第4話 たしなみ?

――マキが赤髪の忍と出会ってから数日が経過した。


 農作業が一段落しているマキには持て余す程には時間があり、赤髪の忍も日が暮れるまで毎日マキに付きっきりで稽古をつけていた。

 ただひたすらに短刀を振るうという淡泊な稽古内容ではあるものの、一分の隙も見せない赤髪の忍を相手に行うのは決して楽なものではなく、マキは毎日新しい擦り傷を作り、へとへとになりながら眠りにつく日々が続いた。ただしその辛さとは裏腹に、日を追うごとにマキの表情は晴れやかになっていた。


「ま、まだまだっ!」


 肩で大きく息をしながらもマキは勢い良く赤髪の忍目掛けて飛びつくが、軽やかに躱され顔から盛大に地面につっこみ、新たな擦り傷を作った。


「も、もう無理ぃ……」


 体力の限界を迎えたマキは未だ息が整わず、顔にできた傷を気にする様子もないままごろんと仰向けになり、大の字になって空を見上げる。

 夏場かと見間違うほどに大粒の汗を流しながらも、その表情は晴れやかだ。ようやく少し落ち着くと、今度は不満気に赤髪の忍を見つめる。


「忍さん、容赦なさすぎません?」

「俺はただお前の拙い攻撃を躱しているだけだ」

「……私まだ、稽古始めて間もないんですけど」


 労いの姿勢を一切見せない赤髪の忍に文句を垂れながらも、マキの口元は少し緩んでいた。


――私はこんなに自然と笑えるようになったんだ。


 厳しい稽古には多少辟易しているものの、マキはここ数日の生活に充実さを感じていた。


「そろそろ飯にするか」

「はいっ!」


 マキは満面の笑みで応える。

 食事の時間はマキの充実感に少なくない影響をもたらしていた。


 今日は一体何だろう!? 昨日はお魚だった! 美味しかったなぁ!


 ほっぺたを触り、余韻に浸るマキ。


 忍さんはてっきり食べ物なんか興味ないかと思っていたけど、すごく美味しいものを作ってくれる! どんなくず野菜でも美味しくしてしまいそう! それはまるで魔法のよう。忍さんは魔法が使えるのかもしれない! まぁ魔法なんていうのは本の中の世界の話だから現実的じゃないけど。でもそう思ってしまうくらい忍さんの料理の腕前は凄いんだ!


「お前との稽古中にむかごを見つけた」


 忍さんがご馳走を見つけ出した! 稽古中に他の事を考える余裕なんて一切ない私とのあまりの差に驚いたけど、そんなことはどうでもいい。


 マキはむかごがぶら下がる蔓の根本を確かめている赤髪の忍の側まで駆け寄る。


「これは、立派な芋が採れそうですね! でもどうしましょう? 掘る道具がありませんし~」


 マキが顎に手を当てていると、赤髪の忍が蔓の根本に手を置いた。


「少し下がっていろ」

「えっ、あ。はい」


 状況が飲み込めないまま、とりあえずマキは赤髪の忍に従った。


 どうするんだろう? 刀で掘るとか? まあそんなことよりも、どんな料理になるのかってことの方が気になっちゃうけど。どんな魔法をかけてくれるのか、なんちゃって……。


 マキは自分の思考を馬鹿馬鹿しいと思いながら赤髪の忍の様子を見ていた。

 地面に手を当てたまま赤髪の忍はふっ、と短く息を吐くと、蔓を掴み一気に引っ張り上げる。


「えっ!?」


 見開いたマキの目には、太さ長さ共に十分な山芋が映っていた。


 えっ? えぇ!?


 マキは驚きを隠せない。


「どどど、どういうことですか? え? だって、こんな立派なやつ、相当掘るの大変ですよ?」


 問われた赤髪の忍は落ち着きのないマキをただ見つめる。


 本当にどういうこと!? 私に言う前に掘っていたとか? それぐらいしか考えられない。でも、それならいつ? 稽古始まってからはずっと一緒だったし……。昨日のうちに見つけて掘っていた? わざわざそんなことする? 私を驚かせようと? う~ん。さすがにそれは考えにくい。でも事前に掘っていないと説明つかないよねぇ。もし魔法が存在するならともかく。あぁでも、忍って確か、上手~く隠れたりとかするって本で見た。それこそまるで魔法のように。きっと上手な方法があるんだな。それだったら教えてほしい!


「どうやって掘ればそんな楽に採れるんですか? 教えてください!」


 考えを巡らせたがまとまらなかったマキは、赤髪の忍に答えを求めた。


「大したことではない。周りの土を操作しただけだ」

「はい?」


 全く意味が分からないマキ。


「え? 操作? さっき地面に手を当てていたのには何か理由が? てっきりお祈りでもしてるのかと思っていましたが。ちゃんと教えてく――


 マキの言葉は途中で遮られる。

 急にマキを黙らせた赤髪の忍は、空に向かって指を突きだす。いきなり何事かとマキが首をかしげているとすぐ、上空から片手では持てなさそうな大きさの鳥が落ちてきた。



「えぇ!? 今のは何をしたんですか!?」



 一旦山芋の件を忘れ去ったかのようにマキは食い気味に尋ねる。



「撃ち落とした」



 どうやってよ! 言葉が足りなすぎる! そもそも説明する気がない!?


 マキは混乱しながらも、一つの可能性を抱いた。


 鳥を落とした時も、石とか投げているようには見えなかった。これが手品ってやつ? いや、それとも本当に……


 マキは一度唾を飲み込んだ。


「あの……。忍さんは――

「朝食には十分な食料が集まった。近くの川まで行くぞ。そこで朝食にする」

「あ、はい」


 マキは色々と聞きたいことがあったが、とりあえず川に向かうことにした。



――林を抜けて少し先にある小川に着くと、赤髪の忍はすぐに調理に取り掛かる。


 捕まえた鳥を川に浸けながら手早く捌き、終えると次は木の枝を集める。

 あまりの手際の良さに目を奪われたマキは話しかけることも忘れ、ただ眺めていた。


 忍さんは本当に凄いなぁ。手際が良すぎる。本当に魔法のよう。あ、そうだった! 聞かなくては!


 マキは赤髪の忍に近付いていく。赤髪の忍は木の枝を集め終えたところだった。


「あのぉ……」


 赤髪の忍の手を止めないよう、マキは少し小声で話しかけながら覗きこんだ。


 ちょうど火起こしするところだ! そういえば火起こしするところはまだ見たことがなかった。知らないうちにいつも終わっていたし。それに、古米以外の食材も気付いたら準備されていたなぁ。出来上がったご飯に気を取られて全然気にしていなかったわ!


 マキは気にしていなかった疑問が次々と湧き上がる。


 色々聞きたいけど、あれ? 忍さんが集めた枝は湿ったやつばっかりだ。こんなので火、着くかなぁ。これは骨が折れそ……、え?


 マキの心配を余所に、赤髪の忍が集めた枝の上に手をかざした途端、勢い良く燃え広がる。


 えぇ!? ……ということは、や、やっぱり!


 マキはキリッと口を噤み、強く瞬きをした。


「どうした?」


 先ほどのマキの語りかけに対してか、赤髪の忍が鳥を火にかけながら反応した。


「も、もしかして、忍さんは、その、魔法が使えるんですか?」


 マキは振り絞るようにして尋ねた。


 実はいきなり燃えたように見えただけで、何か仕掛けがあるだけだったかもしれないんだ。仮にそうだったら、私は現実との区別も付けられないトンチンカンな奴だって思われる……。でも聞かずにはいられなかった!


「あぁ」


 赤髪の忍はさも当然のように、マキの方を向くわけでもなく返事をした。あまりにあっさりとした回答だったため、マキは呆気にとられる。


「え? あの。魔法、ですよ?」

「あぁ」

「本当に、ですか?」

「あぁ」

「で、でも魔法なんて本当にあるのかなぁ~なんて」

「忍なら大抵、何らかの魔法は使える」


 赤髪の忍は鳥の焼き目を確認しながら片手間に返答する。その様子を見て、マキは完全に拍子抜けしてしまった。


 忍さんがこんなことで嘘をつくとは思えない。すごい……


「ほ、本当に魔法って、あるんですね……」


 赤髪の忍の雰囲気に釣られてか少し落ち着いてはいるものの、マキはかなり興奮しており、瞼をパチパチとさせていた。彼女にとって魔法というものは、おとぎ話の世界の代物だった。


「なんか夢を見ているみたいです」


 マキはふわふわとした声色で口にした。未だ信じられない自分と、実際に目の当たりにした現実とが競合している。


「魔法なんて、本の中だけの話だと思っていました」

「そうか」

「私、昔から魔法に憧れていたんですよ!」

「そうか」

「むっ……」


 赤髪の忍があまりにも淡白な受け答えばかりするため、マキは少し口を膨らませる。だが、不満を述べようとする口を黙らせるかのように、香ばしい香りがマキの鼻を包み込む。何か言うより先にお腹の虫が音を上げた。


「もう食えるぞ。遠慮せず食え」


 滴り落ちそうな唾液を堪えて赤髪の忍の言葉を待っていたマキは、返答もしないまま焼き上がった鳥にかじりついた。


「うっ、うまぁぁぁい!」


 直前までの不機嫌さを吹き飛ばすようにマキは叫んだ。


 お肉なんて久しぶりに食べた! なんて美味しいんだろう! 生きているって素晴らしい!


 赤髪の忍はマキに目もくれず、今度は淡々と山芋を焼き始める。

 焼き上がった山芋を見るや否や、マキは山芋に封じ込まれた熱をもろともしない勢いで平らげた。


「ごちそうさまでした! 今日も美味しかったです! ありがとうございます!」


 マキは満面の笑みでお礼を伝えた。


 今までで一番お腹ポンポン! ちょっとムッとしてたからかムキになって食べ過ぎたくらい。

 よし。改めて魔法のことを聞こう!


 マキが話しかけようとする前に、赤髪の忍が口を開いた。


「お前はかなり汗をかいているようだ。水浴びをしてこい」


 えっ。……いきなり真顔で何言い出してるんだ、この人。


「えっ。いや、さすがにこんな開けた所で水浴びはちょっと……」


 そりゃあ、浴びれるものなら浴びたいけど。普段そんな機会ないし。


「外側からは視認できない結界を張るから見られる心配は無用だ」


 え、何? 結界……? そんなもの本当にあるんだ……


 驚いているマキに声をかけることなく、赤髪の忍はいつの間にか手に持っていた石鹸と浴巾を彼女に放り投げた。


「では、お言葉に甘えさせていただきます」


 マキは小川に足をつける。赤髪の忍が右手を前につきだすと、マキの周りに家ほどの広さの空間で、奥がぼやけて見えるようなもやができた。マキはその不自然に発生したもやをすぐに結界なのだと理解する。しかしそのもやはすぐに空間に溶け込むように消えてしまう。


 まるで結界ごとなくなったかのように思えたが、赤髪の忍の背中が離れていくところを見たマキは、彼が結界と偽って覗くような下心などないだろうと考え、服を脱ぎ、小川の水で体を濡らした。


 さすがに冷たいけど気持ちいいなぁ。

 忍さんは感情がないように見えて、不思議なくらい優しい人だ。なんで忍なんてやっているんだろう? 剣の腕もすごいし、ムサシで普通に裕福に暮らせそうじゃん。


 赤髪の忍について考えながらマキは水浴びを済ますと、服を着直して、もやの外に足を踏み出した。


 特に何かに触れた感覚はなく通り抜け、マキが後ろを振り返ると、すでにもやは見えなくなっていた。


 マキは焚き火の後片付けをしている赤髪の忍へ近付いていく。


「水浴びしてきました! 石鹸とかありがとうございました!」


 浴巾を首にかけたマキがお礼を言うと、赤髪の忍は彼女の方を向いた。


 マキはその時、彼の目が少し見開いたことに気付いた。

 赤髪の忍がボソッと呟く。


「綺麗になっている……」


 へっ!?


 一瞬の沈黙のあと、マキの頬が紅潮した。


 き、きれいになってる!? 汗まみれの体を洗ったからってこと? そっ、それとも私自身がキレイってこと!?


 目のやり場に困り、マキがモジモジしていると、赤髪の忍が彼女を熱心に見つめながら近づいていく。


 えっ!? ちょっと待って何!? なんで真剣な顔で見つめているの!? 何!? こ、これが大人のたしなみ!?


 マキは硬直して、力強く目を瞑った。


 彼女の顔を優しく触れるように手を差し出した赤髪の忍が呟いた。


「水浴び前まであったはずの傷が綺麗になっている」


 ……え?

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