第33話 ”ドール” Ⅱ

「どんなに傷を負っても戦いを止めなかったのは、それが命令だったからだ。限界でも何でも、君に妨害されたのなら暴れるくらいするはずだ。それが、『糸が切れた様に脱力』した……。ってことは、文字通り呪術師からの束縛の糸が切れたんじゃないか?」


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 クローフィの言うことはもっともだった。


 現に弑流しいなが取り押さえるまでは仙術せんじゅつで抵抗したり、不利であれば逃げたりと鬱陶しいくらいしぶとかった。それが、弑流が捕らえた後は瞬き以外の動きが全くと言っていいほどなかったのだ。無抵抗で戦う意志すらないように見えた。


「もしかして、体に触れたことが原因でしょうか? それまでは体に触れさせてはくれませんでしたから」

「うん、一理あるね。ただ、それで呪いが上書きされてしまう、若しくは呪術師との接続が切れるというのは考え難いな」


 “呪い”というものは、呪術師が式神に所有の証として刻むものだ。そこに一定の効果を付与するかどうかはその呪術師の勝手だが、どちらにしてもそれ用の儀式が必要だ。まさにリンが区長に施された様な呪術的な陣の中で行うものである。


 もちろん、ゆうがいた現場ではそんなものはなかったし、誰も目撃していない。

 そう説明をされ、弑流の顔が渋くなる。


「……それでしたら、どうしてそのタイミングで切れたんでしょう?」

「それは僕にも全く分からない。だけど、区長が死んでも彼が生きている時点で、呪いの繋がりが切れていることは確かだ」


 切れていなければ、今頃は女性と同じ末路を辿っていることだろう。


「これはあれだな、例外を視野に入れないといけないな」

「例外?」

「うん。『陣を書かずに式神を奪える呪術師が存在する』というね。まあ、式神同様呪術師についても分かっていないことが多過ぎるから、例外は付き物だよ」


 そもそも何故クローフィがこれほど詳しいのか。そちらの方が不思議なくらいだった。この国のほとんどの人間が知らない存在を知り、その上診察までやってのける。知識が豊富で呪文じゅぶんの解読も任されているほどだ。

 その理由を質問すると、『両親がそういう古いものを集める趣味があった』と返事が来た。


「僕は外で遊ぶより、家の中で日がな一日本を読んでいる方が好きなタチでね。親の書斎とかにも勝手に入って読み漁っていたものさ。そこにあったのが『式神』やら『呪術師』やら『鬼』やら、とにかく人外について扱った書物だった」


 ありがちな話だが、それを見つけた彼は、未知の存在や知らない文字が並ぶそれらの虜になったという。勉学に励むための学問所へも行かず、夢中で読書に勤しんだ。親が知っていた知識もほとんど共有した。


「それで、気付いた時には完璧に彼らに魅了されてしまっていたんだ。実際にいるとかいないとか関係なく、ね。それからはまあ、色々あって医者を目指すことにして、今に到っているよ。で、家にあった物以外にも資料はかき集めたけど、信憑性があるんだかないんだか分からなくてね。例外があってもおかしくはない」

「なるほど……。ですが、もし先生が言っていたような例外だとすると、ちょっと強すぎませんか? 式神奪いたい放題じゃないですか」


 陣も書かずに呪いを上書きしたり刻んだり出来るとしたら、そして今回はそうしたとしたら、遠隔でも奪えるということになってしまう。弑流たちの周りには誰もいなかったのだから。


「それはそうなんだよね。そんなことが出来たら最強だと思う。だけど、今のところこれしか結論付けられないな。報告によると区長は燐ちゃんの呪いを上書き出来なかったみたいで、詰まるところ呪力は強くないはずだ。だから、上書きした呪術師の呪力も強いとは限らないしね。そこだけは安心材料かな」


 呪術師としてより呪力が高い方が、低い方の呪いを上書きできる。逆に低い方はそれが出来ない。そのため、区長が燐の呪いを上書き出来なかったということは、燐の呪術師よりも呪力が劣っているということだ。よって、幽に刻まれていた呪いは簡単に上書き出来た可能性がある。

 燐の呪術師にどれほどの力があるかは分からないところが不安要素ではあるが。


「まあ、これは確認のしようがないから保留かな。燐ちゃんのご主人が捕まってれば良かったけど、こればっかりは仕方ないね」

「あ……そうですね」


 彼のせいではないとはいえ、調査部としての初任務であっさりと逃げられたことを思い出して下を向く。


「ああごめん、責めたつもりはないよ。……本当は君からの証言を集めて、幽くんの右目から左足への呪いの効果を突き止めようと思っていたんだ。誰かに聞かせるものでもないし、君だけを呼んだ」


 結果は分からずじまいだったが、その分得た情報も多い。


 幽が言葉を理解していないことによって、『捕縛出来れば事件の全容が分かる』という大前提が崩れてしまった。それどころか不明点が増える始末だ。どんな些細な情報であっても宝石ほどの価値がある。


「とにかく、今日は助かったよ。また何かあったら呼ぶかもしれないけれど、今日の所はひとまずおしまい」

「分かりました。……自分で良ければいつでも」

「ホント? 嬉しいな。採血していくかい?」

「あ、それは遠慮します」

「んー、いけずだねぇ」


 笑顔を見せたクローフィに釣られて笑う。

 そのまま自然な流れで立とうとして、


「?」


服の裾が引っ張られていることに気付いた。何処かの金具に引っかかったのだろうか、と目線を彷徨さまよわせる。無理に立って制服が裂けてしまっては困るからだ。

 そして、服を引っ張るものが金具ではなく骨ばった指だということを知った。包帯が巻かれているそれは、言うまでもなく幽の指だった。

 いつの間にか目を覚ましていた彼が弑流の服を掴んでいた様だ。こちらを見るガラス玉に似た瞳と目が合った。


「えっ、えっと――」


 困惑して何かを言う前に、幽の口が開かれる。


「……ち、……ぁう、……と」

「……え?」


 酷く掠れて聞き取りにくいが、何か意味のある言葉のようだ。狼狽えながらクローフィの顔を見ると、人差し指を唇の前に立てて目配せされた。そのまま黙っていろということらしい。シリウスとリゲルの二人も気配を察して黙った。


 微かに頷いて目線を戻し、ガラス玉を見つめ返す。

 彼は必死に話そうとしているが、上手く言葉が出てこないようだった。薄い唇が開いては閉じて、いつまでも言の葉を紡げない。それを無言で待ち続ける間に、『犬歯が尖っている』などというどうでもいい発見をしていた。


 途切れ途切れの音を発し続けてしばらく、ようやく少し滑らかに話すようになった。


「ち、が、う、ひ、と」

「…………違う人?」


 小さく頷いたところを見ると合っているみたいだが、意味は分からない。彼は裾をつんつんと引っ張って、もう一度『違う人』と呟いた。


「俺のこと?」

「…………」


 聞いてみるも、返事はない。


「多分、通じてないね。弑流くんのことを『違う人』だと認識しているようだけど、君の言葉なら理解出来るとかそういったことではないみたいだ」

「そうですか。……『違う人』って、何?」


 なるべく分かりやすい言葉でもう一度聞いてみる。


「おと、が、する」

「音?」


 今度は返事があった。ほとんど呟くような声だ。男にしては少し高い声だった。


「……ちが、う。わかる、ひと、じゃない。ちがう、ひと。おとは、なに、わからない」

「……?」


 彼が何を言っているのかは全く分からない。首を傾げるしかない弑流の横で、クローフィはメモを取っている。

 理解出来ない言葉の羅列を言い終わると、体力の限界なのか目を閉じて眠ってしまった。袖を引っ張る力もなくなり自由になる。


「あの、先生。これは……」

「うーん。きっと彼の中では君に特別な何かがあるんだろうね。僕らには何も話してくれなかったから」

「やはり、一番近くで接敵したから?」

「可能性は高いかな。……今後はこっちの案件でも呼ぶかもしれないけど、許して欲しい。幽くんが話してくれるなら、得られる情報も増すからね」

「分かりました」


 幽に気を配りながら、今度こそ席を立って病室を後にした。



 弑流がいなくなった後、手元の書類を整理していたクローフィは呆れたようにため息をついた。

 見つめていたのは“ドール”の審議に関する書類で、正確な審議を下すためにどんな些細な情報でも提出せよとの記載があった。


「これ、四人でやる仕事量じゃないよねぇ……」

「ええ。それに、オレとシリウスはまだまだ見習いですし」

「そうだね、リゲル」


 げんなりと愚痴を零したクローフィに対して手伝いの二人も同意する。


「それにさぁ、彼を審議にかけるのもどうかと思うよ。殺された人からすれば仇だから仕方ないんだけど」

「自分の意思ではなかったとしても、人を殺しているんですから罪には問われると思いますよ。でないと秩序が破綻してしまいます」

「それはその通りだよ。だけど……『罪』という言葉すら知らない無垢で無知なお人形さんに、どんな罰を与えるっていうんだろうね」


 クローフィの疑問に、シリウスもリゲルも答えなかった。答えられなかった。

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