第10話「それでは、良き旅を!」
スタッグの船は、ステラマリス号と言うらしい。
古い言葉で海の星、という意味だ。その名前は海の女神を讃える伝説によく登場する事から、海の女神の星、とも呼ばれている。
それを船の名前にするとは、この船を作った者たちはなかなか豪胆である。
だが、気取ってつけたものではない、というのは船に疎いシュネーにも分かった。
この世界の船には『さかな石』という動力が取りつけられている。
スタッグくらいの大きさの青色の水晶だ。このさかな石があるおかげで、船は人数が少なくとも動かす事が出来る。
そんなさかな石だが、さかな、という名前ではあるが、形は別に魚ではない。
六角柱のようなものもあれば、
形もだが、さかな石は純度によって、色の具合も違う。
深い海の色に近づけば近づくほどに希少性が高くなり、船に取り付けた時に出せるスピードや安定感が上がるのだ。
もっとも、それに見合う性能の船でなければ、さかな石の効力は下がるのだが。
その上で、このステラマリス号がどうかと言うと。
動力は見せて貰っていないが、この安定感とスピードは、もしかしたらリヴィエールの軍が所有しているそれよりも上かもしれないとシュネーは思った。
海の女神の名を冠するのは伊達ではない。
「そう言えばスタッグさん、今更ですがこの船は海賊船なんですよね」
「ええ、そうですよ」
「どうして帆には何も描かれていないんですか?」
シュネーは疑問を率直に聞いてみた。
海賊船ならば帆に髑髏のマーク――――ジョリー・ロジャーが描かれている、というのは、一般的なとも言える常識だった。
髑髏と言えば、毒薬に使われていたり、死をイメージさせる。それを帆に描くのは、見た者に恐怖や威圧感を与える、という意味合いがあると、シュネーは本で読んだ事がある。
なので海賊だと言っているスタッグの船に、それが描かれていないのがシュネーには不思議だった。
「ああ、それはですね。まぁ、僕があんまり好きじゃないんですよ、髑髏って」
舵を取りながら、スタッグはそう答える。
「そうなんですか?」
「ええ。どうせ描くなら海鳥とか狼とか、あと太陽とか、そういうのがいいです」
何だかずいぶん健康的な例を挙げるスタッグに、それを描いたら軍や商船と間違いそうだな、とシュネーは思った。
ちなみにリヴィエールの軍は、帆に花と星が描かれている。
「これと言ったデザインが浮かばないというのもあるんですけれど。いつかは何か描きたいですねぇ」
なんて言いながらスタッグは笑った。こだわりはあるようだが、それほど急いではいないようだ。
だが、ひとまず、今の状況としては、海賊船だとは一目で判断されなさそうな事は有難かった。
「いつか見てみたいですねぇ」
「ええ、ぜひ見てやってください」
シュネーの言葉に、スタッグは嬉しそうにそう返した。
いつかがあるのかは分からない。ない可能性の方が高いだろう。
けれど、そのただの口約束が、シュネーには何だか楽しかった。
シュネーは今まで魔法を使う相手に、いつか、なんて約束をした事はなかった。しても無駄な事が分かっているからだ。
だが何故かスタッグには言ってみたくなった。日記につけてくれる、というのが、シュネーは自分が思っているよりもずっと、嬉しかったのだ。
さて、そんな二人を乗せたステラマリス号だが。
この船は今、シュネーの家がある村近くの砂浜付近へと向かっていた。
理由は魔法を使ったあとに、シュネーがすぐ降りれるようにするためだ。
魔法は掛ける相手の記憶を使う。そして記憶は使えば消えてしまう。
だからスタッグに魔法を使えば、スタッグの中にあるシュネーとの記憶は消える。消えればシュネーが何者か、何をしているのかスタッグには分からない。
そしてスタッグがそんな見知らぬシュネーに何をするのかも分からない。
シュネーはここ数日でスタッグの人となりを見た。
だからスタッグが、例え記憶が消えても、シュネーに乱暴な真似はしない、という確信はあった。
だがいかに確信はあっても万が一があると、だからこそ、せめて直ぐに逃げられる場所まで送らせてくれ、とスタッグは言った。
それをシュネーが了承したのだ。実際にシュネーも、家の近くまで送って貰えるのは有難かった。
「……うーん、このくらいですかねぇ」
しばらくしてスタッグがそう言った。
声につられてシュネーが周囲を見渡せば、確かに見覚えのある景色が目に映る。
ああ、着いてしまった、とシュネーは心の中で呟いた。
「それでは、スタッグさん。初めてもよろしいですか?」
「はい。よろしくお願いします」
舵から手を放し、スタッグはシュネーの方へと飛び降り、歩く。
――――その時だ。
何の前触れもなく、どこからか大砲を撃つ音が響く。
その次の瞬間にはステラマリス号の直ぐ近くで、大きく水柱が立った。
「砲撃!? どこから……」
スタッグが緊張の走る表情で、素早く周囲を見回す。
すると少しして、遠くに船影を見つけた。帆に描かれているのは花と星――――リヴィエールの船だ。
ここは比較的見通しの良い場所だ。それなのに船はどこにいたのか、そう考えるシュネーの目は、その船の周りに、霧のような青い光の残照を捉える。
「インビジブル・ブルー……」
シュネーの呟きに、スタッグがぎょっとした顔をした。
インビジブル・ブルーとは、薬の一種だ。その粉を振りかけると、一定期間、周囲から姿が見えなくなる、という代物である。
その効果から諜報活動や戦場などで重宝されているが、普段はあまり市場に出回らない。理由はこの薬を作るための素材が特殊だからである。
さて、あまり出回らないその薬。つまりは価格もそれ相応に高いのだが、それを船一隻を隠すために使うとは、どれほど費用が掛かっただろうか。
「いやぁコールマンさん、やりますねぇ」
スタッグは頭の後ろをかいて苦く笑う。
あれにコールマンが乗っているかは見えないが、だが多分乗っているだろうな、というのはシュネーも思った。
下手をすれば、インビジブル・ブルーもコールマンが個人で用意したものかもしれない。
シュネーの兄弟子はそういう人だ。
「最初のは警告ってところでしょうねぇ」
「ええ。沈める……事はないと思うんですが。当てるくらいはしそうですね」
「はは、怖いですねぇ」
ゆっくりと船首を向け始めた船を見ながら二人は話す。時間はあまりないようだ。
「逃げきれますか?」
「砲台がこちらを向いていないのなら、ステラマリスは速度でそんじょそこらの船にゃあ負けません」
「良かった」
シュネーはそう言うとてスタッグを見上げた。そしてロッドを握った手に力を込める。
「スタッグさん、今から石化の魔法を解除します」
「このタイミングでですか」
「このタイミングしかありません」
船を撃たれるような事があれば、石化した海賊たちは壊れるか、もしくは海の底に沈むかもしれない。
そうなれば今度こそ本当に助ける事は出来ないだろう。
船を動かせるのがスタッグ一人なので、砲台で応戦する事も出来ない。出来るのは逃げる事だ、一発二発は砲弾を撃ち込まれるのを覚悟しなければならない。
だがそれではスタッグの仲間は守れない。今、この僅かな時間に魔法を使って、石化を解く事がベストだとシュネーは考えたのだ。
スタッグはシュネーの目を見て、僅かに思案するような素振りを見せた。
だがすぐに、
「お願いします」
と、力強く頷く。そして舵の方へと駆け出す。途中、懐から何かを取り出していたが、シュネーからは見えなかった。
シュネーはスタッグの背中を追いかけながら、魔法を使う準備を始める。
ランプを見て、そして息を吸う。
シュネーは今までに、何度も魔法を使いたくないと思ったことがある。
でも、そのどれもが使わないと仕方がないからと、自分を納得させて使っていた。
でも。
ああ、でも。
「其の記憶に残留する我が存在を魔力とし」
ああ、でも。
今回は、本当に。
「――――精霊の祖よ、我が願いを聞き届けたまえ」
不思議な響きを持ったシュネーの言葉に呼応して、スタッグの体から淡い銀色の光の粒が飛び出す。
キラキラと輝きながらそれはシュネーのランプに集まり、火のように灯る。
光はランプの中にあるものを燃やし、金色の光の粒を生む。その光は煌めきながらランプの外へ飛び出し、空高く打ちあがった。
そしてまるで祭りの花火のように空中で弾けると、スタッグの右腕や、石化した海賊たちへとサラサラと降り注いでいく。
光が触れるたびに、石化した箇所が命の色を取り戻していく。
――――ああ、そう言えば、祭りに行こうとも約束したんだっけ。
光を見ながら、シュネーはそんな事を思い出した。
ないだろう、と思う。だが、あるといいな、とも思う。
やがて光が収まると、石化していた人たちが動き出した。スタッグの腕の包帯も取れて、元の肌の色が見える。
良かったとシュネーは呟く。
それは小さな声であったが、スタッグには聞こえたようだ。
スタッグはシュネーを見て、不思議そうな顔になった。何度も何度もシュネーが見て来た表情だ。ずきりとシュネーの胸が痛んだ。
だが、シュネーは笑顔を作って、向かって来るリヴィエールの船を指差す。
スタッグや海賊たちの目が、自然とそちらへ向かい――――ぎょっとした顔になる。
「スタッグさん、これで依頼完了です。それでは、良き旅を!」
シュネーはそう言うと、船の縁に飛び乗った。
その行動にスタッグが目を見開き、リヴィエールの船からシュネーの名を呼ぶコールマンの声が聞こえた。
シュネーは「では!」と言って、リヴィエールの船から自分の姿が分かるように、大げさな動作で海に飛び込んだ。無意識にスタッグが手を伸ばすのが、視界の端に見えた。
それから少しして、同じように海に飛び込んだシュネーはコールマンに救助される。
その一件もあり、リヴィエールの船が動きを停めた事で、ステラマリス号は遠くの海へと逃げ延びたのだった。
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