第5話

朝が来て、昼になり、放課後がやってくる。

毎日が大体同じことの繰り返しで過ぎていく。

ゆりが学校を休んでからもう一週間になる。

彼女は風邪をこじらせてしまったらしく、なかなか復活出来ないでいるらしい。

クラスにキャンディが配られなくなり、その様子にもだんだん慣れてきた。

賑やかな声の聞こえない朝。

笑顔が見えない休み時間。

彼女のいない教室が当たり前のようになってくるのが少し寂しかった。

斜め前のゆりの席を無意識に見てしまっていた僕は、心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになっていた。


冷たい風が吹きすさぶ放課後。

僕は、いつもの帰り道とは違う方向へと足を向かわせた。

今朝はかなり積もっていた雪も、放課後になると大部分が解けて道の隅の方にだけ残っている状態だ。

マフラーで覆われていない肌の上を突き刺すような寒さ。隙間風が心の奥にも届きそうに思えたが、一歩一歩踏みしめて僕は歩いた。


どれぐらいの時間歩いたのだろう。

春には青々と葉をつけるのだろうが、今は枯れた葉がカサカサになった大きな木が庭で揺れている。

『雨宮』。そう書かれた表札が目の前にある。僕は上を見上げた。


ピンク色のカーテンが揺れている部屋。僕はゆりの姿をその窓に思い浮かべながら、吹きすさぶ風の中立ち尽くしていた。

彼女の家の前までやって来たものの、チャイムを押す勇気が出ない。

最後に別れたあの日。ゆりの俯いた悲しげな姿が目の前に浮かぶと、心がきゅっとなってきた。


(どうしよう)

迷っていると、突然家のドアが開いた。

「あら、どなたですか?」

ゆりの母親が出てきたのだ。買い物に出かけるところなのだろう。

「あっ、えっと。僕……」

戸惑っている僕を見て、ゆりの母はピンと来たのかにっこりと笑って言った。

「あぁ、あの子のお友達ですね?お見舞いに来て下さったんですか?どうぞ入って下さい」

そう言ったかと思うと、二階に向かって大声で、娘に向かってそのことを叫んだ。


どうしようと思っていた僕の気持ちはさておいて、あっという間に家の中へと入れられてしまった僕は、あれよあれよという間に二階にある彼女の部屋まで通された。

パジャマのままベッドの上に上半身を起こしていたゆりと目が合った僕は、何て言おうか考えてもおらず、急におどおどし始めてしまった。

「あっ、雄樹くん!来てくれたの?」

こちらに気が付いたゆりが、途端に嬉しそうに笑って言った。

いつものツインテールではなく、長い髪はそのまま肩へ垂らされている。

普段とは違う姿の彼女に、僕はハッとしながらも立ち尽くしていた。


「そんなところにいないで、ほらほら!」

ゆりはにこにこ笑いながら手招きしている。

母親が温かい紅茶を入れて持ってきてくれた。

僕はベッドの隅に腰掛けた。


「元気?なわけないか。体調良くないんだもんな」

何も言うことが見つからず、おかしなことを口走ってしまった。

ゆりは相変わらずにっこり微笑みながらこちらを見ていた。

「元気だよ?だって雄樹くんが来てくれたから」

彼女は風邪をこじらせ、熱が下がらずに数日を過ごしたらしいが、ようやくそれも落ち着いたらしいとのことだった。


『ゆりがいないと、教室中が何だか元気出ないんだよな』

僕は黙ったままゆりの顔を見つめていた。

言いたかったことを言えないままの僕をじっと見ながら、彼女は相変わらず笑っている。

「何?どうしたの?」

首を傾げて不思議そうにゆりは言う。


「や、やっぱり体調がまだ良くないんだな。いつもよりしおらしいなんて」

言いながらぷいと僕は顔をそむけた。

(今日はそんなことを言いに来たんじゃないのに)

僕は、一度逸らせた視線を再びゆりへと戻した。


「えー、そう?でもそれっておしとやかになったってことだよねぇ。えへへ」

思考がポジティブになっているところを見ると、ゆりの体調はほぼ回復しているのだろう。

黙ったまま僕は、ごそごそとカバンの中からあるものを取り出した。

白地にカラフルな水玉模様が描かれたデザインの、キャンディの入った大袋。

ここに来る途中でコンビニに寄って買ったものだった。

それを見たゆりは、驚いたような顔をしてこちらを見ている。


「えっ!これ、何、何?キャンディ?」

「受け取らないなんて言わせないぞ」

精一杯の言葉を、僕は喉の奥から発した。

袋をそのまま、半ば押し付けるかのようにゆりに手渡した。

胸の前でその袋を見ながら、彼女はびっくりしたような顔のまましばらくじっとしていた。

そして、おもむろに袋の口をベリッと開けたかと思うと、その中からひとつ、嬉しそうにつまみ出した。


手の平に載せられたキャンディは、ハートの形。

透明の小さな袋にひとつひとつ包まれている。

「なあに?雄樹くんがこんな可愛いのくれるなんて、嬉しすぎるよ~!」

ゆりは愛おしそうにそのキャンディを頬に寄せた。

「沢山あるから一個あげる!一緒に食べよう!」

彼女の手の上にあるピンク色のハート。

ゆりは、ピリッと袋を破いて中身を出して言った。


「へへへ~、この小さなハートはねぇ、あたしの気持ちだよ~、なんちゃって」

言うが早いか、彼女はぽんっと僕の口の中へハートを押し込んだ。

嬉しそうに、そして少し照れたような顔でゆりはこちらを見ている。

僕はそんな彼女を見ながら、座っていた身体を彼女の方へぐいっと向き直した。

「違う。これは、僕のハートだよ」

一瞬の間に僕は彼女の両肩に手をやった。

僕の口から移された小さなハートを、驚きながらもぎこちなくゆりは受け止めた。

小さいけれど、甘くて可愛らしいハートは、小刻みに震えたままゆりの口の中でゆっくりと溶けていった。

ゆりが受け止めたハートは、ストロベリーの味だったらしい。


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