第31話 特別業務


 ガブリエレがリチャードに持論を展開していた一方で、彼の仮説で言うところの”悪”の家は調査終了に向かっていた。


 今は地下にあった“赤嶺家あかみねけ”の式神の死体や呪術書、悪の私物などが全て運び終わり、物がほとんど無くなった場所を数人が出入りするのみである。


 必要なくなった人材は善の方の家――つまり区長の仕事場へと調査を移行した。

 家の写真を撮っていたネガと弑流しいなも、撮るものが無くなったので今日からは善の家へ行っている。

 ちなみにシャルルは全体の雑用を任され、その体力を活かして昨日まで右に左に走り回っていた。


 そんな中、リンはというと、


「おい、何だこの仕事は」

「わあ……もふもふ……」


うつし身の黒狼姿でモフられていた。

 きちんとお座りした状態で局員に抱き着かれながら、わさわさと撫でられている。人間の姿をしている時ほど感情は豊かでないが、大変不服そうであることは伝わってくる。


「まあ、セラピーも大事な仕事だからね。しかもきみにしか出来ない」


 たまたま傍にいた中年の現地調査課の男が慰めるように言った。

 実際、燐だけ指名されていた求人の書類には『調査で精神を負傷した局員の治療。現し身で待機』と書かれていたが、想像していた”治療”とは全く違いまるでペットの犬扱いである。


「本当にこんなのが治療なのか?」

「ああ、もちろんだとも。動物っていうのは嫌いな人もいるが、ほとんどの場合は姿を見るだけでも癒やされるものだ。それも噛まれたり吠えられたりする心配もなく好きに触れられるというのは、それはもう最高の癒やしだろうね。特に地下で嫌なものを見た人にとっては」

「ふーん、そういうものなのか……。同僚は僕のこれを見て『嫌いになった』って言ってたが」

「…………。うん、まあそういうこともある。だが安心して欲しい。ここに来るということは、きみに癒やされに来ているということだから」


 中年と話している間も入れ替わり立ち替わり人間がやってきて、燐を撫でたり抱き付いたりしていた。大人しくされるがままになりながら、未だ納得していない様子で中年を見上げる。


「……まあこいつらは良いとして、僕は割と嫌なんだが」

「え、そうなのか?」

「なんで意外みたいな顔してるんだ。知らない奴に触りまくられて嬉しいわけがあるか」

「でもほら、撫でられて嬉しそうな犬もいるだろう?」

「僕は犬じゃない。……まあ人間でもないが」

「うーん、そうか。……式神ってのは、結局どんな存在なんだ?」

「知るか。お前らは沢山いるから自分たちがどんな存在か分かるんだろうが、僕は同じ存在があまりいないから分からない。関わりもないしな」

「ふむ。……ちなみに、仙術せんじゅつとかいうのは使えるのか?」


 現地調査課は今回のような件を捜査することもあるため、式神についてはどの局員でも若干の知識がある。普段は調査部にしかいない式神が目の前にいるので、あれこれ気になるのだろう。


「んー、あまり使えないな。使い方がよく分からないんだ。ちょっとしたことなら何とか、って感じだな」

「へえ。あの白髪の子は結構使えるみたいだったが、やはり個体差があるのか」

「かもな。ただ、あいつは僕と違って訓練とか受けてそうだから、経験の差なのかもしれない」

「ん? ……もしかして、きみは彼の生い立ちを知らないのかい?」

「え? ああ、深くは知らないな。義理の父親と仲がいいことくらいしか」

「そうか」

「あんたは知ってるのか?」

「ああ、まあ、有名だからね、色んな意味で」

「?」

「そんなことより、きみの仙術、使える範囲でいいから見せてくれないか。結構興味があるんだ」

「まあ、良いが……」


 妙にはぐらかされたが、首を傾げながらも深くは考えずに言われた通りにする。局員に抱き着かれたままで仙術を使い、中年の足元から小さな芽を出現させる。芽は早送りのような速度でどんどん成長すると、先端につぼみがついて花が咲いた。


「おお! すごいな」

「そうか? けど、悪いがこれが限界だ。戦闘には一ミリも役に立たないな。“ドール”やみおの足元にも及ばない」


 悪の区長に襲われた際、例え反撃しようとしていたとしても無理だっただろう。火事場の馬鹿力的なことで試してみる価値はあったが、さすがにリスクが高すぎた。


「そうだな。むしろセラピー適性が上がったような」

「なんかあんまり嬉しくないな」


 こうやって仕事にされている以上、大事な役割ではあるのだろうが、別の式神に襲われた上にレノを人質にされた経験がある彼女としては複雑な気分だった。あの場で仙術を使おうなどと先走らなくて良かったと今更ながら安堵する。一発逆転の切り札として使えるのは“ドール”のような仙術であり、花を咲かせることではないのだ。


「ま、そのうち使えるようになるかもしれん。まだ若いようだし、焦らずにやればいいんじゃないか」


 中年はそう言ってしゃがみ、足元に咲いた紫色の花を眺めた。


「これ、貰っていいか」

「抜くってことか?」

「ああ。ダメか?」

「別に良いけど。何にするんだ?」

「いや、綺麗だから妻に摘んで帰ろうかと」

「あー。いいぞ」

「ありがとう」


 紫の花の根元を持つと、丁寧に手折った。それから、ちょうど“客”のいなくなった燐に近付き、その頭をポンポンと撫でた。


「じゃあな。良い休憩になった。ありがとさん」


 ヒラヒラと手を振り、その場から去っていった。

 話し相手がいなくなり、一人残された燐は一度伸びをして体を解した。


「……本当に誰か代わって欲しい……」


 彼女の不満げな呟きを聞くものは、この場にいない。




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 暗い話が多いので少し明るめのを入れてみました。

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