第10話 灰色の空
第10話 灰色の空
嵐が来た。
空が物量を伴って
陽光を
風は砂を含んで、叩きつけるように吹き荒れる。
空は舞い上がった砂で昼間でも薄暗く、色合いまでも重い。
地を
はるか
その境界はひどく
視界に入るすべての色が合わさり、灰色に濁って染まる。
起伏によって激しく乱れた地平線は、その輪郭すらも失っている。
もはや線とも呼ぶのも
死の荒野は、ほぼ岩石と砂だけで形成されている。
岩石は硬く、それでいて石同士がぶつかり合うと欠ける程度には脆い。
破片や砂は細かく、鋭く尖った針状になりやすい性質がある。
大量に撒き散らされた微細な
この風が強くなると、死の嵐と呼び恐れられている現象となる。
死の嵐は、緑豊かな土地を侵食し、死の荒野に変えてゆく。
季節を問わずに発生する現象であることも大きい。
死の荒野は年々拡大しているのだという。
強い風が運ぶ尖った砂は、乾燥に強い外皮だろうと容赦なく
研磨剤を満遍なく、延々と吹き付けているようなものだ。
獣も虫も動くたびに擦り切れ、やがて骨まで残さず
樹木どころか乾燥に強い類の草さえも、根を張るよりも前に枯れてしまう。
どんな強固な生物も、水分を根こそぎ奪われてしまえば生きてゆけない。
こんな場所に留まり続ければ、どんな生物だろうと死を
この地で留まり続ける事ができないのは生物に限った話ではない。
事実、魔物でさえもこの自然の脅威から逃れる術は無いのだ。
力が弱くて軽い魔物は強風に吹き飛ばされ、硬い岩盤へと叩きつけられる。
質量のある類の魔物は砂地に沈み、二度と浮き上がることはできない。
ある程度強大な力を持つ魔物は飛来物を反らす力を持つが、死の嵐で運ばれる砂は避けようとも反らそうとも、間断も無く吹き続けて常に消耗を
知恵のある魔物がいるかどうかは議論が分かれるものの、魔物は自然災害に対して適切な
嵐の間は魔物の襲撃を気にしなくて済むというのも、また随分と皮肉が効いているように感じられた。
死の嵐は、あらゆる侵入者を
ただし、それだけならただ過酷なだけだ。
魔物には親が必要ない。
生命を持たないが故に、生命の営みも必要なく発生する。
あるいは、生物が少ない環境でこそ魔物が発生しやすいのかもしれないが。
要するに死の荒野は魔物が発生しやすいのだ。嵐の後に発生する魔物が、僅かに残った生命を根絶やしにしてしまうという現象までは避けようが無い。
結果としてここは灼熱の熱帯や極寒の雪原地帯よりも厳しい環境になっている。
長期的な生活を維持することができる場所ではない。
まさしく死が支配する領域であり、魔物の溢れる魔境なのだ。
決して生命あるものが安易に訪れていいような場所ではない。
『死の荒野』はその名の示すとおり、死に満ちた危険な土地だった。
◇ ◇ ◇
大霊廟を出て、十日弱。
東へと進むほど動物を見かける頻度が減っていた。
また、少しずつ草木も
気が付いた頃には、一面の灰色景色である。
他に何もなかったとも言える。目印になるものすら見当たらなかった。
仮に目印になるものを作ったとしても、この地では数日残っているかどうかも怪しいものだ。そんな目印がいったいどれほどの役に立つだろうか。
見渡すかぎりの岩と砂、その影が織り成す灰色のコントラストがそこにあった。
東征討伐隊の一行は『死の荒野』へと辿り着いていたようだ。
伝聞というよりは、推測の域を出ない。
誰かに明言されたわけではないため、そうとしか言いようが無い。
通達も無いのも、誰もがその境目の認識を曖昧にしていたからだろう。
仕方が無いといえば仕方が無いのかもしれない。
境界線なんてものは地図の上にしか引くことが出来ない。
流動する曖昧な現実の地形を線分で分離することなどできないのだから。
ただし、ひとつだけ『死の荒野』の内外には明確な違いがあった。
散発的ではあるが、魔物との遭遇頻度が明らかに増えているのだ。
魔物からの襲撃は昼夜を問わないため、休憩は不定期になった。
ただでさえ怪しかった時間感覚が、さらに怪しいものになっていく。
気が付けば、いつのまにか犠牲者が出ていた。
口達者な魔術師のおじいさんは円盤みたいな魔物に胴体を千切られた。
熟練の老兵さんは体調を悪化させた所を小型の魔物に襲われてあっさり倒れた。
年若い軽装兵さんは怪我による発熱が長引いて死んだ。
単純に歩けなくなって討伐隊から脱落した人もいる。
脱落とは言うけど、引き返すには遠すぎる。
脱落すれば食料や水も配給されなくなるし、救援も、補給のあてもない。
待ち受ける運命は言うまでもなく、飢えと乾きに苦しむ辛い最期だけだ。
近くにいる者同士で、
少しずつ、少しずつではあったが、死の荒野の道半ばで命を落とす人が増え始めた。
まあ、自分が事情を知っているのはあくまで一方的なものだ。
仲が良くなった誰かが亡くなってしまったという話ではない。
途中で何か印象深い会話をしたとかそういうわけでもないし。
むしろ倒れていった人たちとの関わりはほとんど無かった。
実は経歴どころか名前すらも知らない人たちばかりだ。聞いてもいない。
ていうか、猫耳さんと一緒だと猫耳さん以外から話し掛けられないんだけど。
どういうこと?
自分は猫耳さんと
確かに猫耳さんは眠るとき以外はだいたい自分に話しかけている。
死の荒野までは食事の時でさえ話し掛けるのを止めようとしなかったのだ。
しかもあの独特の高速会話は並大抵のことでは途切れない。
猫耳さんに声を掛けるためには、根気強さとタイミングの良さが必要だろう。
猫耳さんとの会話に求められる方向性がよく分からない。
あと、猫耳さんが能力的に優れすぎているのも一因かもしれない。
頭悪そうな会話と裏腹に、魔物の知識は誰と比べても豊富で、見識も深い。
そして戦闘能力も飛び抜けているから、誰かの
必然的に単独行動が多く、孤立無援の状況で戦う状況が多い。
というか猫耳さんによる魔物退治は早すぎるので援護なんて間に合わない。
いや、そんな猫耳さんがなぜ自分を構うのか正直よくわからない。
ボッチ同士で通じ合うような雰囲気的な何かを感じているのだろうか。
感覚的なものはよく分からないので、ちょっと共感は無理かな。
ていうか自分がボッチになってるのは明らかに猫耳さんのせいだと思うけど。
ああ、話題が逸れた。
ここで語るべきは猫耳さんではなく、討伐隊についての話だ。
すぐ近くで誰かが倒れても、誰もが感情を表さない。
周囲の人に対する関心や興味が希薄で、何があっても他人事だ。
仲が良さそうに見えたグループでさえ助け合うという概念に乏しいように思える。
雰囲気が悪いという訳ではない。そういう段階にすら到っていない。
あらゆる出来事を、誰もが淡々と受け入れているのだ。
人の死は
いつ誰がその片付けられる側に回るとも知れない状況だというのに。
あるいは単に、色々と諦めているだけなのかもしれないけど。
確かに軍隊の運用に代償はつきものだろう。
だが、これは既にそういう段階の話ではない気がする。
そもそも東征討伐隊の基準は異常だ。
これは団体行動であっても行軍と呼べるようなものではなかった。
道なき道を行くというか、人里離れた道なき道しか進んでいない。
最初から未開地探索と分かっていながら、なお色々と無理を強いている。
誰が死んだとか、誰がいないとか、誰も個人名を口にしないのもおかしい。
今日は何人死んだとか、尊厳の無い数値だけが交わされている。
死者に数値という記号化を施して、感情を抑制しているのかもしれない。
人員損耗さえも、最初から折り込み済みということだろうか。
そうなるとやはり気になってくるのが『程度』の加減である。
行軍が終わるまでにそれが示されるとも限らないわけだけれども。
代償の想定に、果たして内面的なものは加味されているのだろうか。
人間的な精神性とか、そういった類のものまで。
人の生死と戦闘能力の高低は、ほとんど相関性が無かったように思う。
強大な魔物に引き裂かれて肉片になった人は関係あるかもしれないが、戦いで死んだ人の数というのは、実のところそれほど多くなかった。
足を踏み外し、地面に開いた巨大な亀裂に滑落していった人。
色々あって精神を病んだ末に舌を噛み切って自害した人。
あるいは、ちょっと岩陰で用を足してくるとか言ってた人が戻ってこなくて、それを気にして探しに行った人共々冷たくなって倒れてた、なんて事もあった。
死に方は様々で、そこには役割や老若男女など関係なかった。
遺体が回収できる場合は、高熱の火で焼いて手早く灰にしていた。
灰は、皇帝さんの座席の後ろに取り付けられている棺に放り込まれる。
手元が狂って少しこぼれたり、風で少し飛ばされた程度なら誰も気にしない。
扱いは粗雑だ。そこには故人の尊厳に対する配慮だとか敬意は見られない。
強いて言うなら、装備も環境も劣悪なはずなのに火にも水にも困った様子が無い理由を、記憶の無い自分だけが気にしていたくらいだろうか。
すぐに回収できない遺体に対しては、何もしない。
理由は単純だ。手間取って同じ場所に留まる時間を長引かせると、それだけ犠牲者が増えてしまう。
余計なことをする余裕がなかった、ということだろう。
つまりは隣を歩く人の生き死にを気にするという事までが、その『余計なこと』に分類されてしまうような状況だった。
死というのは平等である。
順序にこそ若干の差があれ、死は生きるものの
死の灰色に天と地の境界さえも塗り潰されているような、
死は、何もかもを混ぜ合わせて曖昧にしてしまう。
死は、全てを残さず飲み干してしまう。
だが、揺るがないはずの事実にも不自然な
皇帝さん率いる、鎧骨さんや騎士さんたちのことだ。
いつのまにか親切な騎士さんも騎士さん達の集団に戻っている。
彼ら一同に限っては、死の荒野で誰一人として欠けていない。
最新犠牲者は大霊廟で液体化した騎士さんが更新したままである。
顔色が悪い騎士さんもいるけど、魔物退治に影響が出ている様子はない。
理解不能な速度で魔物に突撃して、真正面から粉砕している。
明らかに気分が悪そうな顔色ですごく元気とか、もうわけがわからない。
体調不良を
あの異常な初速を足の筋肉だけで出すのは物理的に無理があると思う。
皇帝さんと鎧骨さんたちは、特に変わった様子が無い。
何事があっても動じず、まるで何事もないかのように行軍している。
もっとも、鎧骨さんたちには皮膚が存在しないので、顔色が分からない。
行軍速度も特に鈍ったりしている訳でもないから、きっと健康なのだろう。
襲い掛かってくる魔物が強くなっていく状況にも動じない強固な戦力。
それは確かに、頼もしい事には違いない。
だが同時に、それはどこか得体の知れない不気味さが浮き彫りになっている。
いや、むしろ最初からずっと不気味な集団だったような気もするけど。
そういう意味では評価が変わらないとも言えるわけで。
しかし、考えれば考えるほど、おかしな話だった。
なにしろここから向かう目的地は『最果ての地』。
または『世界の果て』と呼んでいる人もいる。
誰もが大層な名前で呼ぶのだから、よほどの辺境なのだろう。
そんな場所に何しに行くのかはこの際あまり関係ない。
重要なのは
傭兵っぽい近くにいた人たちの何気ない会話が情報リソースである。
なんだよそれ、じゃあ今どこに向かってるんだって話である。
いよいよもってこの行軍に関する理解が遠くなってきた。
より多く魔物がいる場所へ、より強い魔物がいる場所へと進んでいるのは確実だ。
根拠や確信があるかのように迷い無く進んでいるように見える。
しかし肝心の目的地は伝聞系であり、確証すらないという。
まるで何かにより導かれているかのようでもあり、もしくは何かにとり憑かれているかのようでもある。
そんな行軍に意味はあるのだろうか?
そこには本当に何かがあるのだろうか?
東征討伐隊の最終到達点がどこであれ、その過程は
過酷な環境、過小な配給、不明瞭な目的地、曖昧な行軍指示。
不安要素に対して、誰もが展望を持たず、解決方法の提示も無い。
希望を見出している人間が誰一人として存在しない。
いや、そこまでなら分かる。
共感は出来ないけど、
それにも関わらず、誰一人として諦めようとする者がいないのだ。
何故そこまで
無知無謀が
理解ができない。疑問が消化できない。推察すら出来ない。
何か目的はあるとしても、もっと良い解決策があるんじゃないのか。
意外だったのは、猫耳さんが大人しく同行し続けているということだ。
猫耳さんが魔物を斬る時に、今ひとつ元気が無いようにも感じられる。
どことなく尻尾や耳の動きまで鈍っている気もしないでもない。
死の荒野での強行軍を、あまり快く思っていない事は明らかである。
だからてっきり、これまでの印象通り途中で飽きて引き返すとばかり思っていた。
しかし、猫耳さんは先へ先へと進み続けている。投げ出す様子は微塵もない。
猫耳さんが引き返すなら、自分もそっちに付いていくつもりだったのに。
東征討伐隊の面々とは、目的を共有していないのではなかったのだろうか。
もしかすると猫耳さんは猫耳さんなりに、別の事情を抱えているのかもしれない。
個人の事情に首を突っ込むつもりはないが、気にかけておくべきか。
猫耳さんには何度も助けてもらっている。借りがあるとも言う。
借りを作ったまま逃げ出すのは、何かが違うのだ。
義理とか善意とかそういうものではなく、なんとなくモヤッとする。
こういう些細な事で自分の内面というか、性質が明らかになる気がする。
休憩に入るタイミングで、配給されていた干し肉を袋ごと猫耳さんに渡す。
猫耳さんは受け取って中を見ると、目を見開いてこちらを向いた。
ていうか、なぜそこで
荒野に着くまでだってパクパク食べてたお肉様でしょうに。
毒なんて入って無いよ。持ってないし、入れる意味だって無い。
やっぱり顔とか頭に何か変なものでも付いてるんだろうか。
などと思っていたら、猫耳さんは何も言わず袋に手を突っ込んだ。
そして猫耳さんは遠慮することもなく干し肉を
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