第8話 大賢者

第8話 大賢者



 行軍を開始した皇帝さんと愉快な仲間たち御一行様方。

 いやもちろん猫耳さんと自分も一緒なんだけど。


 ただ、目的地へ一直線ではなく、今は森の奥深くへと向かっているところだ。

 まずは『大霊廟だいれいびょう』という場所へ立ち寄るという話である。

 そこで長い間眠っている『大賢者だいけんじゃ』を同行させるのが目的らしい。


 なぜその人を目覚めさせる必要があるのかは知らない。

 どうしてそんな人がそんな人里離れた場所で眠ってるのかも聞いていない。

 むしろそんなに長く眠ってた人を同行させて大丈夫なのかと問いたい。


 ちなみに目的に関して伝聞形であるのは、直接に尋ね聞いたわけでは無いからだ。

 一行の中でも自分と皇帝さんの配置が離れているのも原因のひとつなのだが、なにしろ皇帝さんは声量が小さい。椅子に腰掛けてなおかもし出される風格というか威厳いげんある雰囲気に対して、声の大きさが釣り合っていなかった。痩せ細った体格では肺活量の都合で仕方ないのだろうけど。

 とてもではないが、行軍している人員全体に命令が聞こえて伝わっているとは思えない。兵士さんたちが指示に関して聞き返したりしないのが不思議なくらいである。皇帝さんも皇帝さんで懇切丁寧に説明などしないから、文脈の前後から類推することもできない。おかげで指示内容の仔細しさいに到っては、ほぼ伝言レースの様相だった。


 いや、これが自分と関わりの無い場所の話であるならまだしも、これが自分を取り巻く環境の現状に大きく関わってくるとあっては、人事ひとごとだと笑っていられる話ではないのだ。


 騎士さんたちから細かい指示などは一切無い。役職とか管轄とか指揮体系が色々と複雑になっているようだけど、これが情報伝達を阻害している気がする。ほぼ末端に近い配置にある自分達まで伝わる頃には、話の内容が原形を留めないくらい変質してしまっても不思議ではない。何か緊急の事態が起きたときにどうにも対処が出来なくなってしまいそうな気がする。

 まあ、でも、東征討伐隊とかいう名前のこともあるし、具体的な目的地が判明しているわけではないのかもしれない。あるいは本格的な危険地帯に着くまでは指示を出す側も英気を養っているとかそういうことだったりするのか。

 魔物との戦闘なにかのもんだいが発生しても臨機応変にじぶんでかんがえて適切な対処じぶんでこうどうしろって事かな。

 総監督から現場指示まで何もかもがフリーダム過ぎて、足元が覚束ないくらい酒飲んでる人とかチラホラ見える状況もちょっとどうかと思うけど。


 東征討伐隊は何度かの補給と合流を重ねて、総勢で数百人ほどの規模になった。今まで猫耳さんとの二人旅だった時と比べるなら、とてつもない大所帯である。

 まあ多いと言えば多いような気もするが、皇帝さんが率いる一国家の軍隊としては小規模なんじゃないかな、といった感想になってしまう。

 騎士さん(拠点を出る前に騎士のような格好をした騎士っぽい人たちは儀礼的な感じで名乗っていたので、自分の頭の中では騎士さんと呼ぶことにした)たちは東征討伐隊の中でもさらに少なく、三十人程度しかいない。それも騎士団長さんの取り巻きと皇帝さんの取り巻きとの半々くらいに分かれているため、かなり少なく見える。

 これは帝国における一般的な軍構成というものを知らないがゆえに抱いてしまう意見なのだろうか。常識に類するであろう経験則というものが記憶の中に無く、比較する対象も無いために判断が難しい。


 もっとも何らかの作戦理由で少数精鋭の軍隊と判断するのもまた何か違う気もする。少数と言い切ってしまうにも語弊があるような中途半端な人数だし、精鋭って部分にも疑問符クエスチョンマークが付く。何しろ外見と装備がいかにも軍人っぽく見えるのは、騎士団長さんの取り巻きの騎士さんたちしかいない。彼らだけが屈強な戦士然として体格や筋肉に恵まれているように思える。他の人たちはちょっと行動がおかしかったり、装備が貧相だったり、線が細かったりするんだよね。まああまり人の事は言えないんだけど。


 いや、着目するべき点が違うのか。

 筋肉量や背丈というのは、強さの指標にはならないのだ。

 強い人は強い。それはすでに猫耳さんの存在によって証明されている。

 体格や筋力に囚われることのない特殊な戦闘技術が存在するのだ。

 東征討伐隊の面々だって見た目よりもはるかに強くても不思議ではない。


 単に帝国の規模が大きくて、精鋭だけを選りすぐって集めてもこの人数になっちゃうとか、そんな感じだったりするかもしれない。まさか帝国の領土が帝都だけってこともないだろう。帝都だけでも結構な広さがあったし、あの規模であれば周辺都市の存在なくして生活基盤を支えることもできないはずだ。


 ともあれ、軍隊と一緒に行動しているというのに堅苦しい雰囲気はほとんど無い。

 食事時も就寝時もフルフェイス型の兜を外さない騎士さんがいたり、猫耳さんが喋りかけてきたり、しきりに小型の砥石のようなもので刃物を磨いてる騎士さんがいたり、お経だか聖句だかを一心不乱に唱えている騎士さんがいたり、猫耳さんがやたらと喋りかけてきたり、なぜか騎士団長さんが頻繁にこちらを睨んできたり、荷車っぽい乗り物を引っ張ってるのが馬ではなく騎士さんたちと似たような鎧を着た人骨だったり、あと猫耳さんがやたらと喋りかけてきたり、猫耳さんがとにかく喋っていたりするからだ。


 うん。分かった。

 堅苦しい雰囲気じゃないのはだいたい猫耳さんのせいだった。


 いや、わけが分からないのもけっこう居るよね。

 猫耳さんのお喋りを抜きにしても、皇帝さんを取り巻く騎士さんたちは特に、他と比べて明らかに異常だ。

 特徴的で個性的。職業軍人として運用するには、あまりに難がある。鎧以外の統一感が欠けているのだ。猫耳さんを除外しても、ぶっちゃけこの集団は色々とおかしいだろう。特にあの鎧を着た骨だけの人って何なんだよ。誰も気にしてないし普通に動いてるけど、何がどうなってるの。荷車引いてる鎧着た骨の人にも敬称とか必要なんだろうか。鎧骨さん?


 そしてなぜか、猫耳さんはこんな環境下でも平常運転だ。

 ふらっと消えたかと思うと魔物の痕跡を持って帰って来る。

 騎士さん達の指示に従っているわけでもなく、話を聞いている様子も無い。

 平常運転でコミュニケーションが成立しないってどういうことなの。

 そろそろ猫耳さんの平常運転は非常識と同じ意味だという、新たな定義でもしておいた方がいいかもしれない。

 なにしろ頭の上から猫耳を生やしているのが猫耳さんだけなのだ。尻尾を生やしているのも猫耳さんだけ。もうこの時点でオンリーワンである。外見だけですでに立派な個性を確立させているあたり、猫耳さんの特異性をうかがい知ることができるだろう。猫耳さんを基準に物事を考えると一般常識を損なう恐れがある。気をつけよう。


 一切いっさい合財がっさいをスルーして、馬車っぽい乗り物――鎧骨車?――から降りることもなく、集団から数歩置くように位置取り、全体を見据えて、下々が織り成す混沌模様に関与していない皇帝さん。

 そんな皇帝さんは御一行様の中で唯一の常識人枠に見える。

 でも団体行動としての観点で言うならば要注意人物なのではないだろうか。

 この異様さ極まる団体を統率しているのは、他でもない皇帝さんなのだ。

 ある意味この集団の中では最も異質な存在だと思うんだよなあ。



 閑話休題それはさておき


 いまのところ行軍道中の魔物は非常に少ない。

 というよりも拠点を出発するとき以外には一度も目にしていなかった。 

 真夜中にフルフェイス兜の騎士さんが金切り声を上げた他には、とくに問題らしい問題も起きていない。いやフルフェイス兜の騎士さんの奇声アレはスルーしていい段階じゃないような気もするんだけど。何か悪い病気の発作じゃないんだろうか。本当に問題が無い類のものなのだろうか。というよりもむしろ、なんで誰もあの金切り声を話題に挙げないの。


 ともあれ、やはりこの集団が全体的におかしいということを再確認できた。

 そういう微妙な再確認のほかには、特に何事も無く進行している訳だけれども。


『――というわけで、白の霧の谷の森からは魔物が排され、帝国の生活が成り立っていたというわけです』


 隣を歩いている物腰のやわらかい親切な騎士さんが、帝国と魔物の歴史に関して丁寧に解説してくれていたので退屈はしなかった。

 ただ元になった教書が宗教絡みなのか、聖域とか加護とか試練とか神秘ワードが多く取り混ぜられていて、解釈に少しばかり時間がかかるのが難点だったけど。

 なぜ未だにこの森に魔物が近寄らないのか、逆になぜ魔物が帝都を襲ったのかという理由は全く分からない。精神論だとか思想啓蒙に近い、ふわっとした抽象的な完結だった。論理的な構成が行方不明になっている。

 魔物に苦しむ人々の祈りに応じて神様が霧の中に太陽の光をぜただとか、神の威光に服従した樹木に宿る精霊たちが働いているとか言ってたけど、まさか本当にそのまま言葉の通りの意味ということはないだろう。

 魔物は太陽の光を避けたりしないし、動物がいなければ植物だって魔物の襲撃対象になるって聞いたばかりだ。白の霧の谷の森には人が生活できるような集落が存在しないという話だったから、色々と矛盾している。

 こう何ていうか、もっと原理だとか具体的な話を聞けるかと思っていたんだけど。歴史と神話が混濁こんだくしているってことは、誰も確認していないということなのかな。まあ実際には専門分野には専門用語が付き物だし、働く力の原理について解説されても理解できない可能性はあるかもしれない。疑問について解説を求めて話を聞いても、もれなく別の疑問が増えてしまうこと請け合いである。

 得られた情報は少ない。何かを解明したり他者を納得させ理解を与える段階にまで文明全体が到っていない可能性すらある。装飾過多な歴史的背景の伝承を余さずに聞いていでも、むしろ森の名前に『の』が多すぎる事のほうが気になってしまう程度の興味しか起きなかった。どの『の』がどの部分にかかっているのか良く分からないのが難点だ。名前を決めた人もそれに賛同した人も、まずはそのふざけたネーミングセンスを改めろと言いたい。ここは分かりやすく森の外観と性質を併せて『魔物避けの聖域の銀嶺ぎんれいふもとの森』とかに改名したほうがいいのではないだろうか。あ、ダメだ、こっちのほうが『の』が多かった。あまり他人のネーミングセンスを悪く言うものじゃないな。


 親切な騎士さんによるありがたい解説もいつのまにか佳境に差し掛かっていた。

 陶酔したような目で遠くを見つめながら神とか祈りだとかいう単語が増える。

 熱があるかのように上擦うわずった声が漏れる事もあった。

 話の内容が、説教とか説法のような全く別のものに変容しているのが分かる。

 視線はどこかへと向かって彷徨さまよって、こちらを全く見ていなかった。

 こちらも全く話を聞いていないのだからその辺はお互い様という所だろう。

 どこからその情熱だか信念が湧くのか知らないけど一人で盛り上がっている。

 有名な世界遺産へと近付いて気分が高揚してるのかもしれない。

 その気持ちは分かるけど、共感はちょっと無理かな。


 ちなみに反対隣で相変わらず続いている猫耳さんの一人会話と相俟あいまって、ステレオタイプの混沌模様を織り成している。ステレオタイプって言葉の用法が違う気もするけど、まあ大した問題ではないよね。むしろ置かれている現状のほうが問題だ。ちょっとうるさい。いや正直に言うとちょっとどころではない。ものすごくうるさい。よくお互い間違えずに自分の話を続けていられるものだと感心してしまうほどだ。そしてなぜ話が一度たりとも混線しないのか疑問だったけど、これってもしかするとどちらもお互いの話をまったく聞いていないということではないのだろうか。

 そういえば道中お経のようなものを呟き続けていたのは、この物腰の低い騎士さんだったかなと、思い出して色々と合点がってんした頃合ころあいになって、石造りの大きな建造物が見えた。どうやら第一目的地の大霊廟だいれいびょうに到着したようだ。ああ、ありがたやありがたや。



 建造物には壁が無かった。

 石造りの屋根を石柱が支えているだけという、とてもシンプルな構造だ。

 雨をしのぐことはできても、風が吹けば素通しではないのだろうか。

 居住性とか生活感という概念とはおおよそ無縁の設計に見える。


 屋根にも石柱にも装飾が施されていない。どうせ滅多に人が来ないのだから問題は無いだとか、最初から割り切って設計されたのかもしれない。あまりの清々しさに、霊廟と呼ぶよりもむしろ、壁を剥ぎ取った作業場といった風情まである。いや装飾も無くて無機質で幾何学的な立体に風情もなにも無いとは思うけど。


 言葉を選ぶなら、質素で情緒ある風情を感じられる。

 言葉を選ばなければ、貧相で地味とも言えるだろう。


 建造物の中で何よりも存在を主張しているのが、中央に安置された巨大な石棺だ。

 材質によるものか、はたまた造られた年代によるものか、石棺の表面には精緻せいちで複雑な紋様が刻まれており、年月による風化を感じさせない。

 その紋様というのもまた奇妙で、芸術家や職人が美学に基づいて描いた模様というより、技術者によって合理性を突き詰めて描かれた何らかの図版のように見える。

 先程までの親切な騎士さんの解説によると、どちらも数百年か、それ以上の古い時代のものらしい。石棺のほうが古いという歴史の話とは逆であるかのように、石棺はずいぶんと真新しく見えて、なにかこう胡散うさんくさいものを感じる。歴史の捏造ねつぞうという言葉が思い浮かぶのも無理は無いだろう。


 皇帝さんが片手を挙げて出した合図に従って、乗り物を引っ張っていた鎧骨さんたちが石棺を囲み、剣やら槍やらの獲物の先端を使って床に何やら紋様を刻みはじめた。


 長杖を背負った騎士さんが紋様の中央に立ち、皇帝さんに向かって敬礼する。

 皇帝さんは黙って頷くと、懐から金属製の小瓶を取り出す。


「……なんじが運命は、帝国の礎となる」


 皇帝さんが言葉と共に小瓶を投げた。

 長杖を背負った騎士さんが両手で受け止める。

 長杖を背負った騎士さんは小瓶のフタを回して開けると、


「帝国に栄光あれ!」


 叫び、一気に飲み干し、そして全身を硬直させ、倒れた。


 ちょっと理解が追いつかない。

 いったい何なんだコレは。何が起きているんだ。

 状況の理解も出来ず、誰も説明しないので、黙って見守るしかない。

 長杖を背負った騎士さんが倒れたまま痙攣けいれんしたかと思うと肌が変色して泡立ち、蒸気のような何かを放ち始める。黒い鎧や骨すらも巻き込んで、見る間にもぐずぐずと溶けて、ドロドロとした半液体になった。グロい。これではもう助からないだろう。

 長杖を背負った騎士さんが変じた半液体のような何かは、新たに刻まれた床の紋様の中に溶け込んで、ぼんやりと光を放つ。

 うっすらとした光は石棺に刻まれた模様にまで伝播でんぱして、その輝きは次第に強くなってゆく。やがて、石棺そのものがかん高い無機質な音を放ち始めた。


「大賢者殿の復活である!」


 騎士団長さんが宣言する。

 皇帝さんは鷹揚おうように頷いた。

 騎士さんたちは思い思いのポーズで敬礼をしている。

 鎧骨さんたちは相変わらず、微動だにしていない。

 他の人はほとんどが大霊廟の外にいるものの、内外を隔てる壁は無い。

 溶解した騎士さんを見て動揺している様子が見えた。


 棺が音も無くふたつに割れる。

 いや、これは――割れたんじゃない。


 扉だ。


 閉じ合わされていたものがなめらかに開いただけだ。

 具体例や比較対象は分からないが、関連する単語が脳裏を過ぎる。

 なるほど、これが認証式の自動ドアというものか。

 人体認証って、人間ひとりを溶かして流し込むって意味なんだね。

 こんな物騒で費用対効果コスパの悪い代物シロモノが後世に残るはず無いな。


 棺が青白い光を放ち、蒸気のようなものが吹き出る。


 中から現れたのは、立体の起伏きふくを備えた赤褐色の塊。

 肌の表面に浮かんでいる血管が、挙動に応じて脈を打つ。

 単に骨格が太いだけではない。まるで鎧を着ているかのような、重厚な質量感。

 まさに筋骨隆々という言葉が相応ふさわしい、鍛え上げられた肉体。

 各部位の筋肉がそれぞれ個別の生き物のように蠢き、存在を主張している。

 全身にしたたる液体は汗なのだろうか。

 しばらく静寂を保っていたそれらが、ふいに縦へと伸びた。


 それが立ち上がったのだと、間を置いて理解が及ぶ。

 見上げなければ顔が見えないほどに背が高い。


 それは背丈が二メートルを超える、全裸の巨漢だった。




 ……えっ、大賢者の『大』って、そういう……?




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