第10話 局長


 警察局の最上階。

 この国の最も高い場所に存在するその部屋は、まさに局長室と呼ぶに相応しいものだった。入り口は重厚な木の扉で閉ざされ、一般の人間は立ち入ることさえ許されない。

 室内には高価で、それでいて主張しすぎない調度品が並べられている。ダークブラウンで統一された家具たちは、部屋に厳格で落ち着いた印象を与えていた。

 そんな部屋の、革張りの局長椅子の上に、その男は座っていた。


「やあ。良く来たねェ、きみが冷泉れいぜい君かな? 話は聞いてるよォ」


 独特な語尾を持つ局長は、思いのほか若かった。髪だけは老人の様に白かったが、その見た目は30代後半といったところだ。机に両肘を付いて手を組み、不敵に弑流しいなを見下ろしていた。


「はい、冷泉弑流と申します」


 入局二日目にしてこんな所へ呼び出された弑流は、極度の緊張状態と今までの疲労で嫌な汗をかいていた。局長は大して威圧的な態度ではないのに関わらず、体中の神経が張り詰めるかのようだ。

 口の中がカラカラに乾いて、舌がもつれそうになる。


「じゃ、きみは今日から別部署に行って貰うことになるんだけど…………準備は良いかなァ?」


 準備も何も、局長の指示に入局二日目の自分が逆らえるとは到底思えないので、出来ていなくとも出来ていないとは言えまい。クローフィからその話は聞かされていたので、一応心の準備は出来ているが。


「はい」

「お、よろしい。良い返事だねェ。じゃあ、きみは今日から調査部だァ!」


 白髪からはじける笑顔で発せられた言葉に、弑流の体が固まる。それは確か先輩局員が”関わらない方がいい”と言った部署じゃなかっただろうか。

 捜査部と名前が似ているので間違っていないはずだ。

 ”そこにだけは行きたくないが、そんな都合良くそこの配属になるわけでもないだろう”と高をくくっていたというのに、何故こうなるのか。

 緊張で機能低下しかけていた脳が、急激に回り始める。

 会社でも同じことだが、職場の人間関係は仕事に大きく影響する。ここで断れるものなら断っておきたい。それ以外なら何処でも良いから違う部署にしてもらいたい。

 そんなことを考えていて返事のない弑流を訝しんで、彼は首を傾げた。


「おや、聞こえなかったかね? 調査部だよォ」

「す、すみません! 聞こえてます。それで、あの、お言葉なのですが、それ以外の候補はないのでしょうか」


 局長は今度はぽかんと口を開ける。弑流が口答えすると思わなかったのだろう。なるべくソフトな言い方にしたと思うが、やはり不味かっただろうか。弑流とて局長の意向に逆らいたくはないのだが、自分の意見ははっきり言わないといずれ後悔することになる。言える時に言っておくべきだ。

 しかし、局長の目が点になっているさまを見て、これはあわやクビではないかと慌てて弁明する。


「あ、ええと、不満ですとかそういうことではなく…………」


 何とか言い直そうとまごついていると、局長が俯いて震源地のように揺れているのが見えた。

 弑流は局長が怒っているのかと思い冷や汗が滲むのを感じていたが、局長は予想に反して笑い出した。


「アッハッハ! きみ面白いねェ! うんうん、相手が誰であろうと、自分の意見が言えるのは良いことだ!」

「は、はあ。ありがとうございます……」


 下手したらクビだけでは済まないかもしれないと一瞬肝が冷えた。彼が権力を振りかざす人ではなく寛大な人間で良かったとほっと息を吐く。


「いやァ、ますます調査部に入れたいなァ!」


 しかし、状況はむしろ悪化したらしい。


「ええと、それは何故でしょう……?」


 どう考えても悪あがきにしかならない質問をする。


「何故って? それはねェ、俺が調査部を信頼しているからだよ。局内ではとやかく言う人も多いけど、みんなうわべとか噂しか知らないからねェ。そんなの気にしてちゃあァどの部署にも行けないよ?」


 彼は弑流が渋る理由までちゃんと分かっているらしい。


「た、確かにそうですね…………」


 十中八九局長が正しいのでぐうの音も出ない。弑流が目をしばたいて反論できないのを見て、局長は楽しげに書類を差し出した。


「はい、じゃあァこれ、調査部への異動願いねェ。まあ、頑張れ!」

「…………はい、謹んでお受け致します……」


 局長の適当な激励を聞きながら、弑流は礼をして書類を受け取って、


「失礼致します」


 若干肩を落としながら局長室を後にした。彼と入れ替わるように女性秘書が部屋に入っていく。

 弑流を出して秘書を入れた扉は、重苦しい音を立てて閉まった。



 ◇―――◇―――◇



 先程まで新入局員がいた部屋に、軽快な音楽が流れている。そこに置かれた家具や場の雰囲気にミスマッチなBGMは、局長である蘭童キョウカの手の中から聞こえていた。彼はうつむいてそれを見つめていた。

 ヒールの音を響かせて新入局員と入れ替わりに部屋に入ってきた女性秘書は、キョウカの近くで立ち止まると無表情で言う。


「局長」

「…………」

「局長」


 二回呼んだが返事がない。彼女は彼が返事をするまでひたすら話しかけ続けた。


「ちょ、エリザ君うるさいィ」


 キョウカがようやく返事をしたのはエリザと呼ばれた女性秘書が話しかけ始めてから五分後のこと。この間エリザは”局長”という言葉を三十回使った。


「局長が携帯型遊戯ゲーム機に夢中になって、お返事なさらないからです。現在勤務時間内のはずですが」

「えェーだってー」

「”だって”ではありません。そちらに山積みになっている書類は本日午後三時十五分までに目を通して署名と証明印が必要なものだと存じておりますが、お見受けしたところ触ってもおられないようですが」

「今良いところなんだよォ……。あとちょっとで討伐できそうでさあァ」


 狩人の主人公がモンスターを討伐するアクションゲームをやっているキョウカは、今まさにモンスターを攻撃しているところだった。新入局員に過度な緊張を与えていたこの男は、現在では緊張感の欠片もなかった。

 エリザは呆れもせずにただ無表情で話す。


「私は昨日討伐しました。早く討伐してください」

「無茶言わないでよねェ」


 終始鉄面皮なエリザはちらりと腕時計を見ながらスケジュールを組み直し始めた。

 あのモンスターは討伐に三十分かかった。彼なら十五分で倒すだろうが先程始めたとするともうしばらくかかるだろう、というそれなりに正確な推測を立てながら。

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