からだがつらい

お久しぶりです。


この前メンタルの方の病院に行った時に出された薬が、すこし強いのか、合わないのか。


小説を書く気力もなくなり


エッセイを書ける話題すらも覚えていられないし


さらに眠剤のせいなのか、寝るギリギリまでケータイを見ているせいなのか


寝たあとに自分の記憶にないことをしていたり。


挙句にストレス?からか過敏性腸症候群になったり


顎関節が軋んだり


蕁麻疹が出やすくなったりしていて、なんとなく余裕がなかったです、申し訳ない……。


『購買意欲』のほう、先が気になる!とか


見てくださる方が1人でもいればノロノロ更新したいという気持ちはあります。


宜しければ何かしらの形で反応いただけると嬉しかったりするので、もしいらっしゃるなら遠慮なくお申し出ください……(敬語が下手なのも謝るところです)



なんとなく、というより自分の感覚なのですが


常にメンタルのゲージがマイナスなので


それが普通というか、それ自体はそこまでつらいと思わなくなりました。


ただ、なにか出来事や刺激があった時の振幅があまりにも大きすぎる。


躁鬱気味なのかなぁ。躁鬱の診断はないから、統合失調症の中のそういう傾向の時期なのかなぁ。


躁が、あまりにも怖い。


まだ、多分他人を大きく振り回したり、躁によって人を傷つけることはそこまでないのです(と思っている)。まだ大丈夫なほうかなって感じなのですが


躁によって自分を破壊してしまいそうな気がする。


上手く言えないんですけど、私の例えで説明すると


心の潤い、幸せを水だとして


私は自分のコップの多分30%くらいは水がはいっていて


たまに減ったり増えたりする。


枯渇するときもたまにあるけど、なんやかんや水はどこからか注がれる。


躁になると、あまりの幸福感と満足感と、爽快感と強い意欲が一気にコップに注がれます。


もともと持ち合わせているコップの何億倍も、いやもっとかもしれない、その量の水が一度にコップに注がれる。


コップから水は溢れますよね。


その時、勢いで命が流れてしまう。




なーんて、考えたりしてるんですよ。


長々と書きながら要するに簡潔に私が言いたいことは


・躁は死ぬ元気すらも与える

・幸せなまま終わりたいってなる


っていう感じです。


ある程度、幸福感をセーブしなければならない。


生きているためには、ですが。


死にたい時やそう思った直後に水が溢れたら


なんて考えてしまうのは、まだ死にきれない理由になりますね。


よく、考えすぎだよと言われることがあって


こういうところもあるよなぁ、と書きながら感じました。


いきなり無理をしたり、急ブレーキをかけたりするのは


からだにもこころにも負担がかかると思うので


あまりおすすめしないです。


どうか、無理だけはなさらないで。

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Under the Rose 村上 耽美 @Tambi_m

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