第9話「――――せめて船で」


 翌日は、雲一つない青空が広がる良い天気だった。

 シュネーとスタッグは昨晩同様に簡単に朝食を済ませると、スタッグの仲間がいるという場所へ向かう事になった。

 スタッグが言うには、この小島からそう遠くはない場所にあると言う。

 とは言え、船もなく、イカダなどを作るような道具や材料もないので、泳いで渡る事になる。

 シュネーは泳ぎはそれほど苦手ではないが、長距離には不安があった。だがスタッグが適度に休憩を挟んだり、足が着く場所を選んで進んでくれたので、何とか辿り着く事が出来たのだ。


 そこは周囲から見え辛い入り江にある洞窟だった。

 海から上がると、シュネーはぜいぜいと肩で息をする。歩くのとは違って、普段はあまりしない行動は体力を使うものである。

 だが、ここでへばっては、自分が来た意味が無いとシュネーは深呼吸して気合を入れた。

 スタッグの後ろをついて歩いて行くと、そこには大きな船があった。

 帆には髑髏のマークはないが、スタッグの海賊船だろうか。|この国≪リヴィエール≫の船よりは小さいが、どっしりとした立派な船である。


 シュネーはそれを見ながら、滑り落ちないように注意して岩肌を歩いて行く。

 少し行くと、息絶えたバジリスクを見つけた。全身が灰色の固い鱗で覆われたワニのような魔獣である。これがスタッグに石化の呪いをかけた張本人だ。

 バジリスクはコカトリスと違い、視線で相手を石化させる事が出来る。

 まるで魔法のようであったと、バジリスクの石化の呪いを目の当たりにした人間は口々に話す。

 魔法であるのか、そうでないのかは、はっきりとした事は分からない。だがこの国リヴィエールには、メデューサという石化の魔眼を持った魔女を食らったから、という伝説が残されていた。


 さて、そんなバジリスクの身体には、一本の剣が鱗を砕いて突き刺さっている。

 先述のように、バジリスクの体は固い鱗で覆われている。剣を弾き、矢を弾くこの鱗には、生半可な攻撃は通らない。

 その鱗を貫いているという事は、相当の力で叩きつけたのだろう。

 シュネーがスタッグを見ると、彼は苦い笑みを浮かべた。


「このバジリスクにやられたんです。何とか倒せはしましたが……」


 この様ですよ、とスタッグは右腕を上げて見せた。


「いえ、倒せた事はすごいと思います」


 本当にそう思ったので、シュネーはそう讃える。

 スタッグは指で顔をかいて「いやぁ」と笑った。


「それで、石化した人たちは、どちらに?」

「ええ、はい。船の上に移動させてあります」

「全員ですか?」

「全員ですね」


 スタッグは頷いた。

 どのくらいの人数がいたのかはシュネーは知らないが、そんなに少なくはないだろう。

 それを片腕が石化した状態で、一人で全員運んだとスタッグは言う。

 いくらスタッグが力があるとは言えど、簡単に出来る事ではない。


「――――せめて船で」


 スタッグは船を見上げた。シュネーもそれにつられて顔を上げる。


「誰一人として、僕は助けられなかった。だから、せめて、いえと一緒にいさせてやりたかったんです」


 スタッグの声に滲むのは後悔だ。だが、それでも、スタッグは悔やむばかりで足を止める事はなかった。出来る限りの事をスタッグはしたのだ。

 シュネーはそう思ったら、


「だからスタッグさんは、生きようとしたのですね。いえと家族を守ろうと」


 なんて言葉がぽろりと口から零れていた。

 スタッグは驚いたようにシュネーを見る。そうした後でスタッグは穏やかな笑みを浮かべた。


「《見通しの》のお弟子さんらしい」


 どうやら正解だったようだ。

 師匠の弟子らしいと褒められて、シュネーはくすぐったくなった。

 スタッグは船の傍まで行くと、その大きな手で船体を軽く叩く。


「僕らはね、故郷に帰れなかったり、そもそも故郷がない連中の集まりなんですよ。だからここが僕らの家」

「海を渡る家とは素敵ですね」

「ははは。シュネーさんみたいなお嬢さんに素敵だなんて言われたら、こいつも喜びます」


 シュネーが褒めると、スタッグは満更でもなさそうに笑う。

 それから船を見上げながら、


「さて、それじゃあ、上がりますか」


 とシュネーに言った。



◇ ◇ ◇


 甲板に上がってみれば、そこには石化したスタッグの仲間たちがずらりと並んでいた。

 数は十五人前後くらいだろうか。年齢は様々で、シュネーよりも年下に見える子もいれば、スタッグより年上に見える人もいる。

 スタッグはシュネーに、自分たちは故郷がなかったり、故郷へ帰れないのだと話してくれた。

 彼らをスタッグが受け入れたのか、それとも、気が付いたら集まっていたのか、それはシュネーには分からない。

 だが船を家と呼んだスタッグにとって、彼らはきっと、家族だったのだ。

 

――――同じだな。


 そんな事をシュネーは思った。

 シュネーは元々孤児だった。というか、孤児だった、らしい。

 らしいというのは、シュネーにはその記憶がないからである。


 シュネーは赤子の頃に師匠のマルコに拾われた。

 とある戦場に、ぽつんと建っていた廃屋の中に捨てられていたのだ。それをマルコが拾って家に連れて帰ったのである。

 その頃にはすでにコールマンもいたようで、二人揃って、慣れない子育てに四苦八苦していたのだと、シュネーは村の人から聞いた。

 

 孤児であった、という事は、物心ついた時には知っていた。

 まぁ容姿も全然似ていない――付け加えるならばマルコとコールマンも似ていない――のでそうだろうなと思っていた時に、マルコの同僚が口を滑らせたのだ。

 その時のマルコとコールマンの焦り方は凄かった。マルコの同僚も床に額をこすりつけて謝っていた。

 

 血のつながりはない、と聞いても、シュネーは特に驚きも、悲しみもなかった。そうであっても、二人が家族であるのは分かっていたからだ。 

 だが、三人の剣幕が怖くて、逆に泣いてしまった事は、今でも話のタネになっている。

 まぁ、それはそれとして。そういう意味で同じだな、とシュネーは思った。


「…………うん、全員いるな」


 甲板に上ってすぐに、人数を確認しに行ったスタッグはそう言って頷いた。

 どうやら誰も欠けてはいないようだ。

 いくら人目に付きにくい入り江にある洞窟だとしても、数日間離れていれば盗人に入られる可能性はある。

 だが、問題はないようだ。

 良かったと思いながら、シュネーは持っていた鞄から鞄からランプと、魔法に使う薬等を取り出し始めた。

 スタッグの症状が悪化する事を危惧して、念のため持ち歩いていたのが功を成したようだ。瓶に入れていないものの幾つかは濡れてはいたが、魔法として使う分には問題ない。


 シュネーはランプの蓋を空けると、それらをざっと中へと入れた。

 魔法に使う薬等は、対象の数や使う魔法の大きさによって量が変わる。今回は人数が多いので、ランプの中はそういったものでいっぱいになった。

 ランプの中がここまで一杯になるのはシュネーは初めてだったが、師匠のマルコはその状態でも問題なく魔法を使っていた。なので、きっと大丈夫だろう、と独り言つ。

 シュネーは蓋を閉めて、ランプをノックするように叩く。カンカン、と音を立ててランプはロッドのように変化した。

 そうしていると、スタッグがシュネーの所へ戻って来た。


「ぞれでは、何かする事はありますか?」

「あとは魔法を使うだけなので大丈夫ですよ」


 シュネーはそう答えると、ロッドの底を甲板につけた。


「そうですか、それなら――――あ、そうだ。ちょっと待ってください」

「どうしました?」

「シュネーさん、せっかくなので、うちの船に乗ってみませんか」


 スタッグがにこやかに言う。

 船には、もう載っているのだけれども。シュネーはスタッグが言っている意味が分からず、


「と、言いますと?」


 と聞き返した。するとスタッグがぴん、と指を一本立てて、


「船を出そうと思いまして」


 と言った。シュネーは目を瞬く。

 言われてみれば、確かにこのまま魔法を使っても少し心配だな、シュネーは思った。

 魔法を使えばスタッグの記憶からシュネーと関わった部分が消える。消えたあとは、残った部分を断片的に繋ぎ合わせたものが、スタッグの記憶となるのだ。たぶんスタッグは混乱するだろう、とシュネーは考える。

 それにスタッグの仲間たちも、石化が解けたとしても、石化していた体は衰弱しているはずだ。まともには動けないだろう

 その状態で、軍などに見つかったらどうなるか。この洞窟であれば確かに人目には付きにくいが、万が一がある。

 それにシュネーには、コールマンがあのまま放置してくれる、とは思えなかった。


 この洞窟は王都からそう離れてはいない。だからこそ、周囲の海を船で虱潰しに探せば、ここが見つかる可能性がある。

 そして洞窟の出入り口を塞がれてしまえば、逃げ場はない。

 一応、洞窟の奥の方へ続く道もあるが、船を置いて逃げれば拿捕され、石化したスタッグの仲間たちも捕まるか――――破壊されるかだろう。

 だから予め動けるようにしておこうとスタッグが言っているのだとシュネーは考えたのだ。


「なるほど、入口を塞がれたら、逃げようがありませんものね」

「え?」

「ほら、コールマン兄さんは、そう簡単に逃してくれませんので」

「…………ああー」


 シュネーの言葉に、スタッグは何度か頷いた。そっちか、とも呟いている。

 その様子を見ると、どうやらお互いに考えていた事が、少しズレていたようだ。

 何か違うらしい、という事は分かったが、それが何であるかは思い当たらず、シュネーは首を傾げた。


「…………これは仲間あいつらに怒られる奴だ、うん」

「え?」

「いえ、こちらの話です。そうですね、軍の船に塞がれてしまっては、どうにもなりません。では準備をしてきますので、少しお待ちを」

「私も何かお手伝いを」

「いえいえ、慣れてますから。まだ疲れているでしょうし、休んでいてください」


 シュネーが手伝いを申し出ると、スタッグは走って行った。

 船の知識は、シュネーにはあまりない。なので手伝いを断られてしまった以上、出来る事はない。

 お言葉に甘えて、シュネーは少し休憩させて貰う事にした。

 船が動いたのは、スタッグの言う通りそれから「少し」してからだった。

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