髪の忍の頬を強烈に捉えた。だが、叩かれたはずの赤髪の忍は眉一つ動かさず、叩いたマキの顔がみるみる恐怖に染まる。


「えっ、えぇっとぉ、そのぉ…… 普通に避けられると思って。まさか当たるなんて思っていなくてぇ……」


 唇を震わせ、うつむきながらマキは釈明する。


「お前は昔から傷の治りが早いのか? よく見れば他の擦り傷もほとんど見当たらない。にしても、今日出来たはずの傷すらないとは……」


 ガン無視だぁーーー。ま、まぁ怒っていないなら良かったけど……


 マキはほっと胸を撫で下ろした。


「擦り傷なんて、しっかり寝てご飯食べれば治るでしょ普通。今日なんかお肉も食べたし体も綺麗に洗えたし、あんな傷ぐらいすぐ治りますよ!」


 当たり前といった表情で言い放ったマキだが、すぐに目を丸くする。


 ……ん? ほとんど表情は変わってなかったけど、何か一瞬だけ忍さんがポカンとしたような……?


「もしかしたら、お前は回復魔法に適性があるのかもしれないな」

「え!? 魔法!? 私が!? ほ、本当ですかぁ!?」


 思わず詰め寄るマキ。だが、興奮して取り乱しかけるも、疑問が浮かび表情を曇らせる。


「あれ? でも、そもそも私なんかじゃ魔法なんて使えないですよね? 本の中でも魔法を使うのはポルツって国の人だったと思います。つまり忍さんもポルツの人だから使えるっとことですよね?」

「まず、勘違いを正しておこう」


 赤髪の忍はマキを困惑させる前置きをして一呼吸置く。


「魔法とは誰であろうと基本的には使えるはずだ。ただしこの国では魔法を認めていない。正確には使魔法をだ。だから魔法自体を存在しないものと考えても無理はない」

「へっ!?」


 マキは混乱し、声を裏返させる。そんなマキを気にせず赤髪の忍は話を続ける。


「ムサシはそもそも武術で栄えた国だ。だから武術ではない魔法という概念自体、否定的に捉えている。例え実際に魔法を目の当たりにしても、何かのまやかしだと考えるきらいすらある。だがムサシの民が武術という言葉で片付ける、身体能力だけでは説明が付かない超人的な動作等は、使用者の認識に関わらず、魔法による効果と言える。要するにポルツが使用する魔法とは系統が違うため、魔法という認識がないのだろう。ただし奴らからしたら、仮に拳から火の玉が飛ばせるようになったとしても、それはあくまで鍛錬の末、そういう武術を扱えるようになったと考えるだけだが」


 無茶苦茶な、とは思いつつも、マキはそれほど熱心には聞いていなかった。系統が違うことなどは彼女にとってさほど重要ではなかった。


「中々難しくて良く分かりませんが、と、とにかくっ! つまり私も忍さんみたいに手から火を出したり出来るってことですよね!?」


 マキが食い気味に詰め寄る。赤髪の忍は初めて、ほんの少しだけたじろぐような表情をした。


「当然すぐに使えるという訳ではない。それに、この国にいる限り魔法を覚える意味は薄いだろう。武人でもない者が奇妙な力を使うとでも知られたら賊として処されるぞ」

「で、でも!」


 マキは拳を握りしめた。


「夢、だったんです。魔法を使うことが。でもあくまで夢の世界の話だからって諦めていました。でも、何の取柄もない私にも使えるかもって知ってしまったら、もう諦められないんです!」


 口角を上げながら、真剣な眼差しでマキは話す。


「忍さんに出会うまでは、このまま生きていったってどうせ何も出来なきまま、力のある人達にただ怯えながら人生を終えるだけだと思っていました。でも、もしそうならない未来があるなら、その可能性が少しでもあるなら私は変わりたい!」


 マキは次々と言葉が溢れ出る。


「確かに私みたいな農民が魔法を使うなんてなれば、碌なことにならないぐらいは分かります。こんな国ですから。それでも構わないので、私は魔法が使えるようになりたいんです! そうです。魔法が使えるようになれば、武人達が突っかかってきても返り討ちにしてあげますよ!」


 にこやかに言うマキに、赤髪の忍は無表情で地面に置いてあった短刀を拾い上げ、差し出した。


「無駄に敵を作ってどうする? お前はまず剣の腕を磨くことだ。それがこの国で生きることに直結するだろう」


 マキは目を背けながら短刀を受け取る。


 私の思いは忍さんも分かっているはずなのに、なんで教えようとしてくれないんだろう……。そもそもこんな国にいたいとも思わないし……


 一度瞬きをしてから、マキは軽い気持ちで訴えた。


「忍さん! 私は剣の腕なんて別に良いんです! そもそもこの国でこのまま暮らしていきたいとか思えないし、魔法を覚えてこの国から出ちゃえば、なんて。それこそポルツで暮らせたらなぁなんて思ったりも。魔法を覚えたせいでこの国から追われる身になったとしても、それはそれで本で描かれる世界が現実になったみたいで悪くないかもしれませんし。もしあれなら、私が忍にでもなって――


 滑るように発した突拍子のない自身の言葉を気にする以上に、一瞬だけ刺さるような空気をマキは感じた。


 ……一瞬。ほんの一瞬だけ、忍さんの目が怖かった。そのときだけ、まるで心臓を刺されたような空気が……


「お前に一つ問う」


 起伏のない口調だったが、マキは重々しい印象を受けた。


「忍とは、依頼であれば平気で人も殺す。お前はその対象が家族や知り合いでも、依頼であれば躊躇なく殺せるか?」


 マキは言葉が喉につっかえる。

 真剣な眼差しと屈伏させるかのような威圧におののいた。


「ご、ごめんなさい。私あんまり深く考えずに……」

「それと、言っておくことがある。本当はある程度、一人で生きていけるくらいには鍛えてから言うつもりだったが、早めに告げておくのが得策と判断した」


 不穏な空気を察したマキが弁解の言葉を探していると、赤髪の忍が話を続けた。


「俺はお前の父親を殺した」


 …………え?


「え、えっと……、急にどうしたんですか。さっきの私の軽はずみな言葉のせいで怒っているんだと思いますけど、真剣な顔して変な冗談を言うんですね、忍さんは……」

「お前と初めて会った日の前日。依頼を受けた俺はお前の父親を殺した。お前の父親は薬物売買組織の一員で、その取引現場を襲撃するよう依頼されていた。だが襲撃の後、お前の父親が直接の関係者ではなかったと知った」

「な、何を言ってるのか分かりません! もし、仮にホントにそうだったとして、じゃあなんで今私といるんですか!?」


 赤髪の忍は懐から一枚の紙切れを取り出した。

 その紙に見覚えがあるマキは目を見開く。

 そこには幼い頃のマキと父親の姿が写されていた。紙切れの縁は赤く染まっている。


「あっ……。それは、昔偶然出会った都会の商人が一枚だけ撮ってくれた、確か写真とかいう……。お父さんが持っていたんだ……」

「あぁ。これはお前の父親が持っていたものだ。斬った後に父親から受け取った。情報の齟齬に起因するとはいえ、無関係の者に手をかけたことへの償いをと考えていたところ、偶然お前を見つけた」

「えっ……」


 マキは急に血の気が引き、ただ茫然と立ち尽くす。

 力が抜けた手からこぼれ落ちた短刀だけが独り音を立てる。



――凍り付いた空気を押し流すように風が吹く。その時、赤髪の忍が目をひそめた。


「囲まれている……」


 赤髪の忍が呟くが、マキは何の反応もしない。


「何者かに狙われているようだ。ここにいては危険だ。一旦離れるぞ」


 赤髪の忍はマキに手を伸ばした。


「いやっ!!」


 マキは差し向けられた手を、手の甲で叩いた。


「お父さんを殺したなんて言った人の手を取れと? そんな人のこと、信じられるわけないじゃないですか!!」


 言葉を吐き捨て、マキは赤髪の忍に背中を向けて走り出した。


「よし、今だ! やれぇ!!」


 唐突に発せられた号令に合わせ、物陰から無数の矢が放たれる。

 赤髪の忍は走るマキに向かう矢の前に移動し、次々と飛来する矢を刀で叩き落とす。マキは襲撃に気付き、足を止めた。


 え? 本当に襲われてる……!? なんで!?


 どうしていいか分からず、マキはその場で膝を落とした。

 赤髪の忍は飛来する矢に紛れて飛んできた黒い玉に気付くと、薙ぎ払うように刀を振る。すると刀の動きに追随し、彼の前方に突風が巻き起こる。

 突風に黒い玉が触れた瞬間、破裂音とともに辺り一帯を煙幕が包み込んだ。


 巻き起こした突風で相殺させ、爆風の直撃は避けた赤髪の忍だったが、広範囲に覆われた煙幕でマキを見失う。


「きゃっ!?」


 赤髪の忍はマキの悲鳴を聞き取ったが、彼女を見つけられずにいる。


「気配がまともに感じ取れない。方向感覚も狂わされているな」


 赤髪の忍は再度飛来し出した矢をかわしながら、矢が放たれてくる方向にひた走る。ようやく煙幕を抜け、襲撃者を捕捉した。


「敵は十人ほどか。矢の数に対して少ないな。……あいつはどこだ?」


 辺りを見渡し、立ち止まった赤髪の忍に対し、司令塔の男が口を開いた。


「女はすでに預かった。貴様に接見したいというお方がいる。この森のどこかにな」


 男は得意げに笑みを浮かべた。


「早く見つけてやらねえとどうなるかなぁ? 俺達の用はここまでだ。せいぜい頑張って探せ。じゃあな」


 言い終えると、男が背を向けて一歩踏み出した。

 踏み出した足が地面に触れたと同時に、男にめがけて突き刺さるような鋭い風が吹いた。


「アガァッ!?」


 風に飛ばされ、男は宙を舞った。背中には刃物で斬られたような傷が刻まれ、大量の血が飛び散る。


「おっ、おま、なにを……」


 男は地面に伏し、力尽きた。


「あ、あいつ今何しやがった!?」

「刀は抜いているが、一歩も動いていないぞ!?」

「遠距離の剣技なのか……? まさか、あれが魔剣なのか!?」


 男達は次々と動揺を口にする。


「魔剣などではない。風の刃で切り裂いただけだ」


 赤髪の忍は淡々と語る。男達は手にしている武器を握りなおし、敵意剥き出しで彼を睨み付ける。


「き、貴様ぁ! 背後を狙うとは卑怯ものが! やはり情報通り、忍というわけか。姑息な奴め」

「不意打ちはお前達も同じではないのか? つまりお前達も卑怯な忍と大差ないのだろう」


 赤髪の忍は平坦な口調で男達を煽る。


「テメェ! 女がどうなっても良いのか!?」


 男達はやや顔を引きつらせながらも動揺を誘う。


「誰かは知らないが俺が会いに行けば良いのであれば、わざわざお前達を泳がす理由はない」

「クソが! かしらからは女をさらえとしか言われてねえが構わねぇ。腕の一、二本ぐらいへし折ってから連れてくぞ! やっちまえぇ!!」


 三度、矢が放たれる。しかし手数は明らかに減っていた。


「どうした? 矢が随分大人しくなったが?」

「テメェにはこれだけでも十分だ!」

「一つ言っておくが、言葉に乗せられて感情的になると動きが鈍るぞ」


 軽々と矢をかわしながら、赤髪の忍は男達に迫る。


「黙れ! 忍の分際で舐めた口聞いてんじゃねぇ! ちょこまかと逃げ回ってろや!」


 刀を手にした男の一人が、赤髪の忍に向けて飛びかかる。

 男が刀を振り下ろそうとするも、すでに赤髪の忍は男の真横に移動していた。そして男の横腹を、撫でるかような軽やかさで斬り裂いた。


「おっ、おい…… あいつ何者だ!? 忍はまともに刀使えねぇんじゃ?」


 目を疑う男達。無表情で赤髪の忍が近付く。


「お前達のそのが命取りだ」



――その後、男達の断末魔の叫びが河原に響いた。

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