第12話 絶望
第12話 絶望
動揺、絶句、叫喚、錯乱、恐慌。
絶対的な破壊を体現する、強大な敵との
明確かつ形ある脅威と状況を前に、底無しの渦に巻き込まれるように意識を呑まれている。指示されなければ武器すら抜いていない。討伐隊の大半は、
東征討伐隊は、軍隊としての構成期間の短さゆえに
いや、そんなはずはないだろう。
人は戦うために創意工夫積み重ねるものだ。
ここまでの戦闘経験に基づいて集団戦闘における連携も機能しているし、何なら
もし目の前に広がる惨状が軍としての錬度を要因とする話であれば、士気の喪失などというものは魔物に相対した時点で訪れるべくして訪れた、必然的な限界だっただろう。その場合は単純に準備不足であり、おそらく死の荒野まで辿り着くことすらできなかったはずだ。
つまりは、少なくとも……この状況は、この現実は、人類側における軍としての問題点をひとつひとつ解決してゆけば打破できるような、そんな生易しい話ではないということを意味している。
常軌を逸した相手には、常識的な手法など通用しない。
たとえば地震だとか火砕流だとかそういう類の現象を経た上で人類が積み上げるのは、避難行動の
だからこそ、想定されている以外の状況に弱いのだとも言える。
大規模な現象が積極性を持って人類を標的と定めて襲い掛かってきた場合などに、今の人類が築き上げた文明では対応しきれないということだろう。
弓矢の射撃や
矢弾は
軌道が途中で不自然に
狙いを逸らされた矢が偶然に別の部位を
だがもちろん、その矢が刺さることまではない。全く通用していない。
それに対する魔物の行動は簡単なもので、身体を伸縮させているに過ぎない。
たったそれだけの事で、いとも
見上げるような巨体が
大質量の巨体が持つ重圧、脅威を前に、人はなす
単調で単純な攻撃だが、だからこそ対処も困難で、被害は拡大する一方だ。
魔物は身体の大きさと硬さを余すことなく存分に生かして、討伐隊を殺して回っている。これはもはや戦闘ですらなく、ただの
数は力だ。だがそれは単純な個体数だけを示す言葉ではなく、熱量であり、体積であり、そして質量もまた数である。武器や防具が通用しないほどの圧倒的な数量に対して、人間は抗う手段を持たない。物理的にも、精神的にも耐え切れないだろう。
姿かたちを帯びて、現実に
それは言葉が生まれる前にあったような
もはやその力が振るう猛威は、言葉で言い表せる規模では無い。
文明を築く以前に人類の畏怖を集めていた、太古の自然が持つ絶対性そのものだ。
ならばそれは、人にとっては神性にも等しい。
魔物が人を殺すまでもなく、人の理性が殺されている。
生半可に力あるものは、より深くまで理解し、相応の絶望を味わってしまう。力無いものにできる事など、ただ
だが祈るべき神は、この危機的状況においてもなおその存在の
現状では、逃げるのも困難だ。
飛来物の破片が直撃するだけでも致命的だし、近くに飛んでくるだけでも十分な脅威で、地を伝う激震で足元が
たとえ逃げ出しても、それを責めることなど誰にも出来ない。
いやむしろ逃げ出すのも困難ではあるけれども。
というより、責める人間がもう物理的に存在しないのではないだろうか。
小部隊をまとめていた人たちが、蹂躙劇の早い段階で何人もお亡くなりになっている。
おそらく踏み潰されたのだと推測しているが、もうこれは断言してもいい。
死体を直接見たわけではないけど、だいたい死因に大差は無いだろう。
つい先程まで集合していた場所を確認したから間違いない。
ちなみに今その場所は、ほぼ
あれでは生存は絶望的だろう。生きてますとか言われたほうが驚く。
どれほど肉体や精神を
破壊の規模も威力も大き過ぎる。もはや災害そのものだ。どうにもならない。
人の心を
たとえ今この場を逃げ出すことができたとしても、あれを放置すれば遅かれ早かれ人類に未来なんて無いんじゃないだろうか。
歴史と文明終了への一本道、人類の滅亡まで待ったなしだろう。
もはやここまでかと思いきや、周囲と異なる動きがあることに気が付く。
大混乱の騒ぎの中、理性を保って指揮を
鎧骨さんや騎士さんたち
皇帝さんの声は、ここからでは聞こえない。ただ、不意打ちで大賢者さんを失ったにも関わらず冷静だ。交戦経験がある種類の魔物なのか、適切に対応しようという姿勢が
もっとも、騎士さん達は皇帝さんを中心にして盾を構えて防御に専念しているだけだ。皇帝さんも騎士さんたちも、討伐隊の全体に指示を出す余裕はなさそうだ。
いや、違うのか。
討伐隊すべてを指揮するつもりなど、最初から無かったのかもしれない。
皇帝さんの不思議能力は限られた範囲でのみ行使されている。
鎧骨さんや騎士さんたちだけが収まる範囲に留められているのだ。
あれは効果的に届く範囲なのか、あるいは帝国の威光が届く範囲なのか。
見たところ、皇帝さん本人の負担が大きいようにも見えない。
むしろ随分と余裕を持っているかのようですらある。
まるで、力の支配の及んでいる領域の外に必要なものは無いとばかりに。
もしかすると、あれこそが皇帝さんにとっての帝国という認識なのかもしれない。
あの境界線から一歩でも外側に出ればそこはもう帝国ではなく、つまりは皇帝さんが守るべきものでは無いということだ。
そう考えると、様々な事に合点がいく。今さらではあるけども。
防戦一方の流れに際してなお、皇帝さんはまだ何かを隠している節がある。
魔物の隙を探して、攻撃の機会を
驚くべきは、騎士さんたちが誇る士気の高さか、皇帝さんの意思の強さか。
この状況においてもなお、手札を残す必要を感じているのかもしれない。
ただし、皇帝さんは目的のためなら平気で人を犠牲にできる人だ。この場を
頼ろうとすれば、盾や
――と、そこで、もうひとつの動きが始まった。
高速で接近する
尻尾と耳付きの絶対強者。
言わずもがな、猫耳さんである。
いつだって
どこかから走って来て、立ち止まることなく皇帝さんの方向に何かを放り投げた。
大きな背負い袋だ。
よく見ると、猫耳さんの表情は
というより干し肉を
猫耳さんが投げた背負い袋は鎧骨さんの一人が受け止めたが、勢い余って中から黒い結晶が
猫耳さんは袋と中身の行方など気にも留めず、足を止めることをしない。
猫耳さんは連携も自重もしないから、誰かと合流することもない。
猫耳さんは説明を求めて言葉を交わすことすらしない。
猫耳さんは誰かを助けるために動くわけではない。
だからこそ、誰の助けも必要としない。
そんな猫耳さんが実行する事はただひとつ。
ただ
走りながら鞘から剣を抜き放ち、たった一人で魔物に立ち向かっていった。
刃の
猫耳さんの足が視認も把握も理解もできない速度に変わってゆく。
四肢の動きすら
岩塊の上を
挙動は
そこから更に加速し、加速し、加速する。
ただ、魔物へと一直線に。
大きな岩を踏み割り、粉砕。
反動で、
――――――激突。
大気が破裂する。
大地が
衝撃が視界に映るすべてに
魔物の姿がしなって
猫耳さんがぶつかったと
不変かつ不壊にも見えた魔物の身体が、大きく落ち
それまで傷一つ付かなかったのが、
瞬きほどの間を置いて、長い
攻撃のタイミングを、魔物が跳ねる直前に合わせていたのだろう。
巨大な魔物による跳躍の軌道は大きく屈折し、砂地へと突き刺さった。
深く刺さって抜けないのか、魔物は手だか足だかを暴れさせてもがく。
唐突に、魔物胴体の側面が内部から
細長く
人体で言えば、
とても剣を振り回せるほどの接触時間なんて無かったと思うけど、どうやら猫耳さんは何らかの方法で追撃を加えていたらしい。
体当たりのついでに距離を無視して斬ったのだろうか。その運動エネルギーはどこから
とは言っても、猫耳さんのやることを理解しようとすると話が進まない。
まあ猫耳さんのやる事だから仕方が無いね。
くるくると回転しながら猫耳さんが落下する。
音も立てずしなやかに着地を決めるのが見えた。
そして即座に側転、魔物から高速で伸びてきた触手っぽい何かを避ける。
魔物による連撃が続くも、空中をひらひらと舞うように回避。
猫耳さんの戦い方は遠い世界の出来事のような、華々しく幻想的なものだ。
雲の中の放電とか、荒れ狂う太陽フレアとか、そういう感じの大規模自然現象にも似た何かを観賞している気分である。
猫耳さんは跳躍を繰り返して、魔物に砂地から抜け出す隙を与えない。
魔物が振り回す腕のようなものを回避しながら、絶え間なく攻撃を続けている。
そのタイミングで、ぐわああん、とか、ごぎゅわああん、だとかそういった表記しがたい感じの、大質量の金属同士がぶつかり合うような、鈍くて低い音が轟く。
でもちょっと待ってほしい。
これって不思議という言葉で片付かないくらい色々とおかしいだろう。
剣は金属だろうけど、剣を握った肉体まで金属に変わるわけではない。
少なくとも猫耳さんの身体は、どれだけ鍛えても有機物であるはずだ。
質量も材質も変わるわけではないのに、あの激突音はいったい何なの。
あと軌道が変だと思ってよく見たら空中で何度も方向転換しているんだけど。
これはどう突っ込めばいいんだろう。物理法則を考えると完全にアウトだよね。
放電とか太陽フレアのほうがまだ
こうして眺めていると、戦いは猫耳さんの奮闘で
だがそれは、時間制限が課せられた危ういバランスの上に成り立つものだ。
生物対魔物の戦闘において、拮抗という状況は生物側にとって不利だ。だからこそ猫耳さんは短期決着に専念していた。これは旅の途中で、他でも無い猫耳さんが語っていたことがある。間違いということは無いだろう。
なぜなら、いくら超常識的な力を発揮しようと、猫耳さんは生物だ。生物である以上、あらゆる動作には肉体的な疲労、精神的な疲労が伴う。戦い続ければ体力を消耗する。消耗……するよね? 人体に蓄えられるエネルギーは有限なのだ。有限……だよね?
猫耳さんが肉体的な疲労を訴えるような場面を一度も見たことが無いのは、たぶんきっと気のせいだろう。
ともかく、何らかの理由で猫耳さんによる魔物の
そうなれば、魔物の、魔物による、魔物のための、生物虐殺タイムに逆戻りだ。
この拮抗した状態というのはかなりマズイのではないだろうか。
そう思い始めたところで、
「「「帝国に栄光あれ!!」」」
唱和する声が束の間の均衡を崩した。
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