第12話 シャルルとレノ


 次に向かったのは、仕事部屋の向かい側にある休憩室だった。小さな部屋だが、ソファに机にテレビ、それと菓子類などが入った棚が置いてあり、十分のんびり出来そうだった。モスグリーンのソファと焦げ茶色のローテーブル、観葉植物と目にも優しい色使いになっている。

 この部屋には二人の署員がいた。弑流が紹介されなくても知っている、シャルルとレノだ。レノはソファに寝転んで仮眠を取っており、シャルルは菓子を食べていた。

 リチャードたちが話しながら入室すると、シャルルは口の端に菓子の欠片を付けながら顔を上げ、レノは微かに半身を起こした。


「ふぁれ? ほうへひはっへ?」


 シャルルが驚いたように言う。恐らく「あれ? 今日でしたっけ?」と言っているであろうニュアンスだ。仕事部屋にいなかったのは日時を間違えていたのかもしれない。

 彼の前には空になった菓子の袋が相当数散乱しており、彼が大食いであろうことが分かる。口に詰まった菓子をもぐもぐと咀嚼してしっかりと飲み込んで、


「新人さん初めまして! 俺、シャルルって言います!」


 何事もなかったかのように立ち上がり、爽やかな笑顔を向けた。ぴょんぴょん跳ねた象牙色の髪や大きなうぐいすいろの瞳から、大型犬のような印象を受ける。弑流の身長は百七十センチあるかないかくらいで、リチャードもそのくらいだが、シャルルの顔を見る際は少し見上げねばならなかった。さりとて噂のような威圧感は感じず、優しいお兄さんといった感じだ。


「シャルル、フルネームと出身地」


 リチャードが小声で言う。


「あ、そうでした……。改めまして、俺はシャルルマーニュ・ヴェイユって名前です。長くて面倒くさいので、皆シャルルって呼びます。ええと、お名前は……弑流さんって言うんですね! よろしくお願いします! 弑流さんもシャルルって呼んでください! 出身地はリベルテです」


 上司からの指摘を受けて、ハキハキと元気よく名乗ってくれた。

 リベルテは東極の北にある島国だ。年中雪が降っているような寒い地域なので日照時間が短く、国民の肌は皆白い。シャルルは若干日に焼けているが、それは東極に長いこと住んでいるからだろう。漁業が盛んなので、魚介類が好きな弑流は食品関連で良くお世話になっている。

 シャルルたちが話し終わる頃に、レノはソファから体を起こして、顔だけ弑流の方に向けた。

 シャルルと違って癖一つないさらさらの髪は、星屑のような青銀だった。青より銀の方が強く、青みがかった銀髪だ。かなり珍しい色なので素顔が気になるところだが、マスクと前髪のせいで全く見えなかった。むしろ素顔を晒したことはあるのだろうかという気になってしまう。

 そのマスクが微かに動いて言葉が発せられる。自己紹介はしてくれるようだ。


「……レノ・ミセリエリ・ノストラダムス。長くて面倒くさい以下略。出身はエイレイテュ……ルーチェス。話しかけるなら僕じゃなくてシャルルにして。以上」


 してくれたが、随分投げやりで簡潔だった。彼は言うだけ言うと立ち上がって部屋を出て行こうとして、リチャードにやんわりと戻された。

 東極の東南にあるエイレイテュイアは、十年前にシグルドリーヴァとの戦争で滅亡し、現在はルーチェスと名前を変えている。彼が一度言い換えたのは現在の名前が違うからだろう。

 元々戦争をふっかけたのはエイレイテュイアの方で、相手はシグルドリーヴァではなく、東極の東でエイレイテュイアの北に位置するプレーゼだった。当時のエイレイテュイアは統治する女王の影響で暴走状態であり、あちこちの国に戦争をふっかけようとしては緊張状態を作っていた。そしてついに隣国であるプレーゼに侵攻を始めたのである。見かねたシグルドリーヴァは兵を出して北から攻め、プレーゼ侵攻に兵を割きすぎたエイレイテュイアを陥落せしめたのであった。

 この戦争は「フェールレーヌ挟撃戦きょうげきせん」という名前で各国の教科書に載っている。学校に通える人なら誰でも知っている話だ。

 自分の故郷がもうないことに関してレノがどう思っているかは分からないが、無闇に聞いて良い質問でもないだろう。


「部長、仕事まだあるでしょう? 俺が弑流さんを案内しますよ!」


 シャルルのその提案で、ここからはリチャードではなく彼が案内してくれることになった。弑流が今まで会った署員の中で一番社交的かもしれない。

 リチャードはシャルルに「任せるよ」とだけ言って部長室に戻っていった。


「さて、他の部屋に行く前に、俺たちに質問とかありませんか? 出来るだけのことは答えますよ」


 シャルルは弑流にソファにかけるよう促して、自分も座った。ひじりみおの親子は取り付く島もないような感じだったので、こういう風にしてくれると話しやすくて助かる。


「ええと、大変不躾な質問になるのですが……大丈夫でしょうか?」

「ん? うーん、内容にもよりますけど、聞かないことには分からないので大丈夫ですよ」

「あ、はい。……何というか、他の部署に所属していた時――といっても一日くらいですけど――皆さんに関して色々お話を聞いておりまして。良くない噂が多かったのですが、実際お会いしてみると全然そうじゃないので、その辺についてお伺いしたいなあと」

「うーん、噂……。どんな噂ですか?」

「その、シャルル先輩は元々暴走族だったとか……」


 初めて会った人に対して失礼極まりないが、こればかりは聞いてみないと分からない。弑流が流した噂でもないので、事実かどうかも不明である。シャルルが気を悪くしないか顔色を伺っていたが、彼は特に気分を害した様子もなく答えてくれた。


「ああ、あながち間違ってないなあ……。俺、元走り屋だったんですよ。車を改造したりドライブしたり運転技術を磨いたり。俺が移住した場所の近くにお気に入りのとうげがあって、あそこ一方通行なのでよく走りに行ってたんです。そしたら危険だからって峠の利用者に通報されちゃって……。その時俺を逮捕したのが部長で、その縁でここにいるんですよね。……あんなうるさいだけのハエみたいな連中と一緒にされるのは癪ですけど、迷惑だったっていう点では変わらないかもしれないです」


 半分事実、半分間違いといったところだろうか。シャルルの人柄的にも暴走族というどこか危険なイメージの集団には合わないし、移動前に想像していたような怖さはなかった。不安しかなかった異動だが、今のところそれほど悪い印象はない。


「それってもしかして、僕の噂もあった?」


 シャルルと話していると、レノがそう聞いてきた。先程まで話すのも面倒くさいと言わんばかりの態度だったが、この話には興味があるらしい。


「ありましたけど、その、あまり良い内容では……」

「どんな?」

「上司の方に暴言をお吐きになられて、その方に随分怖がられたとか、勝手に退署なさったとか何とか……」


 弑流がそこまで言ったところで、レノのマスクの下からチッと舌打ちが聞こえた。


「あのクソ上……失礼、ハゲ部……失礼、害悪上司殿は被害者面がお得意なようで」


 暴言を吐きそうになっては言い直すこと数回、口調は直すことのないまま吐き捨てるように言った。


「こら、レノ。弑流さん怖がっちゃうでしょ」

「ふん」

「もー。弑流さんすみません。俺から簡単に説明しますと、ほら、レノってばちょっと見た目が変わってるじゃないですか。当時は前髪上げてたのでまた印象違うんですけど、それはさておき。で、そこの部署の部長さん、簡単に言うとパワハラ上司だったんですよ。それまでは違う部下に色々やってたみたいですけど、レノが入署したら標的が彼になっちゃいまして。それがあんまりにも酷いもんですから、ある日レノが爆発しちゃって。その結果がまあ、それです」


 シャルルは話しながらレノの前髪を上げようとしたが、彼にバシッと叩かれて諦めた。

 噂自体の内容は確かに間違っていないようだが、その上司のほうに問題があるとなると話が変わってくる。上司にとって都合が悪い部分だけ切り取られて広まってしまったのだろう。


「つまり、レノ先輩は悪くないってことですか?」

「気色悪いから先輩って呼ばないで。呼び捨てかさん付けにして」

「あ、すみません……」

「アハハ、そういうとこはレノが悪いと思うなー。口が悪いんだもの。誤解招いても仕方がないよ。ね、弑流さんもそう思いますよね」

「まあ、レノ先……レノさんは悪くないのでしたら、マイルドな言い方になさった方が事が穏便に運びそうではあります」


 レノは少し黙ってから、


「……別に、部署異動するつもりないし」


 と拗ねたようにそっぽを向いた。口や態度は悪くても、この部署のことは大事に思っているらしい。信頼しているからこそ、この口調と態度なのだろう。


「じゃあ、そろそろ他を案内しましょうか。さっきの以外で聞きたいことは、また追々してもらうとして」


 シャルルはにこやかに言うと席を立った。


「今までにどこを案内してもらいましたか?」

「部長室、仕事部屋、ここの三カ所です」

「誰に会いました?」

「リチャード部長とお二人、それから澪先輩と聖先輩です」

「了解です、じゃあ次は局内図書室ですかね~」


 局内に図書室があるとは。

 警察局は中央区でもかなり大きな建物なので、図書室くらい設置出来るのだろう。だが、図書室は調査部とは関係ないはずである。なぜ案内が必要なのだろうか。弑流が質問すると、


「ああ、そこにいつも残り二人の署員がいるからですよ。ちょっと立ち位置が特殊なので、俺たちよりも自由に活動してるんです。今日もあまり見かけなかったから、多分そこにいると思うんですよね」


 との答えが返ってきた。署内はそれほど広くないので、部屋紹介よりも先に人を紹介した方が良いと判断したのだろう。

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