第9話 邪魔者
男は、ただ探していた。
命令を遂行するために探していた。
殺さなければならない相手を探していた。
青眼に黒髪の式神と、糸使いの式神と。怯えた顔の人間と、癖毛の人間と、妙な髪色の人間とを。
『一度に全員殺すのがベストだ。短時間ですぐに済む。しかし、式神二人となると確実に不利である。顔を見られないよう慎重に、一人ずつ確実に殺すべきだろう』
本当は考えなければならないこのようなことも、男の脳にはなかった。
ターゲットを見つければ殺す。
彼の脳にあるのはそれだけだった。
何故かと問われれば、それが命令だからである。彼にとって“自分”という存在は“人型で感情を持たない、持ち主の命令を聞くもの”であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
命令ありきの存在で、命令がなければ生きている価値もない。それが彼にとっての“自分”だった。
だから、命令遂行に躍起になって、自分が“殺される側になる”ことなど頭にはなく、あったとしても優先順位は低かった。死のうが死ぬまいがどうでもよかった。
「…………」
ターゲットを探すために突っ切っていた雑木林で、突然目の前を青白い炎が遮った。男は走り続けていた足に急ブレーキをかける。重心が低くなることで力が入り、急激な負荷が掛かった骨張った素足は、地面に積もる落ち葉の上を滑る。ざざざと音を立てながら減速し、炎の手前ぎりぎりで止まった。間髪入れずに背後から振り下ろされた刀身を、振り向きざまに小刀で上へとはじく。静かな森に高い金属音が響いた。
男へと攻撃を仕掛けた者は後方に飛んで軽やかに着地した。履いている高下駄で器用に地面に降り立った際に、足首に結ばれた飾り紐からシャランと鈴の音が鳴った。
男を襲った得物は反った刀身の太刀。そしてそれを持つのは頭に笠を被った黒づくめの人間だった。笠から着物、切りそろえて纏められた癖のない髪、太刀の鞘に至るまで全てが黒で、まるで闇から溶けだしてきた浪人のようだった。顔は目深に被った笠に隠され、表情も容姿も伺うことが出来ない。
…………だが、狙いが男であることは明白だった。
その笠でも隠すことの出来ない殺気。研ぎ澄まされた刃のように鋭い殺意ははっきりと男に向けられていた。
相手に比べて遙かに得物が小さく、しかも不意打ちをされた男は刀身を弾いた反動で炎に片足を突っ込む形になり、足と衣服を焼くことになった。体格も、痩せ細った男より相手の方が肉付きが良く健康そうであり、男の方が不利なのは目に見えていた。
男はそんな相手を見て、瞬時に『この戦闘は無駄だ』と判断した。
『目撃者も全員殺せ』
主人は確かにそう言った。
しかし、この見ず知らずの浪人を相手取るよりも、殺害現場と顔をはっきり見られた相手を殺す方が先決だと、滅多に働かない彼の脳がそう言っていた。
青白い炎で行く手を遮ってきたことを思うと人間ではない”何か”であることは確かで、その他いろいろを鑑みても男に勝てる要素はなく、ただ無駄に時間を浪費した挙げ句殺されるのがオチだろう。
……それは最も命令遂行からかけ離れた最悪の終わり方だ。命令遂行中に死ぬなら良し、だがこんな関係ないところで死ぬのは御免だった。
自分の命のためではなく命令遂行のために、男は逃げることを選択した。
脳内の最優先目的を『目撃者を殺す』から『逃げる』に瞬時に変更し、即刻行動に移す。
男が逡巡している間に次の一振りを繰り出そうとしていた浪人にくるりと背を向け、目の前に広がる炎の壁を突っ切った。いくらか燃え移った火を走るスピードでかき消しながら、雑木林の中を飛ぶように駆け出す。
「なっ……!」
浪人はまさか男が逃げるとは思っていなかったらしく、笠の下から低めの驚き声が漏れた。空を切った太刀を慌てて持ち上げ直し、逆手に持ち替えて納刀する。
戦闘となると全てにおいて浪人が有利だが、“追いかけっこ”となると得物が重い上に高下駄を履いている浪人の方が圧倒的に不利だった。
それでも、男より少し勝っている筋肉で地を蹴り、なんとか後を追う。
しばらく追いかけっこは続き、距離が縮まらないまま双方のスタミナが切れ始めていた。
「くそ、あんな形なりのクセにすばしっこい奴だ」
浪人は息を切らしながら悪態をつく。このままでは平行線のまま引き離されて終わりだ。そう考えた浪人は、自分と男の位置関係が直線に並ぶタイミングを見計らって、太刀の上に
そう考えての行動だったが、男目掛けて正確に投げられた脇差しは、彼に届く前に甲高い音と共に弾かれ、地面に落ちることとなった。
浪人にとって打開策になり得たかもしれない脇差を叩き落としたのは男本人ではなく、二人の間に横槍を入れてきた第三者だった。木の上から舞い降りるように落ちてきて、手に持つ短剣で飛んでくる脇差しを弾いたのである。
追いかけっこを邪魔をした者は身軽そうな服装に束ねた黒髪、鷹のような金の目を持つ男だった。彼は逃げ側の男に対する浪人の視線を切るように間に割って入り、浪人に向き合う形で対峙した。
逃げ側の男はそのまま走り去って見えなくなる。
脇差を投擲するために一度立ち止まっていた浪人からすると大幅なロスであり、今回は追跡を諦めなければならないことは明らかだった。邪魔者を無視して追いかけても、恐らくもう追いつけないだろう。
「誰か知らないけど、邪魔をしないでもらえる?」
浪人はイライラした口調でそう言った。この邪魔者のせいで獲物を逃がした上、彼が立ち塞がる以上は戦わなければならないということが浪人を苛いらつかせていた。
邪魔をした男は目付きの悪い金の瞳をさらに細めて睨みつけながら口を開く。
「
「…………ハァ?」
予想外の言葉に呆気に取られつつ、浪人はもう一度太刀に手をかけた。今度はこの邪魔者を追い払って、もう一度あの男を追いかけるために。
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