第9話 東征討伐隊
第9話 東征討伐隊
あれからすぐに大霊廟を出発して、三日目。
次の目的地は『死の荒野』と物騒な名前で呼ばれる場所だ。
丘陵地帯を通る整備されていない道をひたすらに行軍している。
……いや、自分は相変わらず何もしていないけど。
中々にハードな強行軍だと思う。
一所に留まっているのが飯と就寝の時間くらいしかない。
それでも新たな脱落者は出ていないし、疲労困憊といった体の人もいない。
速度自体はそれほど速いわけではないという可能性もある。
白の霧の谷の森に作用している不思議パワーが影響を及ぼす範囲を抜けた証なのか、あるいは単にそういう地域なのか。ちらほらと魔物の姿を見かけるようになってきた。
もっとも東征討伐隊全体の総数と比べれば、魔物の個体数など微々たるものだ。
猫耳さんや騎士さんたちの出る幕もなく、その他大勢の方々による
自分の出番は無い。犠牲者がでる要素も無かった。
いや、犠牲者はあったね。
大霊廟の怪しげな儀式で液状化しちゃった騎士さん約一名。
果たして、彼に犠牲を強いる必要性があったかどうか疑問が消えない。
猫耳さんの出る幕も無い現状、どう考えても戦力過多である。
あんなゴア表現を経てまで大賢者さんを目覚めさせる必要はあったのか。
過ぎてしまった事だから、考えるだけ無駄かもしれないけど。
東征討伐隊の集団戦闘能力や、あるいはそれと対比して猫耳さんの戦闘能力がいかに高いかという事を、自分はようやく理解し始めることになった。
すでに東征討伐隊と共に行動するようになって幾日かが過ぎているんだけど。
もの凄い今更感のようなものが否めない。
でもそんな中で、ずっと気になっていることがある。
自分には予想どころか見当も付かないことだ。
それは、この行軍の最終目的である。
東征討伐隊はちょっとした軍の規模だ。
これだけたくさんの人が結集して行動を起こしている以上、何か共通の目的があるはずだ。目的もなく長距離移動するのはおかしい。
だが敵軍から奪還するために帝都へ向かうなどといった感じでは無い。帝都は敵軍どころか完全に無人だったし、そもそも帝都は方向だって違う。色々とおかしいことは分かるが、部外者であるはずの自分に対する説明がまったく無いから、何かがおかしいという以外の事が分からないのである。ただの一度も説明を受けずに同行させられているのだ。皇帝さんや騎士さんたちが言葉で指示を出すのも、指示を受けた人達の間で話題に上るのも、次の目的地に関する事。上辺だけの情報を事務的に確認しているだけに過ぎない。具体的な中身がまるで見えない。
何か暗黙の了解のような共通認識が根底にあるのだろうか。口に出すこと、あるいは問われる事すらも
何か皆の行動の原動力となる大きな出来事があったのか、もしくは慣習的に
該当する出来事に心当たりなどあるはずもないが、失われた自分の過去に発生した出来事だったら困る。帝都の現状と関係があるのなら、それほど遠い過去の話ではないはずだとは思うのだけど。あえて首を突っ込んで問おうにも、出自不明な自分には何からどう聞けばいいかが分からない。自分に関する記憶が無い以上、懇切丁寧に教えてもらっても理解できないことのほうが多いだろう。最悪、集団心理の働きによって放逐される可能性も考えると、下手なことは口に出来ない。何となく心休まる事の無いような、そんな居心地の悪い環境が出来上がってしまっていた。
一方、自分と同じ部外者であるはずの猫耳さんは、東征討伐隊の最終目的などには一切興味が無さそうだ。まあ猫耳さんはわりと刹那的な考え方だから、長期目標みたいな話は聞いても無駄な気もする。
最終目的に関しては、自分自身の目で確かめる他に知る方法は無いのかもしれない。
まあそんなわけで得られた情報こそ少ないが、これまで色々観察しながら同行してきたことが完全に無駄だったわけでもない。
東征討伐隊に関して、おぼろげに理解できたこともあった。
まず、皇帝さんが何を犠牲にしても最終目的を成し遂げようとしているという事。
そして騎士さんたちも、皇帝さんの意気を深く理解しているらしい事。
おそらく彼らの最終目的のために必要であれば、誰もが自ら犠牲になることをも
自然と耳に入ってくる会話の内容をまとめて個人的な思い付きも付け加えると、東征討伐隊のメンバーは『帰る場所のない人たち』である、という推測ができる。
そもそも魔物から帝都の奪還をするだけが目的であれば、東征討伐隊にとってそれほど難しい話ではなかったように思える。帝都周辺から魔物を駆逐するだけなら、猫耳さんがいなくても一ヶ月、猫耳さんが加われば二週間もあればお釣りが出たはずだ。千人にも満たない規模とは言え、それを可能とする戦力が十分にあることは分かってきた。ならば必然的に、土地や建物の奪還は一行の最終目的から除外されている可能性が高い。
ならば、ここでいう『帰る場所』というものに、それまでの生活や、親しい人の生命など環境の話を含めるとどうなるだろうか。
つまり、迎えてくれる家族を失ったから、帰る場所がない。
東征討伐隊がそういう人の集まりだと考えれば、
限定的な相手以外との会話もない食事だとか、酒を飲んで騒ごうとしている人が陽気になりきれていない雰囲気だとか。
ただし、皇帝さんや騎士さんたちに関しては話が違っているように思える。
これは皇帝さんや騎士さんたちにとって、帝都帰還は復興とセットで考える必要があるからなのではないだろうか。これは立場的な問題で、国を支える民衆無くては国が成り立たない。国が成り立たなければ公務員的な立場も成り立たないだろうという単純な推測だ。
ここで懸念されるのが皇帝さん自身の寿命である。
皇帝さんはどれだけ若く見積もっても壮年期は迎えているだろう。何の脚色もせずより正確に見積もると、それより遥かに高齢に見える。やせ細った手足や皮膚に浮き出た血管を鑑みるに、老成されているというよりも
しかし、皇帝さんに残されているであろう余生に対して、人口とは簡単に増えるものではないはずだ。帝都の復興にこの先どのくらいの年月が掛かるかは知らないが、他所から人を呼んでも元通りの規模に戻るまでに一世代や二世代では足りないだろう。ほぼ無人の状態から人を増やすなど、考えるだけで気が遠くなる。皇帝さんも若くは見えなかったし、生きて復興した帝都を目にするというのは、ちょっと無理があると思う。そう考えると皇帝さんもまた帰る場所が無い人のひとりなのだ。
というのはまあ想像に過ぎないんだけど、違ったとしても似たような背景があっても不思議ではない。
あくまで事実関係の確認も無い思い付きであり、妄想の域を出ることはない。
退屈な徒歩の旅路で気を紛らわすための時間つぶしに過ぎない。
こういった妄想に真実が含まれているかどうかさえも、自分に何らかの影響を与えるとは思えなかった。
ここまでに人類が集団で安全安心に生活できるような環境は見当たらなかったし、大霊廟だって人が人らしい生活ができるような環境ではなかった。だから自分はこの東征討伐隊に付いてくるしかなかったし、これからも付いてゆくしかないわけだし。
今のところ東征討伐隊の真実がどうあれ、自分に選択肢なんて存在しない。
ちなみに、東征討伐隊の人物背景をどう捉えて、どう脚色して、どう想像しようとしても、やっぱり変な人の集団であるには違いないということも改めて確認できた。
目下、一番の問題は大賢者さんである。
いやむしろ呼び名を大問題さんと改めるべきじゃないだろうか。
簡素な腰巻は身に付けており、邂逅当時の全裸スタイルは多少改善が見られる。
自分が問題だと思っているのは、大賢者さん特有の戦闘スタイルである。
この大賢者さんに様々な歴史的背景があったが故の結果らしい。
その経緯というのを得意気に解説を語るのは例の親切な騎士さんである。
もちろん、自分なりに脳内で意訳しながら解説を聞いていた。
まずは帝国における魔術の立ち位置から話は始まる。
帝国は魔術という特殊技術を発展させ、帝国も魔術によって発展した。
魔術はとても便利で、有用な技術だ。
ある種の先天的な素質さえあれば、非力な人間でも巨人もかくやという強大な出力を得ることができてしまう。原理的な問題があるため直接的に魔物を討伐する用途には向かないものの、生活環境の改善から戦略的運用に到るまで、応用技術の幅は広い。
しかし魔術は、魔力と呼ばれる正体不明の力に依存している。
このため魔術は誰もが使えるわけではなく、また何時でも使えるとは限らない。
そういった不安定で不便な一面もある。
大賢者さんはこうした従来の魔術を改良していた。
より効率的に、より効果的に魔術を運用する方法を研究していたそうだ。
様々な魔術の構造を極限まで
研究は難航した。
それもそのはず、そもそも魔術の動力源になる魔力が安定しない存在だった。
魔力とは何なのか。なぜ人がそれを扱えるのか。実は、それさえも解明されてはいなかった。どこからともなく勝手に湧き出してくることと、生物の体内に保持するのが困難なことくらいしか分かっていない。詳細が判明していないために、扱うことができるかどうかにも先天的な感覚が必須である。安定的に供給する方法など、見当も付いていなかった。大賢者さんは研究が進むに従い、いつしか魔術の有用性に疑問を抱き始めてしまった。
そして大賢者さんは長い年月をかけて研究を重ねているうちに、気が付いた。
不安定な魔術よりも、人が作った道具のほうが便利で有用であるという単純な事実に。
だが、どれだけ簡単な構造であっても、道具は消耗品だ。金属で製造された堅固な武器も、使えば磨耗する。そして道具の生産にも修復にも資源が必要で、資源は有限だ。
大賢者さんは考えた末、答えを出した――肉体を鍛えて拳で殴ればよいと。
これは発想の逆転とも言える、画期的な発想だったらしい。大賢者さんは、この発想をもとに新たな理論を打ち立てたのだ。
すなわち、『魔術の基本的な構造を流用して人体を極限まで最適化することで、巨人にも匹敵する力を振るう事ができる』というものである。それどころか、高度に発達した
魔力由来の魔術が魔物に対して効果が薄いと判明した現在、筋肉の鍛錬、肉体の強化による戦闘技術の有用性は、広く一般的に知れ渡っているそうだ。
しかし当時としてはあまりにも
画期的な発想で時代を先取りしすぎた大賢者さんは、時代が自分に追いつくまで待つため、大霊廟の特殊な魔術装置を用いて
……正直な話、何を言っているのかサッパリ意味が分からなかった。
いや冗談ではなく自分にも分かるように誰か意訳して欲しい。
高度に発達した筋肉が魔法に等しくなるってどういうことなんだ。
最初に求めていた利便性とかそういう話はどこへ行ってしまったのだろうか。誰にでも扱うことが出来る汎用性は重要なことじゃなかったのか。しかも当時はちゃんと考え方がおかしいってみんな思ってたのに、時代が大賢者さんの考えに追いついちゃったのか。それもまた大変な話なのではないかと思うのだけれど。もしかして自分は古いタイプの人間と同じで、考え方が古かったりするんだろうか。
それよりもサラッと触れただけで自然な感じで流されていたけど、生物を長期間保存できる技術のほうが凄い事のように思えるのは気のせいなんだろうか。
とにかく、猫耳さんも大概なパワー重視の戦闘狂だと思っていたのだが、どうやらその認識は早急に改める必要がありそうだ。猫耳さんはあれで超技巧派寄りの人だったのである。世界というものは、想像を絶するレベルで広いものなんだなあ、と思い知った。
実は、現状として。
目の前に広がっている光景が、その
きれいな半球状に
大人が数十から数百くらいすっぽり収まってしまいそうな規模の窪みだ。
その周辺には動植物の残骸や、大量の土砂が無造作にまき散らされている。
動物も植物も無生物も分け隔てなく巻き添えにした、平等にして無慈悲な破壊痕。
大きな隕石でも落ちなければ、こんな惨状にはならないのではないだろうか。
この光景を見て、まず最初に思い浮かんだ単語は、次の目的地の『死の荒野』。
だがその死の荒野に臨むまで、実質あと数日くらいは歩く必要があるらしい。
つまり今のこの光景には、死の荒野など全く関係ないという事だ。
実はこれ、ちょっと大賢者さんがやらかした痕跡なのである。
発端は、日が昇り始めた頃のことだった。
野営の片付けにとりかかっていると、
その直前、大賢者さんの姿が急に消えたのと関係があるのは明らかだった。
爆音の直後は周囲一面に粉塵が吹き寄せて、しばらくの後に土砂がバラバラと降ってきた。
色々な野営道具が土砂塗れになって片づけが大変だった。
片付けが終わって確認したときには、すでにこの惨状だったという訳だ。
なんでも、母体種とかいう魔物が接近していたそうである。
騎士さんのひとりが持つという特殊な察知能力で判明したらしい。
皇帝さんの判断で、性能確認も兼ねて大賢者さんに出撃命令が下されたのだ。
大賢者さんは保存前から帝国所属であり、当然だが復帰後も帝国所属である。
だから皇帝さんの指揮の下で軍事行動を実行しただけにすぎないのだろう。
べつに大賢者さんが突発的な破壊衝動を発散したとかそういう話ではない。たぶん。
ちなみに母体種というのは、非常に凶悪で対処の難しい魔物だ。
やたらと頑丈な上に強力な攻撃手段を持っている。
さらには短時間で撃破しなければ何度も再生するという、厄介な性質もある。
大人数による集中攻撃は定石で、それでも倒しきれずに犠牲者が出る事も多いとか。
どんな魔物だったのか、直接見ることができなかったのが悔やまれる所だ。
こんな惨状なのに、被害も無く倒せたとか言って大賢者さんが賞賛されている。
人間以外の動植物に関しては壊滅的だと思うんだけど。
生命あるものにとってやさしい環境ではなくなってしまった。
環境資源への被害は被害のうちに含まれないのだろうか。
まあ今日を生き延びなければ明日が無いという意味なら、確かにそうなんだけど。
魔物を放置し続けていれば、動植物も根絶やしにされてしまうって話だし。
火力一点主義と言えば聞こえは良いが、火力過剰に見えるんだよね。
ていうか素手で何をどうすればこうなるんだ。
真面目に考察するのが馬鹿らしくなるような光景だった。
魔法にも等しくなる云々という話も、あながち誇張ではないのかもしれない。
よく理解できないトンデモ理論ではあるが、目の前の結果は魔法そのものだ。
すでに実現されたことを否定するのはただの現実逃避でしかないだろう。
いやもうこれは何ていうか現実逃避しても許される気はするけど。
それにしても、猫耳さんがやけに大人しいな。
なぜか微妙な顔をして
猫耳さんが何かを言うでもなく黙っているとか、何かすごく新鮮な感じがする。
そのうち嵐でも来るんじゃないのかな。
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