荒れ狂うドラゴンの爪! イギュリの心の闇に、ピーチタイフーンの言葉が突き刺さる!
「くらえ! 私の尻を!」
ピーチタイフーンはイギュリに向かって走り、ヒップアタックを敢行する。まっすぐ言って跳躍し、背中を向けて臀部をぶつける。単純にみえて背を向けるタイミングを誤れば相手を見失う。同時に背を向けることで防御もおろそかになる。
「ひっぃぃぃぃ!」
迫るピーチタイフーンのお尻を悲鳴を上げて避けるイギュリ。一度その痛みを知っているイギュリにとって、その攻撃は恐怖の対象となっていた。痛みなんてもう嫌だ。全力で回避して、距離を取る。
「落ち着け……俺はドラゴンだ。そうだ、俺は強いんだ。相手はキテレツなだけのでっかいエルフで、爪もブレスも魔法もないんだ。そうだ、俺のほうが、強いんだ……」
自分を安心させるように呟くイギュリ。負けたくない。恥をかきたくない。努力なんてしなくない。自分より弱い相手から巻き上げて、楽して満足したい。そのためには、ここを乗り切らないといけない。
「おい! オマエに勝てば下の連中は諦めて帰ると約束しろ! そして俺に手を出さずにいるのと、貢物を捧げろ!」
叫ぶイギュリ。めちゃくちゃな要求だ。ピアニーが聞けば呆れて肩をすくめただろう。
「いいだろう。私の名において約束しよう」
しかしピーチタイフーンはそれを承諾する。勝者の特権。レスラーである以上、勝った者の意見がすべてだ。
「言ったな? じゃあ死ね!」
イギュリは翼を広げ、大空を滑空する。ピーチタイフーンが空中に立っているとはいえ、速度と機動性では翼の在るイギュリに分がある。空気を叩くように翼を振るい、大きく加速して通り抜けざまに爪を振るう。
「一回じゃ終わらないぜ! 何度も何度も何度も何度も何度も斬りつけてやる!」
空中でUターンしてまた斬りかかり、またUターンして斬りかかる。ピーチタイフーンを中心にイギュリは飛び回り、高速で爪を振るう。
「魔風展開! 雷雲召喚! 積乱雲の中で尽き果てろ!」
滑空と斬撃の瞬間に風魔法と稲妻魔法を発動させる。風圧と電圧がピーチタイフーンを閉じ込め、動きを封じ込めた。その中をイギュリは飛び回る。遠目にはピーチタイフーンを巨大な雲が包み込み、雷光が薄く光る。
だがその内部は大嵐。荒れ狂う風と迸る雷撃。そしてドラゴンの爪による乱舞。三つの災害が一人の人間に襲い掛かる! 追い詰められたイギュリの猛攻撃!
積乱雲が爆発する。その中心にいるピーチタイフーンに襲い掛かる自然の暴力!
「ぜー、はー! どうだ、どうだぁ、もう動けないだろう!」
呼吸を整えながら、イギュリが爆発の中心をも見る。瞳に魔力を通し、そして捕らえる。
「見事な攻撃だ。ドラゴンの空中殺法の妙、しかと感じたぞ」
腕を組んでイギュリのほうを見るピーチタイフーンを。
「生きてる!? って言うか立ってるぅぅぅぅぅ! あんだけ斬りつけて電撃浴びせて風で圧力かけてもノーダメージ!? 島一個潰す勢いでやったんだけど!」
「まさか。確かに効いたぞ。だが私を倒すには至らなかった。ただそれだけだ。レスラーの受け身とタフネスを崩すにはまだまだ足りないな」
「お前のようなレスラーがいるかぁぁぁぁぁぁぁ!」
イギュリの前世の知識にはないレスラーの強さ。しかし現実に目の前にいるエルフのレスラーはイギュリの猛攻に耐えたのだ。
「そう難しい事ではない。朝は坂道ジョギングからの腕立て伏せ、腹筋、スクワット、受け身訓練。それらをこなした後に休憩をはさみ、午後も朝同様のスケジュールの後に新技の訓練。それを繰り返せば自然と肉体は強くなる」
「いや嘘だろそれでドラゴンの全力に耐えるとかさすがにないわ」
心を無にした声でツッコミを入れるイギュリ。信じられないが嘘は言っていない。でも信じられない。そんな声だ。
「イギュリ。お前は努力を否定した。努力しても報われるのはわずかだと。ならば努力せずにいたほうが効率的だと。
それは事実だ。努力しても頂上をつかめる人間の数はごくわずか。成功する人間は少なく、ほとんどの人間が望んだ結果にたどり着けない。それを否定はしない」
努力のむなしさ。競争における報われない者。それはピーチタイフーンも理解できる。事、プロレスは苛烈だ。努力してもトップレスラーになれるのは一人だけ。最強を目指すということは、同じ釜の飯を食った仲間を退けること。気の合う仲間はいるけど、戦いとなれば相手を倒してのし上がるのが勝負の世界。
努力は必ずかなう、なんていうのはきれいごとだ。それは努力をすればするほど実感できる。そして大多数の人間がその挫折を味わい、夢を諦めるのだ。
「はん! でも努力しないといけないっていうご高説かよ。聞き飽きたぜそんなのは。成功している人間は術からず努力しているとか、そんな言葉で頑張っても最後はボロボロになって夢破れて空しい思いするだけなんだ!
努力しろなんて名言集はたくさんあるけど、しょせんそれを言った人間も成功していないんだから一緒なんだよ!」
ピーチタイフーンの次の言葉を予想して叫ぶイギュリ。努力しろ、働け、世間の為に動け。そんな言葉は前世で聞き飽きた。さんざん拒否してネットの世界に籠っても、どこかでその言葉が目に付く。その度に冷笑した。そんな言葉に煽られて努力しても、結局成功せずに死んでしまうのだ。
「だったら楽して生きるのがいいに決まってるだろ! 生まれとか親とか環境とか利用して、何もせずに力を得て! それを使って何が悪いっていうんだよ! 努力万能とかいう風潮とか、くそくらえだ!」
「その通り。力に貴賤はない。どういう形であれ、どういう過程であれ、今ある力こそが現実だ」
叫ぶイギュリの言葉にうなずくピーチタイフーン。その言葉に『へ?』と珍妙な声をあげるイギュリ。
「努力を軽視するつもりはないが、尊ぶつもりもない。親や会社のコネ、生まれ持った身体能力、偶発的な幸運。そんなものはどこにでもある。それにより努力する人より上に立つことなど珍しい事でもない」
努力した者よりも成果を出す人などたくさんいる。努力以外の要因でのし上がる存在などたくさんいる。会社の都合で八百長を強いられることも、試合前の盤外戦術で足を引っ張られることもピーチタイフーンは経験してきた。それが現実で、それが社会だ。それを憎みこそすれど、努力を止めはしない。なぜなら、
「ただ私は努力することしか知らなかっただけだ。それ以外に力を得る方法を知らず、それ以外に目的を達成する手段がなかったにすぎない」
「目的?」
「スター。星をつかむ。最強のレスラーになり、頂点をつかむ。ただそれだけのために努力したに過ぎない。
イギュリ。お前の目的が『楽して生きたい』と言うのならそのために力を振るえばいい。それがズルだろうが何だろうが、それは構いはしない。それもまたお前の生き方、お前の目的だ」
目的のために、持ちうる全ての力を使う。その過程や善悪なんて関係ない。ズルしようが、近道しようが、誰かを利用しようが、それをどう評価するかなんて他人の事だ。
「お前がそれを正しいと思うのならそう生きればいい。生きるということは、そういうことだ。それを守るために逃げて、閉じこもり、他者を虐げ、それも生きるということだ」
その生き方を否定はしない。すべての生き物は、その目的のためにあらゆるものを利用して走り続けるのが正しい姿なのだから。
「……なんだよ。逃げていいとか引きこもっていいとか初めて言われたぜ」
「それもまた人生だ。逃げも防御も生きる手段の一つにすぎない」
「じゃあ、見逃してくれない?」
「私も私の目的のために走るだけだからな。そのためには今のお前を無視はできない。私が最強になるために倒させてもらおう」
「ちくしょう! この野蛮エルフが! 鬼、悪魔、バーサーカー!」
結局は戦うしかない。それを再認識して罵るイギュリ。だがその声には怯えは消えていた。
引きこもりたいという自分の目的をしっかりと認識し、そのために行動することに対する卑屈さが消えている。逃げて引きこもる為に前向きになった。矛盾しているようで正しい心の歩みを感じさせる瞳がそこにある――
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