第32話 ”ドール”
クローフィの診療所前で、
『”ドール”もとい
扉の前まで来たという連絡をしてしばらく、ピッと音を立てて電子扉が開いた。半分だけ自動で開き、残りは中にいた人物が開ける。
「あ、レヴァンさ――」
完全にレヴァンだと思い込んで声をかけようとして、途中で別人だと気付いた。開けてくれたのは濃い青の髪に目を持つ男で、弑流を認めてニカッと笑顔を見せた。
「おー、あなたが弑流さん? こんにちは、初めまして。オレ、リゲルって言います」
「こんに……いえ、初めまして。はい、弑流と申します。えっと、リゲルさんが案内してくださるんですか?」
「ええ。今先生もレヴァンさんも忙しくって。オレの手がたまたま空いたので。どうぞこちらへ」
快活な好青年といった感じのリゲルは弑流を待合室内に招き入れると、扉を閉めた。空間を横断して診療所の方の扉も開ける。
「先生、弑流さん来ましたよ~」
中に声をかけてから通してくれた。奥のベッドには幽が点滴を打たれたまま眠っており、その横に座っていたクローフィが顔を上げた。
「ああ、弑流くん。ごめんね急に呼び出して。話したいことがあるから、幽くんを挟んで僕の対面に座ってくれるかな?」
「はい」
ちらりと部屋を見回すと、クローフィのデスクには
そちらを気にしながらも、言われた通りに対面に座る。レヴァンはここにはいなかった。
「あの、彼らは……?」
「彼らは僕が預かっている子たちだよ。青髪の方がリゲルくんで、全体的に白い方がシリウスくん」
クローフィの声を聞き、二人がそれぞれ振り返って会釈した。弑流も返す。
「シリウスくんの方にちょっと変わった障害があってね。手に負えないということで『星空園』という養護施設から預かったんだ。二人の名前はそこで貰ったものらしくて、本当の名前は誰も知らないから、ここではそのまま呼んでるよ」
「そうなんですか」
以前クローフィが暴走した後、レヴァンが謝りに来た際に口にしていた二人だろう。預かられてからここで働いているらしい。様子を見るついでに働いてもらうのは効率もいいに違いない。
「さて、じゃあ本題に入ろうか。僕たちが作った報告書は読んでくれたかな?」
「はい、もちろん」
報告書の内容は主に二種類で、パソコンの記録を書いた女性のことと幽のことが書かれていた。中でも圧倒的に情報量が多かったのは後者だ。
治療は順調だが回復にはかなり時間がかかることから始まり、その理由やその他の留意事項が続けて書かれていた。
点滴だけでは栄養に難があるため一定数の食事を与えているのだが、幽は特定の物を少量しか食べられず、大抵の場合は全て吐き戻してしまう。特に肉類は見ただけで吐き続けてしまうので、大豆をなんとか加工して食べさせているという。
また、言語能力が低く、ほとんどの言葉を理解出来ていないとみられる。そのために意思疎通が難航している。当然字も書けず筆談も不可能。身振り手振りでどうにか測定した握力は、小刀を持っていたことから利き手と思われる右が異常に強く、逆に左は異常に弱かった。
右目には呪術発動の
現在の彼の能力や様子を見るために様々な検査も行っているが、言語が通じないことが影響して上手く進んでいない。
最後にまとめとして、”あの虐待”が幽の状態に大きな影響を与えているのではないかと記されていた。
「それは良かった。報告書を書くのも大変だからね、それで予習してくれていた方が色々助かるよ」
「はい。それで、お話というのは?」
「うーん、どれから話そうかな……。ああ、そうそう。まず、まとめとして書いたことだけど、あの時は忙しかったし内容に確信がなかったから詳しく書かなかったんだ。それから話そうか」
”あの虐待”とは言わずもがな幽を吊り上げたこと。それにより痛覚が鈍ったのはもちろんのこと、様々な弊害が生じていたとクローフィは考えている。
「最初の方に書いたけど、彼、拒食症気味でね。碌な食事を与えてもらえなかったのもあると思うけど、食べても吐いていたんじゃないかな。痩せてて身長の割に体重が軽すぎる。栄養失調とか餓えとかでよく死ななかったなと感心してしまったよ」
「確かに骨と皮しかないような見た目でしたし、抱えたときも軽かったですね」
「うん。それで考えたんだけど、それにも虐待が影響しているんじゃないかなと」
「えっと、精神が疲弊してしまったとかそういうことですか?」
「まあ、それもある。だけど、言いたいことはそれではなく。あの虐待は体重が重ければ重いほど、自重で傷が深くなってしまうんだ。ピアノ線が強く食い込むからね」
「ん? あっ……。つまり、」
「そう、つまり痛みを和らげるために、体重を軽くするために食べなくなったのかもしれない。肉だけに過剰反応するのはまだよく分からないけど、それ以外ならここでは少しずつ食べてくれるし」
あり得る話に頷きながら聞く。
真剣な生徒に対してクローフィも会話に熱が入る。
「そう考えると、他のことも芋づる式に上がってきてさ。報告書に纏めている所なんだけど、君にはここで話しておくよ」
横目でちらちらと幽の様子を見つつ、持論を展開していった。
まず、表情が乏しいことについて。幽は”ドール”というコードネームを付けられるほど無表情だが、これは食事を食べなかったことが原因ではないかと考えられる。
「元々の摂取エネルギーが少ないから、言うなれば節電モードだったんじゃないかな。彼にとって命令が逆らえないものである以上、命令以外に労力を割く必要はなかったわけだから」
食事を摂らない分、生きるためには使う体力も必要最低限でなければならない。”表情”などという要らないもののためにわざわざ筋肉は使わなかったのだろう。
また、言葉を話せないのも同じ理由だと思われる。脳を使うにはかなりエネルギーを消費する上、言葉まで発するとなると尚更だ。命令を理解する程度の脳さえあれば良かったとすると、別に話さなくても困らなかったと推測できる。
少ないエネルギーを必要なものだけに絞って配分した結果、余計なものが全て削ぎ落とされてしまったのではないか。これがクローフィの主張だった。
「確証はないけど、結構信憑性の高い考察だと自負しているよ。生き物って言うのは何でも”食べること”が基礎中の基礎で、最も大切なことだからね。それが欠けてしまっている彼は”まとも”には育たなかったんだろうって。推測の根底はそこなんだ」
「なるほど。『食料を摂取していない』から『不要なものを削ぎ落とし』て、『人形の様になった』と。大まかにはそういうことですか?」
「うんうん。理解が早くて助かるよ。彼は環境に適応するために”進化”したんだ。……ま、内容的には退化だけれど」
クローフィは苦笑しつつ左右で握力に大きな差があるのもその一端だと付け加えた。
ここで一旦会話を切り、ふと真面目な顔になる。
「……さて、じゃあ本題の、君と話したかったことだけど。弑流くんは報告書に、幽くんの左足首の呪いが光っていたと書いていたね?」
「あ、読まれたんですね。はい、書きました」
「あれなんだけど、本当に何も起こらなかったのかい?」
「そうですね……特には……。自分が気付いていないだけかもしれませんが、見た感じは何も無かったです」
「そう。……でも、赤黒く光っていたんだろう? あれは呪術の発動を意味するから、何も無いはずはないんだけど……」
「そう言われましても……。確保した時には既に消えていましたし、その間におかしなことは何も……」
困惑しながら事実を述べると、彼はうーむと唸りながら顎に手をやった。発動しているはずなのに何も起こっていない、というのはクローフィからするとどうも納得がいかないようだが、弑流には説明し得ないことだった。悩む彼を無言で眺めることしか出来ない。
「……効果付与型の呪いかな? 見た目で分からないような。右目と左足首で回路が作られているようだし、全身に何か効果が……」
しばらくブツブツと考えを整理して、結局ここでは答えを出さなかった。
「ああ、ごめん。すぐ考え込むのは僕の悪い癖だね。次の質問だけど、足首の呪いはいつまで光っていた?」
「ええっと……。戦闘の途中で光っていることに気付いて。次に見たのは確保した後でした。その時にはもう光ってなかったです。つまり、詳しくは分かりませんけれど、自分がド……幽を捕まえる前のいつかまでは光っていたのだと思います」
「なるほど。効果付与だとしたら戦闘中に使われるようなものってことか。んー、単純に身体強化かな? でもあの碌でもない呪術師がそんな……。おっと、まただね。失礼」
クローフィは思考の海に潜ることを自力で止めて、軽く手元にメモした。後で考える時用に書き留めたようだ。しばらく書く音が響き、それが終わると顔を上げた。
「それでね、燐ちゃんの報告書から分かったんだけど。件の呪術師が『自分の式神を奪われた』と口走っていたらしい。他の報告書とまとめてみてもその奪われた式神っていうのは幽くんのことで間違いない」
「はい。自分も読みました」
「うん。で、問題は、その『幽くんを区長から奪った呪術師』が誰かってことだ。僕はこれがかなり大事だと思っていてね、一番そばにいた君が何か知ってないかなと思ったわけ」
確かに、確保した瞬間からしばらくは弑流が最も近くにいた。とはいえ、そういった知識のない彼にはこれもまた答えることが出来なかった。
「ごめんなさい、分かりません」
「……。うーん、まあそうだよね。報告書に書いてないってことは不審者もいなかっただろうし」
弑流があの場で見たのは救急部署員と区長と女性だけ。他は調査部署員と幽だ。
そう自分の記憶を辿る過程で、ふと思い至ったことを口にする。
「そういえば、先生のアドバイス通りに右後ろから忍び寄ったら確保出来たんですよ。たまたまでしたけど、ありがとうございました」
「ん? ああ、そうだったね。まさか実践して成功させてしまうなんてなぁ」
「反撃されたら一溜りもなかったので、本当に賭けでした。幽の方も限界だったのか、後ろから押さえたら脱力してくれたので助かりました」
眠っている幽を見ながら『糸が切れた操り人形の様だった』と感想を交えて話し、返事のないクローフィを疑問に思って視線を戻す。彼は押し黙って口を開けたまま、弑流を見ていた。
「……それだ」
「え?」
「その時かもしれない。呪術師から幽が奪われたのは」
「! そ、それは何故ですか?」
「どんなに傷を負っても戦いを止めなかったのは、それが命令だったからだ。限界でも何でも、君に妨害されたのなら暴れるくらいするはずだ。それが、『糸が切れた様に脱力』した……。ってことは、文字通り呪術師からの束縛の糸が切れたんじゃないか?」
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