第2話

 陽ちゃんが部屋に戻ってきたのは、一時間半も過ぎてからだった。

 遅いな、倒れてやしないだろうか、と心配をした矢先、いたくご機嫌に戻ってきたのだ。片手にはビール缶、もう片方の腕には500ml缶を4本ほど抱えている。

「飲んでるの?」

「見りゃ、わかるらろ?いやあ、本当は地酒でも買おうかと思っらんだけど、売店が閉まるのあ早くて……自販機のビールしかなあったんだ」

 そう言う足許が覚束ない。

 よろけて転びそうになったのを見て、私は腰を浮かした。

「ちょっと、どんだけ飲んだの?お酒そんなに強くないんだから、無理しちゃダメだよ」

 そう言って、陽ちゃんを支えようと腕を出す。すると、陽ちゃんはそれを振り払うようにした。

「やめろよ!オレはらいじょうぶ!」

「大丈夫って……側から見ると全然大丈夫には見えないけど……」

「らい……大丈夫!ほら、お前も飲もうぜ!そんなつまんあいことなんかしてないで」

「つまんないって……」と言おうとして、私は溜息をついた。パタンとラップトップのPCを閉じる。

「わかったよ。ちょっとだけだからね」


「だからさあ、純也のらつ……」

 何度同じ話を聞かされるのだろうか、と私は少し嫌気が差している。そんなこったろうとは思っていたが、どうやら私を無理矢理この温泉宿に連れてきたのは純ちゃんと喧嘩をしたのが原因らしい。

 しかも原因はどうやら陽ちゃんにあるようだ。経営している飲食店で、女性に口説かれたとか口説かれないとか。それで揉めて、思わず家を飛び出したと。

 所謂痴話喧嘩。

 私を巻き込まないで欲しい。

「まあ、でも純ちゃんの気持ち、私わかるよ」

 言いながら私は純ちゃんにメールを入れる。


“陽ちゃんは××県△△の〇〇温泉□□荘にいます。明日の10時に宿を出る予定ですが、心配だろうから。とりあえず、無事です“


 なんで私がこんなにも気を回さなければならないのだろうか。

「陽ちゃん、やっぱり普通にしてたらイケメンだよ。純ちゃんが心配になるくらいには」

「それがわかんねえんらよ。オレを信用出来ないってことらろ?純也らって、顔は整ってると思うし、よく女連れでオレの店に来るんだぜ?それで、さも嫉妬してほしいみたいな顔してオレを見るの。わけわかんねえよ」

「自分だけって確証が欲しいんじゃないかな」

「そんなん、どうやって証明しろって言うの……何にもしなくても……オレにはあいつしかいないのに……」

 陽ちゃんの身体が眠そうに前後に揺れた。

 顔を覗き込むと、陽ちゃんの眼はすでに半分閉じている。落としたらまずいと思って、陽ちゃんの持っている缶を取り上げると、まだ半分以上が残っていた。部屋に戻ってくる前から飲んでいたとは言っても、幾らなんでも弱すぎだろうと少しおかしくなる。

「ほら、眠いんだったら布団に行って」

 私が言うと陽ちゃんは「んー」と軽く唸って、フラフラと立ち上がった。布団へ向かう足取りが覚束なくて、心配で横を歩く。とは言っても私も少し酔ってしまったようで、そこはかとなく足許が不安である。

 布団へ辿り着くと、陽ちゃんはそのままバタンと勢いよく布団へと突っ伏した。そして、私の腕をぐいと引っ張る。私は思わず陽ちゃんの横に膝をついた。

「ちょっと、突然ひっぱんないでよ」

 陽ちゃんは突っ伏したままだ。

 突っ伏したままの陽ちゃんの髪は風呂場でよく乾かさなかったのか湿っていて、暗闇の僅かな光にテラテラと反射していた。男の人だから、きっと髪の手入れなんかしようと思ったことすらないんだろうなと思って、なんとなく手が伸びた。湿った水分の下にキシリと傷んだ髪の毛の感触がする。

「泣いてるの?」

 私は訊いた。陽ちゃんは答えず、ただ少しだけ私の腕を掴む手に力を込めた。

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