第9話 変態


「うふ、うふふふふ……」


白い部屋で白衣を着た男が、血が入った注射器を持ちながら踊っている。しかも気持ちの悪い笑い付きで。

両足を怪我していて逃げられない状況でそれを見せつけられた燐は、ドン引きしながら眉を顰めていた。先程までここにいた弑流しいなという妙な名前の男は、レヴァンという助手の男に連れられて出て行き、現状この白衣の男変態と二人きりだ。


あの男の命で写真の男に会いに行った所までは良かった。問題はその後だ。

目的地に着いたものの、家の中からは尋常ではない異臭がするし、匂いからして絶対何か死んでいる感じだった。そこできな臭さを感じてさっさと逃げれば良かったかもしれない。あの男の呪いは効力が分からないが、命令なんて無視して逃げることは可能だっただろう。

それでもそうしなかったのは、やはり何処か彼に恐怖心を持っていたからかもしれない。

彼から離れても結局逆らえないままに家に入ると、吐き気を催すような酷い死体があった。人間より五感が優れている燐は、それによって相当ダメージを受け、立ち尽くしているところを弑流に見つかったのだ。

足を撃たれながらなんとか山に逃げ込んだは良いものの、途中で落ち葉の下の何かを踏んだと思ったら強烈な力で足を挟まれた。突然虎かワニに噛まれたのかと錯覚するくらいの痛みだった。引き千切られる前に何とか外そうと努力したが、結局そのまま一晩明かす羽目になった。あまりに固く閉じられた刃を燐の細腕でこじ開けるのは不可能に近く、下手したら手まで傷を負いかねなかったからだ。


その後どうやって情報を掴んだか知らないが、犬っぽい男に助けられたのは幸いだった。あのままだと出血多量か餓えなどで死んでいただろう。死ににくい式神は人間の数倍の苦痛を感じながら死ななければならない。ほぼ初めての外出でそんな死を迎えるなどあってたまるかという話だ。

その男のおかげでこうして医者まで運ばれ、手当などして貰ったわけだが。その医者が変態だったなどと誰が予想出来ただろうか。信用出来るかどうかは半々といったところだが、ここまで様子がおかしいとむしろ安心出来るかもしれない。

早く誰か帰ってきてくれ、この変態と二人きりにしないでくれ。そんな燐の心の叫びが聞こえてくるようだった。

それが届いたのかどうなのかは分からないが、外からレヴァンが帰ってきた。手には盆に乗った料理がいくつか。

彼は部屋の中でクルクル回転する父親を見て、それから何も見なかったかのように燐の方へ向かった。


「なあ、あいつ、気は確かなのか?」


燐が眉間に皺を寄せて聞いた。聞かれたレヴァンは苦笑する。


「ええ、あれが通常運転です。先生、腕は良いんですけどね……」


彼は手に持った盆をカートの上に置いた。乗っている料理は焼き魚と焼き肉とサラダ、白米にパン、そして果物の詰め合わせと牛乳瓶だった。


「多くないか?」

「貴女がどのような食べ物を召し上がるか分かりませんので、各種ご用意致しました。もちろん残していただいて結構ですよ。残った分は食べますので、燐様の召し上がる分はこちらのお皿に取ってくださいね」

「ああ、分かった。……様?」

「相手を敬う時に使う丁寧な呼び方です」

「ふーん。人間っていちいち面倒くさいな」


彼女は言われたとおりに料理を小皿に取り分け始めた。箸は使えるらしく、器用に魚を半身にして自分の皿に乗せる。それから入念に匂いを嗅ぎ、目視で確認してからようやっと口に運んだ。誰が作ったか分からないものを警戒しているらしい。最初は微妙な顔をして咀嚼していたものの、これが存外美味しかったようだ。焼き魚を丸ごと箸で掴むと、先程と同じように確認してから頭ごと食べた。人間だと干物にして何とか食べられるかどうかといった骨だらけの部位を、燐はししゃもを食べるようにさくさくと食べてしまった。サンマほどの大きさだったのだが、骨も残らなかった。

次に箸を伸ばしたのは果物とサラダだった。これも警戒しつつ、害がないと分かると全部食べた。


「それは何だ?」


一通り食べて満足げな燐は、牛乳瓶を指さして言った。


「これは牛乳です。牛の乳を搾ったものですよ」

「……まさか、これを飲むのか?」

「ええ」

「牛の乳を?」

「ええ」

「人間のくせに?」

「ええ」


燐はしばしの間絶句した。そして、やっと絞り出した感想は、


「気色悪いな…………」


という辛辣なものだった。彼女にとっては全く理解出来ないことだったらしい。顔を顰めながら食事から手を引いた。肉と主食類、そして牛乳には手を付けなかった。

レヴァンはその食事傾向までしっかりとメモを取って、盆を片付ける。そのために一旦外に出たが、すぐに戻ってきた。


「さて、では食事も済んだことですし、後は好きにおくつろぎください」

「何も出来ないが」

「休まれてはいかがですか? 色々ありましたからお疲れでしょう。先生が貴女に何かしないよう見張っていますので、安心してくださればと思います」


表情は分からないが、恐らく微笑んでいるレヴァンをじっと見て、燐はすんと鼻を鳴らして言った。


「あんた本当にあいつと親子なのか?」

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