第35話

「なら給仕担当を誰か雇わねえか?」


 それはジョニー君の提案だった。


「雇うって言ったって当てはねえぞ。それに、そもそも人を雇うって経験が無いからどうしようもないぞ」


 恐らく給料面や待遇面等の一般的な補償等の話だろう。ここら辺はちゃんと常識を学んでおかないと正しくやっていくのは不可能に近い。


「誰が提案していると思ってんだ。アグネス商会長の息子だぞ?」


 しかし、提案したのは経営者の卵。英才教育を受けてきた人間だ。


「ってことで人を雇いに行くぞ。ペトロ、着いてこい」


 僕はジョニー君に連れられて、店を出て行った。


「どこに行く予定なの?」


 いくらジョニー君とは言っても、当てがあるのだろうか。今回はアグネス商会関係ですらない、単なる酒場だ。文化館の時とは違い、アグネス商会から社員を出すわけにも行かないだろう。


「働きたい奴がたくさん居る場所だよ」


 しかし、ジョニー君は自信満々に語っている。


「そんな場所あるかな……」


 半信半疑になりつつもジョニー君について歩いていく。


「ここなの?」


 辿り着いた場所は、堕天使と関わるきっかけとなったアンフィアさんと初めて出会った場所。貧民街だ。


「ああ。ここなら金が今すぐにでも欲しい奴らがたくさんいる」


 そう話すジョニー君は、一切の躊躇いなく奥へ奥へと歩いていく。


 そんな僕たちを覗く視線が至る所から向けられている。よそ者への警戒心なのか、それとも良からぬ事を考えているのか分からない。


 何も知らなかった前とは違い、知っているから少々怖い。


「いたな」


 恐怖心を抑えながら奥へと歩いた僕たちは、広間に辿り着いた。


 そこに大人の姿は無く、たくさんの子供達だけが楽しくボールで遊んでいた。


 僕たちの背後から大人達の気配はあるけれど。


「そこの少年少女、話しがあるんだが聞いてくれないか?」


 ジョニー君はその子供達に大きな声で呼びかける。


「なんだお前。貧民街の住人でもない奴が何の用だ?」


 返事をしたのは恐らくその子供たちの中でも赤髪を短く切りそろえたリーダー格の少年。見知らぬ顔に警戒心を強めており、少しでも変な気を起こそうとしたら襲い掛かってくるだろう。


「お前らに仕事の依頼をしに来たんだ」


「仕事の依頼?」


 リーダー格はその言葉に一層警戒心を強めたように感じた。こういう場所の住民に頼む仕事は基本的に危険な物であることが多いのだろう。


「ああ、だがお前らが想像しているような違法な事でも無いし無茶なことをさせるわけでもない」


「じゃあなんだよ」


「俺たちの友人にダンデって奴が居るんだが、そいつが経営している酒場のウェイターを頼みたい」


「酒場?俺たち子供にか?」


 酒という言葉に違和感を覚えたようだ。確かに酒場は子供の出入り厳禁なことが多い。


「ああ。とはいってもそいつの店の酒はクソ不味いから頼むやつが誰も居ねえんだがな」


「なんだそれ」


「俺もよく分からん。アイツの酒を見る目が致命的に無いだけだろ」


「変な奴だな」


 リーダー格の少年は少し笑みを見せた。少々警戒心を緩めてくれたみたいだ。


「どうだ?給料は保証するぞ」


「細かい内容次第だな。立ち話もアレだからあそこで話そう」


 少年は広間の端にあった机を示した。


「そうだな」


 ジョニー君はそれに同意し、向かうことに。


「おい」


 そんな中、背後から声を掛けられた。貧民街の大人達だ。


「なんでしょう?」


 ジョニー君は声を掛けられる前に机の方へ向かっていたので僕が返事をした。


「仕事の依頼つったな。一応俺たちにも話を聞かせてくれや」


 どうやら僕は大人たちの対応をしなければならないらしい。


 僕は広場ではなく、そこから少し離れた建物の中で話すことに。


「緊張してんのか?」


 と話すのは30後半くらいの男性。服は貧相なものだが、その服で覆っている体は随分と鍛え上げられているように見える。下手したらルーシーさんよりも強いかもしれない。


 話しかけられた時点で僕たちは逃げ出すことが不可能だったのだろう。


「少しだけ」


 ここは正直に話すことにした。敵わない相手に見栄を張る必要もないだろう。既に実力差はバレていることだし。


「そりゃあそうか。おい皆、下がってろ」


「「はい!」」


 その男がそう言うと、周りに居た大人たちは皆どこかへ去っていった。


 ルーシーさんが貧民街はお互いの関わりが薄いって言ってたけど話と違うような……


「先に自己紹介をしておこうか。名前は?」


「ペトロと言います。ノウドル大学に通っている学生です」


「はー、あそこに通ってんのか。優秀だなあお前」


「ありがとうございます」


 正直ジョニー君を見ていて自信を無くしているけれど。


「俺はライナー。子供たちの面倒を見る保護者のリーダーだ」


「保護者ですか」


 てっきり貧民街のボスか何かだと思っていたけれど。


「ああ。ここに住んでいる子供には親が居ない奴が多いんだ。孤児院がそういう子を拾っているってのは知っているが、アイツらにも流石に限度があるからな。だから俺たちでもやらないとな。子供は宝だからな」


「自分の生活が苦しいのに、ですか?」


 貧民街に居るってことは少なからず金に困っているはず。下手したら明日の自分のご飯すら怪しい筈なのに。


「ああ、俺たちは子供が大好きだからな。出来ることならなんでもしてやりたいんだよ。まあ大半の貧民街の住民には変わり者って思われているだろうけどな」


 ライナーさんは豪快に笑った。


 どうやらライナーさんは孤独な貧民街の中で、子供たちを守るために住民を集めて行動してくれていたらしい。


 本来は貴族がやるべきことなのに。


「優しい方なんですね」


「そう言われると照れるな」


 最初は何をされるかと思ったけれど、ただのいい人だった。


「んで、その宝たちに何をさせるつもりなんだ?」


「聞いていた通り、食堂のウェイターの仕事です。名目上は酒場ですが、酒を頼む人は居ないので問題ないと思われます」


「どうしてアイツらなんだ?いくらでも出来る奴は居るだろ。暇している大人とか、孤児院に居る奴らとか」


「そうですね。子供たちの生活を安定させたいという思いがあったから、でしょうか」


 僕が選んでここに来たわけではないが、ジョニー君は多分そんなことを考えているのだと思う。本人は絶対に言わないけど。


「支えたい、ね」


「まあ、今すぐに働き手が欲しいほどに逼迫しているから、すぐに駆け付けてくれる可能性がある方を選んだってのが一番の理由ですけどね」


「なるほどな。正直で分かりやすい良い理由だ。下手な建前よりも信用が出来る」


 どうにかライナーさんに認めてもらうことが出来た。後はジョニー君次第だ。


 僕とライナーさんは様子を見に広場に戻った。


「何がどうなってんのこれ」


 目の前にあったのはうつぶせで倒れこむジョニー君の姿。子供たちはそれを見て爆笑している。


「話がさっさと終わったから遊ぼうぜって話になったんだけど、5分でこうなった」


 とリーダーの少年が説明してくれた。


 体力無さすぎでしょこの人……


「何してたの?」


「ドッジボール」


 確かにジョニー君の横にはボールがあるし、ラインも引かれている。まさかの事実らしい。


 ドッジボールってそんなに疲弊する競技だっけ……


「もう俺は無理だ。連れて帰ってくれ」


 と少々かっこつけているが、これはドッジボールを5分しただけで体力が切れた男である。


「仕方ないなあ。行くよ」


 僕はジョニー君を背負い、貧民街を出て行った。

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