第20話 損失と補填
第20話 損失と補填
それは激しい熱を帯びたかのような感触だった。
肉体の芯軸を貫かれた痛みに、身動きひとつできない。
まるで焼けた杭で全身を壁に縫いとめられているかのようだ。
身体に刺さった
休む間もなく、すぐさま次の衝撃に襲われる。
より太く、硬いものが無理矢理に体内へと
無遠慮に巨大な異物で
背中側から肢体を
残虐な行為の合い間に、獣のような荒々しい息遣いが響く。
しかしそれは、知性あるものしか為し得ない陰湿さを備えたものだ。
ただ、汗が流れ、体液が飛び散り、それらが交じり合う。
身体の内側を
背後から好き勝手に
ああ、なんで人の手って指が五本も付いているんだろう――
「――魔物
――ていうかさ、
「まさか人の姿を真似ることが出来たとはな」
まさか人の内臓を手でほじくり回すとはね。
いや、自分、人じゃなかったね。むしろ、生物ですらなかったけど。
まあ確かに、得体の知れない存在の内臓とか素手じゃ触りたくないか。
こんな隔絶した場所で感染症にでもなったら
そういう思考は自分も通った道だからよく分かる。分かるけど。
でもこういう場合、薄くて機密性の高い手袋を使うんじゃないかな。
このままじゃあちこち引っかかって作業が
いや何の作業が捗るのかは知らないけどね。
押し
引っかかって内側から傷ついて潰れた肺が苦しい。
金属の
痛いとか苦しいとか通り越して、もう変な気持ち悪さがある。
いっそ殺すなら殺してくれとも思う。死なないけど。
まさしく息が止まる思いだ。いや止まってるか。物理的な意味で。
まともに力が入らない。手を掴み返すことすら
血流が乱れ、視界が白く染まってゆく。
「その程度の力で
その程度の症状しかないとも言える。
うまく思考が働かないのは、血中の酸素量が足りないからではない。
身体は肺呼吸の挙動に似ているものの、酸素すら不要という事も確認済みだ。
むしろ動くためにエネルギー消費を必要とするかどうかすら怪しい。
この身体は構造や機能こそ人と似通ってはいるが、決して同じものではない。
同じものではないけど、構造や機能が似通ってはいるのだ。
少なくとも心臓を掴まれて力が入る人はいないんじゃないかな。
抑制されたり
だから得体の知れない何かから影響を受けているとは考えにくい。
ハマだか何だか知らないけど、効果は発揮していない気がする。
まあ、阻害する必要があるほど特別な力なんて持ってないけど。
何かしら根本的な部分で勘違いされているのかもしれない。
「大氾濫こそ防ぎきれなかったが、我ら人類は滅びてはいない」
幸か不幸か、胴体に穴が開いた程度で自分は死んだりしない。
生物にとって明らかな致命傷でも、放っておけば塞がってゆく。
何なら即死しても問題ないのだ。問題はあったか。面倒ごとが増えてるし。
おそらく損傷の程度によってはどんな部位でも治るのだろう。
骨だろうが神経だろうが、心臓や脳までもお構い無しである。
だいたい原形が無くなるような状態からも自然に再生するのだ。
いや、ここまでくると再生と呼ぶのも何か違う気がする。
時間の流れみたいな何かが異常をきたしているんじゃないだろうか。
「人類の歴史は自らの手で、自らの力で築き上げるべきものだ」
ただまあ、こうして考えても気になる点が無いわけでもない。
やはり気になるのは、何を基準にして復元しているのかってことだ。
そもそも今の自分には元の存在を構成していた物質が
うん、よく考えると物質でできているかどうかも怪しい気もする。
つまり同一の
それはつまり復元と呼ぶのも語弊がある事象なのではないだろうか。
もしかすると自分は五分前に生まれたばかりだとかそういう話かな。
そもそも主観で精神の連続性が保たれている時点で意味不明なのだ。
もはや前の身体はまともな形じゃ無いだろうし、途中過程だって認識していない。
主観が行ったり来たりする訳でもないから、比較検討すらできないのだ。
今現在の自分を認識できる主観は今現在の自分の中にしか存在しないのである。
心だとか精神だとかいうものは自分の中にしか存在しない概念で、そういうものは世界には実在しないのではないかと疑いたくもなる。
これだけ非人道的な扱いを受けると、客観的にどう見えているのかがちょっと気になってくるね。
もはや遺伝子組み換えとか産地偽装なんて比較にならないくらい、得体の知れないおぞましい何かに違いないけど。
気になるといえば、傷の回復がだんだんと早くなっているのも気がかりだ。
心当たりは……ううん、ええと……まあ、無い事も無いかな。
といっても、これはちょっと早過ぎるんじゃあないだろうかと思う。
はっきりと分かるくらい異常な速度だ。自分でも不自然だと感じる程度に。
「星の力などに頼らず、人が己の力で生きてゆくべき時代なのだ!」
もっとも、何となくそういうものだという感覚的な理解はある。
おそらく復元には特定の
今までの状況から鑑みるに、何の制限も無く復元するわけでもなさそうだ。
身体が壊れた場所では、その壊れた身体も
だが、身体が壊れすぎるとその限りではないらしい。
おそらく
ああ、外部から補充して時間を短縮できるということだ。
この身体を構成するための
ここはそういう場所なんじゃないかな。推測の域は出ないけど。
というより、場所ではなく
その場所で足りないから足りる場所で復元する、みたいな機械的な作業だ。
ここで
……何となく思ったんだけど、この
運用の過程がどこか人間的な手法を感じさせる。
淘汰の集積によって完成された合理というよりも、意思を持った何者かが
随時補修しないと現実に即さない部分が所々で出てきて不具合が発生しそう。
まあ、この際、精神の連続性とかそういうものは考えないものとしよう。
だって物理的に断絶している記憶が連続している理由から説明できないし。
もし仮定を積み重ねて説明できたとしても、実証する方法が無いよね。
世の中が成り立つ理屈なんて、考えるだけ無駄だと思う。
人が生きている理由は、人が生きている理由を解き明かしたからではないのだ。
まあ自分は人ではないからその話も関係ないだろうけど。
あちこちに
肉体をわざと破壊することで、遠い場所まで擬似瞬間移動できるかも。
まあ
でもまあ、それにはまずこの場を切り抜ける必要があるわけだ。
……ああ、なるほど。
「魔物には分かるまい」
そういうことなのか。
死にそうで死ねないのではない。
最初から死なせるつもりが無いと考えたほうが自然だ。
再生の加減を見て釣り合う程度に、身動き出来ない程度に。
精密に的確に適切に手加減しつつ運動能力を破壊しているのだろう。
現にこうして調整が成功しているのは凄まじい技量だと思う。
同じことを練習できる相手だっていないだろうに。
「随分と遠回りさせられた。遠くまで来てしまった……」
何らかの目的があるなら、即死させるのは下策だ。
まあ常識的に考えて拘束する対象を即死させるのは下策だけど。
自分の場合は、ここで死んだら違う場所で再生成して逃げる可能性がある。
ていうか、普通に逃げられる状況になれば普通に逃げるのは普通だしね。
何らかの非殺傷手段を準備するのは人類の常識なのかもしれない。
つまり、殺せない相手を自由に動き回らせないために。
「……いや、だからこそ、アルカンドラを先んずることができたか」
……いや、当たり前か?
今までに
ましてや肉体が壊れた時に他の場所で復活したことなんて一度も無かった。
たった一度見ただけで、再生成から逃亡までの流れを予測したのだろうか?
いや、予測だけじゃない。その場で効果的な対策を立てている。
そして実際に捕縛というか固定に成功しているのだ。
いやあ人類の知恵って素晴らしいですね、とかコメントする場面だろうか。
できるなら、そういうのは自分に関係ないところで勝手にやってほしい。
話に聞いたりする分には感動的だけど、強制的に体験させられても困る。
そういえば資源回収されなかった身体はどうなるんだろう?
うーん、これは検証する必要があるかもしれない。
かといって、この状況で自分にできることなんてないんだよね。
くっ
あのまま落下した場所に死体モドキが残っているかどうかのほうが気になる。
レギュレーション違反な感じで世界から消えるなら、今の自分は存在しない。
かなり手間がかかっても、できれば回収して
しようと思っても、本当に出来るかどうかは別の話なんだけど。
あの高さを考えれば、小さな破片状になっているかもしれない。
いうなれば
あのままだと魔物のエサになったりして、環境に悪影響がありそうだ。
むしろ危険物か。回収業者を呼ぶ必要がある案件だな。
「魔物と知ってさえいれば策を講ずる事も
魔物が何かを食べたりするはずが無いんだけど。
王道的な物語なら、謎の科学者が破片から複製体を作ったりするんだろうか。
……いやそれも怖いな。完全な複製は無理だよね?
かといって、自分の復元の仕様を考えれば楽観できる話でもない。
もし自分と同じ不死性を持つ存在が敵になったら脅威だろう。
お互いに決定打が無いために、永久に終わることがない戦いが始まる。
いや、それだと思ったほど脅威にならない気もするな。
「灰になってもまだ動く化け物のほうが始末に悪かった」
実現性の無い作り物よりも恐るべきは人の精神だろう。
無造作に転がっている
どうやって詰めたのか、瓶の中には
その灰の動きに、人の意思のようなものを感じるのだ。
執念というか妄執というか、そういうものが漂っている気配すらある。
いや、気配とかそういった曖昧なものではなく。
……それこそ何か、うっすらと物理的に漂っているのが見えているような。
それ、大丈夫? 漏れてない?
もしかして瓶の蓋、密封性が悪いんじゃないかな?
こちらの胴体を抉ったまま、
そんなことしてる場合じゃないのに。色々な意味で。
肺が
いや、それ、本当にヤバイと思うんだけど。
騎士団長さんは気が付いているんだろうか?
始末したと思い込んでいる油断こそがその身を滅ぼすことを。
自身が先に発した言葉の通り、その存在のほうが始末に悪いことを。
灰にして瓶詰めにした程度では、安心できる相手ではないことを。
その人が、帝国の歴史よりも長く存在してきた理由を。
その力の、本当の恐ろしさを。
「む、何だ――――――何ッ?!」
いや。
もう気付いても遅いんだけどね。
この空中構造物には、窓が無い。
討伐隊一行も、松明など照明用の物資は無かった。
騎士団長さんのピカピカ光る剣は、光源として十分ではない。
暗い部屋の中で
実際、なぜ視界が確保できているのか不思議だとは思っていたんだけど。
何という事も無い。少しずつ、少しずつ明るくなっていたのだろう。
騎士団長さんが気が付かない程度の微妙な加減で。
感覚的には
気が付かなければ手遅れで、今この場にいるなら絶対に間に合わない。
部屋の天井も、壁も、床も、すべてが薄れてゆく。
比喩表現でなく、物理的に希薄になっているのだ。
破壊不可能とか思ってたのは気のせいだったのかな。
わりと普通に壊せるし壊されるなあ、という淡白な感想しか出せない。
いや普通にって、これが普通の物理法則に則った現象かどうかは知らないけど。
天井が、壁が、床が。
部屋を構成している部材の密度が薄くなってゆく。
当然、部屋が消えてしまえば、中にある物は落ちる。
そこに立っている人が誰であっても例外では無い。
掴んで踏みとどまることができるようなものはない。
しかし、人はそれでも手を伸ばし、何かに縋らざるを得ない。
まあそれが普通の人の反応だよね。分かる。でも共感は出来ない。
抗おうとする意思だけで万有引力を
重力加速には逆らえず、すべては自由落下してゆくしかない。
まあそれが普通の物理運動だよね。分かる。でもちょっと新鮮だ。
いままで例外っぽい人ばかり見ていたからなあ。
ここまで来て初めて常識人の常識的な反応を見られた気がする。
なんとなく仲間意識みたいなものまで感じてしまう。
そういう場面では無いと分かっていても思わず安心してしまった。
人は鳥ではない。
飛ぼうと思ったって簡単には飛べやしない。
簡単に飛んでみせる人たちが異常だったんだ。
空を飛べない常識人枠の騎士団長さんは、普通に落ちるしかない。
高い場所から落ちたら、普通に助かる術は無い。
鳥は翼で空を飛び、人は手で道具を使う。
未分化の可能性は選ばれることで力に変じるのだ。
選ばれなかったものは失われて、
無くなってしまう。
無くなってしまったものに縋ることなんてできない。
仕方が無い事だよね。不可逆の変化は世の中の摂理なんだよ。
自分も、騎士団長さんも、地面まで落ちてゆくしかない。
部屋を構成していたものは消滅してしまったんだから。
あ、これもしかすると
そうだね、ごめんね。
これもだいたい自分のせいだったね。
ああ、いや、でも、そんなことを言っている場合でもない。
今この状況はやばいんじゃない?
落ちたら瓶は完全に壊れるんじゃないかな。
ちょっと何がまずいのかまだはっきりとは理解できていないけど。
まあ少なくとも蓋が完全に開くっていうかさ。
すごく危険な気がする。
今の状態の皇帝さんが解放されるのは、絶対にやばいと思う。
だからってまあ、自分に何ができるわけでもないんだけど。
……ああ、なんだかいつも誰かの何かを台無しにしている気がするなあ……。
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