第21話 死の荒野

第21話 死の荒野



 光は波のような性質を持っている。

 だから、発生条件により波長や強度が変わり、混ざる。


 恒星というのは、惑星表面の視点においてひとつの大きな光源だ。

 ただし恒星というのはひとつの点が激しく輝いているわけではない。

 質量のある物質で、体積を持つ立体で、そして単一物質ですらない。

 だから発生する光は決して均一にはならないし、むらも生じる。

 様々な性質の波が発生するために、共鳴したり打ち消しあったりもする。

 地上に届く太陽の光は、複雑に合成された波形を持っているのだ。


 物体はその分子構造に応じて、合成された光の一部分を吸収する。

 吸収されると言っても完全に無くなるわけじゃなくて、だいたい熱に変わる。


 まあ、熱に変換された分に関しての話は置いておこう。


 吸収されなかった光は反射する。

 人が物の色を見るときは、この反射光を見ているわけだ。


 色というのは物体によって反射された光のうち、可視光線の混成や比率とかを人が認識した範囲で区切ってそう呼んでいる、というだけのものでしかない。

 ついでに言うと、人の視神経で感知できるのは特定の波長域だけに限られる。

 いや名付けたのが人なのだから、人が目に見える光を可視光線って呼ぶのは当たり前と言えば当たり前なのだけど。


 光が返ってこない虚空の果てが光在らざる無色くろに見える理由でもある。

 魔物の核である魔素結晶がつやの無い黒色なのも、似たような理由だろう。

 黒く見えるというより、見えないからこその黒なのだ。


 ちなみに、色々な可視光線を重ね合わせると白色光に見える。

 まあこれも人間特有の概念に過ぎない。

 正確に言うなら、人は光の三原色が混ざった色を白と呼んでいるのだ。

 だから逆接で、光の三原色を満遍なく反射する物体は白っぽく見える。


 色々な絵の具を混ぜても、こうした真っ白や真っ黒は出来上がらない。

 この理由は短い言葉で説明できてしまう。

 物体の分子構造と比べ、可視光線の振幅のほうが遥かに小さいのである。


 絵の具を混ぜるだけでは、成分の分子構造にほぼ変化は無い。

 可視光線は物質全体の成分に半端に反射され、また半端に吸収される。

 そして人の目に光の波長をスペクトル分析する能力は無い。


 結果として見える色は、泥のように濁った灰色。


 つまりはこれが人にも分かりやすく単純化した、死の荒野の色の話だ。


 単純にけい素の粒だけではこういった発色にはならない。

 あの色はおそらく、干からびて死んだ様々な生物の残骸が細かく粉砕され、それらが雑多に交じり合っているが故なのではないだろうか。

 死の荒野の灰色は、いわば数多あまたの生命の残滓とも呼べる色なのだ。


 こう言い表すと生態系の変遷だとか時間による堆積だとか地質考古学的な何かしらを考察する余地があってもよさそうなものだが、現状としてはちょっとそんな事を悠長ゆうちょうに語っていられる状況ではない。



 おそらく自分は高所から落ちたのだと考えられる。


 落下死の実感ができないのも仕方が無い。なにしろ死んでない訳だし。

 あの高さから落ちれば、バラバラ死体になってもおかしくないんだけど。

 ……いや、死んでいないからバラバラ死体モドキかな?


 その後、前例にならって肉体が復元されたという事までは分かる。

 まあ復元されるまでの過程もそうなる原理も分からないけど。

 ただし問題となるのはその後、意識が再起動した時点での話である。


 灰色の砂が渦を描くように巻き上がっている。

 見渡す限りの範囲で、灰色の渦が幾条いくじょうも、幾条も。

 砂嵐が起きはじめていた。それも、今までに無い規模で。


 あらゆるものを削り、あらゆる生物を殺す。

 まさしく死の具現と呼ぶべき嵐が荒野に猛威を振るう。

 だが、それだけではない。問題は嵐の規模だけではない。


 死の荒野を構成する地形のすべてがうごめき始めていた。



 何だコレ。



 いや、分かってるんだ。

 独り語りモノローグで状況把握するふりして現実逃避していただけだ。

 現実から目を背けたとしても、それで現実に何かが変わることはない。


 おそらくこれは、皇帝さんの死灰の能力だろう。

 この結果を推測できるまでの情報は揃っていたわけだし。

 まさかここまで材料が揃っていて原因が他にあるということもあるまい。


 ただでさえ死の荒野は、端から端を見る事もままならないほどに広い。

 そして人が吹き飛ぶような砂風が起きても、その起伏は険しいままだった。

 風雨の浸食も、地形のごく表層にまでしか変化を及ぼせなかったのだろう。

 形成層の硬度差を要因として形作られる地形にしては、あまりに範囲が広い。

 空中回廊のような異常に硬い物質が後から混ざった結果かもしれないけど。


 だが今は、その硬いはずの地面が、満遍まんべんなく波を打っていた。

 

 波は次第に大きくなり、荒野はすでに激しく上下し始めている。

 もうすでに立ち上がるどころか、ったまま逃げ出すことすらも難しい。

 無理に動こうとすれば波に飲まれてしまいそうだ。


 灰色の荒野全体が流体となって形成している荒ぶる大海。

 正しく星の力とぶに相応ふさわしい所業である。


 時折ときおり、ひときわ高くなった灰色の波が、そのまま大地の引力に逆らって上へ上へと伸びてゆく。見回せば、そうしてできた灰色の柱がいくつも見えた。

 それはまるで冥府に囚われた亡者が救いを求め続けて手を伸ばしているかのようだ。

 いや、むしろ救いを求める理由すら忘れてただ反射的に手を伸ばしているかのようだ、とでも表現したほうがしっくりくるか。

 その様子はどこか無機的というか機械的で、もはや生きている人間によって制御されている動きとは思えない。まあ確かに、死にぞこないの亡者アンデッドの手によるものではあるけれども。その正体がたとえ人間であっても、その当人がとっくに焼かれて灰になっていても、そういうことだってあるのかもしれないと納得するほか無い。もはやこの現象の実態は、すでに自分が理解できるような段階を大きく逸脱しているのだろう。


 天高く屹立きつりつした灰色の柱は、ぶるりと大きく震えたかと思うと、力を失ったかのように地上へと落ちてきた――――黒い構造物を巻き添えにして。


 決して小さくないそれは、巨大な轟音と共に地表に叩きつけられた。

 それでも足りないとばかりに、灰色の波が執拗しつように打ち寄せる。

 構造物の残骸は押し潰され、原形も分からなくなるほど粉々に砕けてゆく。


 自分の肉体は、最初の一撃の余波だけであっさりと跳ね飛ばされていた。

 全身が砕けるような感覚とともに宙を舞い、あまりの衝撃に意識が飛ぶ。

 即座に肉体が再生されて意識が戻り、次は地面との衝突で思考が塗りつぶされた。


 気が付いた時には、構造物の残骸は破片も残さず灰色の海へと消えていた。


 肉体の復元が非常に早くなっている。

 だがそれが幸いなのかどうかは判断しがたい。

 運動能力が向上したわけでも特殊能力に目覚めたわけでもないからだ。

 現状を打開しようにも、全くって対処のしようが無い。

 あまりに常識外れな規模のせいで、行動も知覚も予測も追いついていない。

 むしろ灰色の海に飲み込まれないように意識と身体機能を保つだけで精一杯だ。

 スケールが壮大すぎてどこかの神話の終末みたいな雰囲気まである。


 灰色の柱が何本も、似たような構造物を抱えて崩れ落ちてくる。

 空が次第に明るくなってきた頃、ようやくひとつの事実に気が付く。

 落ちてきた構造物は、おそらく空中回廊の残骸だ。

 たったそれだけのことに、遅れて理解が追いついた。



 技術も無く力押しだけでアレを砕くとか、流石は皇帝さんだ。


 いや、違うか。

 きっと逆なのだろう。

 持っている星の力が強すぎるせいで、結果的にになっているというだけだ。意思の力だとか知性だとか、そういう統制が挙動の中に全く感じられない。むしろ暴走とか理性喪失とか、そういったネガティブに突き抜けた感じの状態のように見える。

 やはり星の力と呼ばれるだけのことはある。たとえどんなに小さくても夜空に光る星。つまり桁外れに莫大なエネルギーを有する恒星だ。人類が扱うには過剰な力だったんだ。日常生活に使える範囲の出力に制限して取り出すのは難しいっていうか、日常生活に支障を来たさないようにするだけでも精一杯なのではないだろうか。お湯を沸かすために、太陽の中に直接ヤカンをくべたりしないのと同じことだ。そんなことをするためには太陽の炎に耐えられるヤカンが必要になる。もうなんていうか根本的に熱量の単位が違いすぎて、現実的な利用方法が無いんじゃないかな。


 だいたい嫌な予感はあったけど、予想より酷かったというだけの話ではある。

 案の定、手を付けようがなくなっているわけだし。

 ていうか皇帝さんが生首になっても動いてた時点で気付くべきだった。


 死灰の総量が制御可能な許容限界を超えたとか、そういう感じじゃないかな。

 まあ限界云々という以前の話か。制御なんてできるはずもない。

 そもそも今の皇帝さんは脳やら神経系やらすべて灰になってしまったのだ。

 そんな状態で、何をどう制御するというのか。


 いずれにせよ皇帝さんに制御を取り戻させる方法は考えるだけ無駄かな。

 これが物語なら信頼しあった仲間が魂とかに呼びかけたりする場面だけど。


 でも残念ながら皇帝さんに仲間なんていないし、現実は物語ではない。


 死灰にせよ死の荒野にせよ皇帝さんの力と相性が良すぎたのだろう。

 灰にして瓶詰めにしただけで騎士団長さんが安心していた理由がわからない。


 即席の槍を作るときには死体を焼いてすらいなかったはずだ。

 死灰を作る際の色々な手順は、実際には全く不要だったのではなかろうか。

 そうでもなければこんな災害じみた事態は発生していないだろう。


 うん、死灰の定義が広すぎた事が一番の問題なのでは?


 おそらく、死体さえ混ざっていれば何でも良いのだ。

 もしかすると成分的な混合比率すら関係ないのかもしれない。

 うーん……現状を見る限り「おそらく」でも「かも」でも無いな。

 まあ死の荒野のすべてが死灰になってる時点でガバガバ加減はお察しだ。

 いや、ていうかこんな出鱈目でたらめな結末を誰が予想できるっていうんだ。

 本人皇帝さんだって予測していなかったんじゃないのか。

 とはいえ、正直ちょっと条件がゆる過ぎると思うんだけど。



 そう考えると皇帝さん本人の生死が曖昧あいまいになってくるな。

 ただ単に肉体を失って意思疎通ができなくなっただけだとも言える。


 おそらく能力星の力能力者皇帝さんは切り離せないのだろう。


 魂とかいうすごく単純で曖昧な単語が脳裏を過ぎる。

 だがそれは形の無いものに説明をつけるために人が発明した概念だ。

 人間の思考は頭脳で行われていて、魂だとか形の無いものの働きではない。

 頭脳が失われれば、認知判断実行といった制御機能だって失われてしまう。

 ましてや灰になってしまった人間を元に戻す方法なんて存在しない。


 ふむ?


 思いついたぞ。逆転の発想というやつだ。

 混ざっているからこそ問題なら、除去すればよいのでは。

 皇帝さん本体の死灰は手に持てる瓶に収まる体積しかない。

 まあ見た目がほぼ同じものを判別して選り分ける方法が思いつかないけど。

 砂漠の中から砂粒を探すようなもの……いや、灰の粒子のほうが細かいか。


 ダメかぁ。

 達成条件が厳しすぎて例え話すら成立しないとかどういうことなの。


 皇帝さんが頑なに能力の規模を狭めていたのも、意識の分散を防いで制御を疎かにしないためだったのかな。もう本人に聞けないけど。皇帝さんは能力の暴走が起こる可能性も知っていたのではないだろうか。

 そういえば、予見がどうとかいう話も聞いていたな。皇帝さんの協力者に未来の知識を得られるような星の力を持つ人がいて、起こりえる危機を教えていたようなことを発言していた。


 でも破滅とかいう曖昧な概念に備えていたとなると、想定される事態が多すぎるのではないだろうか。数年分の人類滅亡の要因として起こりえることすべてを提示するなら、千年やそこらでは足りない。予見が皇帝さん自身の能力ではなかったようだから、予見の能力者が情報を完全に伝達しきれなかったのではないのだろうか。まあそこまで深く聞いたわけじゃないし、知っていたのか知らなかったのかを知る術もないけど。

 せっかく色々な方向で用意周到に準備したにも関わらず、周囲の人間関係を整えることができなかったのは皇帝さんの失策だと思う。でもまあ超長期的に考えると、物資環境を維持することよりも人的環境を維持するほうが難しいというのは分からないでもないけど。まず人間の個体が恒久的に維持できないし、個人差とか個性の相関調整だって数十年もあれば白紙に戻る。

 なるほど、失策というよりは経年による必然なのか。遅かれ早かれ帝国の崩壊は訪れたのかもしれない。いままで話に聞いた帝国の歴史が正しければ、十分に長く続いたとも言えるな。


 何にせよ、皇帝さんによる帝国破滅への備えもこれで完全に終わってしまった。


 帝国が終わっても世界が終わるわけではない。

 もっとも、帝国が終われば事態が収拾するというわけでもないけど。

 そういう意味では、何も終わってはいない。

 終わるのはむしろこれからだ。


 殺せない相手の恐ろしさっていうのは、この有り様を見ればよく分かる。

 おそらく死灰は、制御基幹皇帝さんを補填しようと動いているのだろう。

 あらゆる生物を殺し、あらゆる魔物をつぶし、練り混ぜて、取り込む。

 魔物に似ているだけの構造物だろうと関係なく、すべてを巻き込んでいる。

 死灰となった皇帝さんを補うために、死灰を増やそうとしている。


 ……失われてしまったものなんんて、どうやっても戻らないのに。


 制御されていない死灰は、増えることしかできないはずだ。

 がん細胞はいくら増えても元の細胞には戻らない。


 いや、がん細胞より性質が悪いか。

 当人が不在になってなお広がり続けている。

 生物が絶滅し、存在しなくなっても、魔物は発生するだろう。

 魔物を取り込んで混合比を可変させつつ、体積を増やしている。

 無機物を取り込んで質量の割り増しだってある。

 小回りは効かなくなるかもしれないが、質量はそのまま力と等しい。


 定義の曖昧さから察するに、死灰の増加に際限があるとも思えない。

 死灰になれば存在核も関係なく、消滅しないから増える一方だ。

 どれだけ時間が掛かるかは知らないけど、死灰は地上を覆いつくす。

 地上だけでは無いか。大地のすべてを呑み込むまで止まらない。


 この災禍は、星を滅ぼす類のものだ。


 しかし、そうなるとやはり、疑問が浮かび上がる。

 何よりもまず、これが皇帝さん自身の能力に所以するという事だ。

 やはり、こんな危険な現象が皇帝さんの想定外だったとは思えない。


 でも、それなら、今この目の前で起きている現実はいったい何なんだ?


 破滅に備えていた、と語っていた。

 すべてに意味が無いと、抗うことを諦めた人間の語る内容でもなかった。

 あのとき自分は魔物だと思われていたわけで、消し去る対象だった。

 だからあれは自分に向けた言葉ではなく、皇帝さんの独白だ。

 嘘をつく必要が無い。嘘にする理由が無い。


 そして何より、皇帝さんは計画的で柔軟性もあった。

 何でも筋力で解決できると大賢者さんみたいに割り切る人でもなかった。


 星の力を暴走させただけで世界が終わるなら、星の力への対策こそが前提だろう。

 外的要素だけにしか備えていないというのは考え難い。

 能力の暴走すらも計画に織り込んでいなければおかしい。

 対策は済ませてあるはずなのだ。間違いなく。


 そう、だから、この終末事象おわり収束するおわる


 


 ああ、そうか。

 ここへ来てやっとこれを問うべき段階に到ったのかな。


 つまり『皇帝さんにとっての破滅とは何だったのか』。


 何を求めていたのか。

 何から、何を守りたかったのか。

 あるいは、どうなることを防ぎたかったのか。

 逆に、何をどこまで犠牲にしてもいいと考えていたのか。


 ずっと気がかりだった。

 この旅のはじまりから。


 だからここで、確かめる必要があるだろう。


 突如として中空に大きく広がった光在らざる無色くろを眺めながら、

 そんなことを考えていた。



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