第11話 調査部


 弑流しいなが局長から受け取った書類を持って向かったのは、局の端にある調査部の部署だった。少し奥まったところに存在する部署には、木で出来た扉がいくつかあり、それぞれ部長室や仕事部屋、休憩室などの部屋が割り当てられている。

 彼はその内の一つ、部長室へと歩を進めた。

 部長に会ったらすぐにでも部署を移れるように、自分の荷物も持参している。


(まさか、こんなことになるとはなあ)


 初日から死体を見る羽目になっただけでも不運極まりないのに、気が付けば妙なことに巻き込まれ、結果端から見れば”問題児”たちが集まる部署に飛ばされている。

 あの優しい先輩局員とももう会えないだろう。一応挨拶は済ませてあり、その際に励ましや応援をしてもらってはあるので心残りはないと言えばないのだが。


 入局前の自分は、ただ誰かの役に立ち、正義を貫き悪を挫く格好いい警官的な存在を想像していた。入局式でもどこかの部の部長が「国民の安全と生命を守り――」と、テレビドラマや局の式典で使われているいつもの文言を朗々と語っていて、ついに自分もそういう存在になれたのだと思っていたのに。

 入局の今現在、なんとなく情けない感じで全く格好良さがない。人間ではないとはいえ女性にすら押し倒されるレベルである。

 理想と現実の違いというものはいつも残酷だ。


 木の扉の群れから部長室を見つけ、扉の前に立つ。確か部長はまともだと聞いた。緊張はするが、変に身構える必要はないだろう。

 …………そもそも、局長が”信頼している”と言ったのだから、噂なんて嘘っぱちで本当は凄い人たちかもしれない。レノという人間のことはほぼ事実だと言われていたが、それも何かの間違いかもしれない。何事も希望を持つことが精神安定の原則なのだ。

 こうして呼吸を整えた弑流は、軽く息を吐いて止めて、


「失礼致します」


 ノックして入った。部長用の重厚な仕事机から顔を上げたのは、整えられた茶髪と思慮深い紺の瞳を持ったハンサムな男だった。


「やあ、いらっしゃい。待ってたよ」


 男は嬉しそうな笑顔を浮かべて立ち上がった。手を伸べて握手を求める。弑流もそれに応えて彼の手を両手で握った。

 調度品類は局長室より大分グレードダウンしているが、男の性格のせいだろうか、書類から何からきちんと揃えられた部屋は、まさに”部長室”といった感じだった。


「急な異動で驚いただろう? 新設だし小さな部署だけど、休憩室もあるし、局の寮も借りられるから、疲れたならそこで休むといいよ。……ああ、申し遅れたけれど、私は部長のリチャード・クリスティ。出身は見て分かるとおり外国でね、シグルドリーヴァの”リーヴァ”の方だよ」


 物腰柔らかにそう言うリチャードは、雰囲気からしても人格者なのが見て取れる。


 シグルドリーヴァは海と華宮かきゅうという国を挟んで東極の西南に位置する軍事国家で、貴族であり軍隊である”シグルド”の民が国の保安と運営を担い、農民である”リーヴァ”の民が食料や資金の調達を担っている。そのため彼の言から、彼はその農民側だったことが分かる。

 明確な身分分けがなされている国ではあるが、申請すれば身分を容易に変えられる上、あくまで仕事分担上の身分なので身分格差はほとんどない。国土の割に人口が少なく自然が豊かで、実際の所どうかは分からないが森には精霊系統の人外が住んでいるらしい。

 弑流はシグルドリーヴァはおろか外国にすら行ったことがないが、かの国は高貴な国という印象が強い。実際リチャードはリーヴァ出身というが、その佇まいには品があった。


「はい、お心遣いありがとうございます、クリスティ部長。私は冷泉れいぜい弑流と申します。この国の出身です」

「うん、よろしく、弑流君。うちはさっきも言った通り新設で、人手が著しく足りなくてね……。入局式に希望を持っていたんだけど、それも叶わなくて。だから、君が来てくれてとても嬉しいよ」


 弑流としては調査部への異動は不本意だったが、こう感謝されると悪い気はしなくなってくる。


「いえ、こちらこそよろしくお願いいたします」


 少し笑って返事を返した。

 先輩局員が言っていたとおり、部長のリチャードはまともを通り超してかなり良い人そうだった。これは他の局員に対しても期待が持てる。

 弑流はそう考えて軽く質問してみる。


「そういえば、他の署員の方はどのような方なのでしょうか」

「ええと、どんな、というのは?」

「あー……そのー、大変不躾な話なのですが、いくつか噂を窺いまして」

「噂?」

「はい。その、暴走族の方がいらっしゃるとか」

「……あー」


 リチャードはそっと視線を左に逸らした。


「上司の方に暴言をお吐きになられたとか」

「あー」


 彼は今度は視線を右に逸らした。


「盲目の探偵さんとか二メートルの巨人さんとか殺人鬼の方がいらっしゃるとも」

「あー」


 今度は斜め上を見た。どこか遠い目をしている。


「うん。まあ、会えば分かるんじゃないかな」


 リチャードは乾いた笑いを浮かべながら弑流の肩をポン、と叩いた。



 彼はこっちだよと言って扉を開ける。部署を案内してくれるらしい。付いていくと、最初に案内されたのは仕事部屋だった。整然と並んだデスクは整頓されていたりぐちゃぐちゃだったりと、使っている人の性格がよく表れている。デスクは八つあり、その内の一つは弑流用なのか何も乗っていなかった。

「ここが仕事場でこの机が弑流君の」と説明するリチャードの脇で、この部屋にいる人間が驚いたように見ていた。

 部屋にいたのは、眉間の皺は深いが厳しそうではなく、ただ心配性そうな四十代くらいの男と、その男に隠れるようにこちらを見ている白髪の青年だった。

 リチャードが説明をしている間、彼らは興味深そうに、そしてどこか不安そうに弑流を眺めていたが、口を挟むことはしなかった。一通り説明が終わって、


「今日君が加わることは皆には言ってあったはずなんだけど……。全然集まってくれてないね……」


 リチャードはため息をついた。それからそこにいた二人に話しかけて、弑流と挨拶を交わすように促す。


「あ、お初にお目にかかります。捜査部から異動してきた冷泉弑流と申します。これからよろしくお願いいたします」


 名刺などはまだないので、代わりに深々と頭を下げる。弑流が顔を上げると、相手が自己紹介をしてくれた。無精髭を生やし、黒髪と灰色の目を持つ男は、酷く遠慮がちに話し出す。背丈は普通くらいだが、態度のせいで小さく見えた。


「初めまして。俺は京極きょうごくひじり、と言います。分からない事があれば、いつでも聞いてください」


 弑流はもう一度挨拶をして握手を求めたが、聖は困った顔をして手を引っ込めてしまった。


「すみません、俺の手、汚いですから」


 予想外の反応に一瞬呆けたが、嫌がることを無理に強要するのは違うだろう。弑流も手を下ろした。引っ込み思案、もしくは内気で人付き合いが苦手な性格なのかもしれない。

 聖の後ろにいる青年は白髪にアイスブルーの目を持ち、背も聖と同じか少し小さいくらいで、よく見るとかなりの美青年だったが、その顔には険が籠もっていた。目の色も相まって氷のように冷たく見える。

 顔以外露出の少ない服を着ていて、唯一肌が見えている細い首には何かがずっと巻かれていたような奇妙な傷があった。

 弑流は彼にも挨拶したが、一言も返してくれなかった。ただ冷たい目で見られるだけだった。見かねた聖が横から声をかける。


「この子は俺の息子で、みおと言います。見ての通り義理ですが……。愛想がないのも色々事情がありまして……多めに見ていただけると幸いです」


 澪はそう説明する聖の顔をじっと見て、それから弑流に目線を戻すと静かに睨み付けた。


「えっ、と……」


 会ってからまだ数分で、何か嫌われることをした覚えはないのだが。美形に睨まれるとかなり怖い。

 この青年の雰囲気が誰かに似ていると思ったが、その目付きを見てリンに似ているのだと気付いた。獣感はそんなにないが、敵意が強い所と顔が綺麗な所が似ているのだろう。

 そういえば、この部署の署員達は皆式神のことを知っているのだろうか。弑流がそれを知った上でここに異動させられたということはつまりそういうことになるわけだが、万が一知らなかった場合困るので、容易に”式神みたいですね”などとは言えない。

 少しの間悩んでいると、


「何か分からない事でも?」


 とリチャードが聞いてきた。弑流が言い淀みながらチラリと澪を見ると、彼は納得したように頷いた。


「ああ、そうそう。君は知っているだろうから話しておこう。詳しいことは私の口から言うことではないから控えるけれど、澪君はこの部署唯一の式神だよ。しかも呪いの刻印がない、珍しい子なんだ」


 式神に似ているという旨を伝えたかったのだが、本当に式神だったらしい。数が少ないと聞いたので滅多に会えないものかと思いきや、案外すぐ会えた。クローフィが”生きている個体で一人だけ仙術が分かった”と言っていたのはこの青年のことなのだろう。

 しかも呪いがないということは一度も呪術師に捕まっていないということだ。強そうには見えないが、相当腕が立つのかもしれない。

 澪はずっと黙ったままで、聖は一歩下がった態度のままなので、これ以上話すのもお互いに時間の無駄だろう。そう考えたリチャードは弑流を連れて他の部屋へ向かった。

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