第2話
外の景色が何の変哲もない田園や家々の風景になってきたので、俺は寝台に寝そべって、ベラから受け取った封筒から遺髪を取り出して眺めた。
コシのある真っ直ぐな長い黒髪を太目の白い糸で束ねてある。
フェルが俺を抱くときに、この黒髪が俺の肩口へ擽るように触れていたのを思い出す。
俺とフェルは主人と従者であるが、諸事情で男同士にもかかわらず肉体関係も持っていた。
きっかけは22歳の時だ。
「いやあ、まいった。僕はどうやら例えベラでも女体には性的に興奮しない体質らしい」
「おっ前、そういうこと俺に言うか!?」
結婚式翌日、ベラとの初夜が明けたフェルは、書斎で俺の淹れた紅茶を飲みながら、ハンカチを失くしたくらいの軽さで言った。
「でも、これは由々しき事態だよ。僕はベラを愛しているのに、勃たないなんて」
「いやほら、お前、ベラに操立ててたから、初めてだっただろう。緊張で上手くいかなかっただけじゃないか?」
淡々と答えるフェルに、俺はフォローを入れる。
新婚早々、相談事があるからと人払いさせられた結果がこれで頭が痛い。
「それについては色々と訂正しないといけないところがあるね」
ケロッとしてフェルは言った。
「一つ目、僕がベラ以外の女性を抱かなかったのは、操を立てていたわけではなくて、そもそも女性に性的な興奮を覚えないからだ」
男にしては細い人差し指を伸ばして、フェルは切り出す。
「二つ目、実はセックスは初めてではない。前に何度か、専門の男性を抱いたことがある。その時は勃った」
中指も伸ばしてフェルは爆弾発言をした。
「はあ!? いつだよそれ、俺そのこと知らねえぞ。お前、護衛もつけずに一人で風俗に行ったのか?」
血の気が引く。かなり健全な取引をしている会社だと思うが、この規模の商会になると逆恨みを買うことも少なくない。
だからそのトップたるフェルは用心に用心をしなければならないのだ。そのために俺がいるというのに。
「ああいや、来てもらうタイプのサービスだよ。大学時代にちょっとね」
「お前、思い切りが良すぎるにもほどがあるだろ……!」
頭を抱えて叫んだ。
「三つ目、全然緊張はしていなかった。僕が楽観的なのはトラウもよく知るところだろう? まあ、ベラを目の前にしたら勃つかなと思っていたら、これが勃たなかったんだ。びっくりしたよ」
「びっくりすんなよ、自分の性的嗜好なんざ分かってたわけだろう!」
あっけらかんと言うので、ツッコミを入れずにはいられない。
幼馴染が男にしか性的興奮を覚えないことも、抱く側だったことも暴露されて驚いている俺の身にもなれと思う。
「いや、愛の力でどうにかなるかなって」
「お前は本当にそういうところがズレてるな……」
深い深い溜息を吐いて俺は言った。
「ベラも昨日、色々頑張ってくれたんだけど、僕がその調子だからすっかり落ちこんでしまってね。仕方ないから洗いざらい全部喋ったんだ」
「おっっっ前は本当に恋愛関係のスキルがマイナスだな!? 新婚初夜に夫が同性にしか勃たないと知らされる妻の女心を慮れ!」
斜め上すぎるフェルの行動に、全力で、でも外に漏れないように小声で、突っ込んだ。
まずい。これは離婚騒動になるかもしれない。
「いやでも、ベラも『それなら仕方ないわね、後継ぎ問題について対策を考えましょう』と前向きに検討してくれたよ」
「お前は本当に出来た嫁さんをもらったな!!」
思い出した。ベラは昔からフェル以上に合理的な女だった。だからフェルと上手くやれているのだろうが。
とりあえず、離婚にはならなさそうで胸を撫でおろす。
まあ、そもそも実家同士の会社の提携もある以上、無暗に騒ぎ立てるようなベラではないのだ。
「それで、二人で話し合った結果、トラウに協力してもらいたいということになったんだ」
「は? 協力?」
嫌な予感に聞き返す。
「うん。つまり、僕がゴムをつけてトラウに入れて、トラウは僕に入れられたままゴムをつけてベラに入れて、出す時だけ僕がゴムを外してベラに入れるってこと。伝わる? こう、ベラと僕でトラウをサンドイッチにする形で――」
「待て待て待て問題が多すぎる!」
簡単な算数の問題でも説明するかのようなトラウの発言を遮って叫ぶ。
「俺が尻を差し出すのも問題だし、俺がベラに入れるのはもっと問題だろ! ゴムの避妊の成功率は75%だぞ、万が一のことがあったらどうする? 大体、お前ら二人とも、自分以外の人間と配偶者がセックスすることになるのはいいのか!?」
一息で言うが、フェルは堪えた様子もなくいつも通りの穏やかな笑みを浮かべている。
「まず、僕もベラも、相手がトラウならいいって結論になったんだ」
「なんでそうなる……っ!」
俺は両の拳でフェルの机を叩いた。
「だってほら、トラウは幼馴染で僕もベラもお互いよく知ってるし、ベラも、トラウなら協力関係以外で関係を迫ったりしなさそうだし、避妊もちゃんとしてくれそうだから信頼できるって」
「信頼されているのは嬉しいが、お前らのそういう割り切り方、本当にどうかと思うぞ……」
とんでもない夫婦を幼馴染に持つと苦労する。
「あと、避妊具については、提携している系列企業の孫会社くらいの所で、正しく着ければ99.9%避妊できるゴムを開発したので心配いらないからね。まあ系列会社の特許出願物くらい記憶しておいてほしいところだけど」
「そういやあったな、そんなやつ。というかそんな末端企業のことまで覚えてられるか!」
相変わらずの記憶力と、そんなものまで手広く扱っていることまでに驚く。
「というか、そもそもお前は俺で勃つのか」
そこが疑問である。
護衛の関係で鍛えているため、俺は細身のフェルよりかなりガタイがいいし、顔だって女性的な所は一切ない。
「勃つよ。僕は自分より体格のいい筋肉質な男が自分の下で喘ぐのに興奮する性分でね」
「そんな性癖知りたくなかったぞ」
にこりと笑って答えられて、顔を覆った。
「だから、トラウさえ良ければ協力してほしいんだ。もちろん、とんでもないことをお願いしているというのは分かってるから、それなりの手当ても出すけど」
眉を下げて上目遣いに言うフェルのこの顔に俺は昔から弱い。
「いや、手当はいらない。どこで誰に事情がバレるか分からんからな。これはお前たちが思っている以上に大事だぞ。記録に残るようなことはせず、秘密裏にやるべきだ」
ガシガシと頭を掻いて言った。
事情を明かさないまま後継ぎが産まれなければ、ベラの立場がかなり悪くなる。
こんなフェルの手綱を握れる女性はベラ以外に考えられないし、俺のせいで二人が離婚になってしまったら寝覚めが悪い。
そして一番困ったことに、俺自身もベラとフェルならまあいいかと思ってしまったのだ。
ベラは正直好みの身体つきだし、フェルなら無体も働かないと思うし。
「じゃあ、協力してくれるのかい?」
パッと顔を明るくして聞いてくるフェルを一睨みする。
「絶対に他言すんじゃねえぞ」
「分かった! ありがとう!」
低く凄んで言えば、大変良い返事をされた。
そうは言っても、男としたことがない俺がいきなり三人では無理なので、とりあえずフェルと俺で、まず俺を慣らす行為が始まったわけである。
「大丈夫? ここ? それともこっちかな? ああ、ここが好きなんだね、トラウ」
こちらを気遣ってなのか、言葉攻めのつもりなのか、やたら声を掛けてくるフェルに恥ずかしさしかなかった。
「る、っせぇ……とっととその、おっ、勃っててるもの、入れやがれ……っ」
悲しいことに、フェルは上手かった。
元来、人が喜ぶことが好きな気質で、一々こちらの反応のよい所を覚えていて攻めてくるのだ。
羞恥から悪態をついてもどこ吹く風で、こちらを揺さぶってくる。
とはいえ、慣れて来て俺がフェルを受け入れられるようになると、その行為は激しさを増してきた。
女のような美しい顔のフェルが余裕のない表情で力強く腰をぶつけてくる倒錯した状況に、俺もだんだん興奮するようになってきた。
普段結わえているサラサラの長い髪を下ろして俺に覆いかぶさって来る時の、その容貌に不釣り合いなほどのぎらついた目に射竦められれば、身体が勝手に反応するようになってしまった。
大分具合も良くなってきただろうと言うところで、ついに来たベラとフェルとの行為は、端的に言って大変良かった。
フェルとベラの子作り作戦も二人が思っていた以上に上手くいったようで、ベラの妊娠が確定するまで、かなりの頻度で三人で致すことになっていったのである。
この奇妙な協力関係のもとで出来たのがクリスだが、絶対にこんなことは本人には言えない。
こうして後継ぎが産まれることになったわけだが、それから五年も経たないうちに、フェルは癌で亡くなってしまった。
たぶんフェルは、俺がアイツの髪を好きだったことを気づいていて、こうして一房、寄越したんだと思う。
便宜上、遺髪と書いたが、たぶん生きている時に自分で切ったのだろうと思われる不揃いさだった。
俺はあくまでも、二人の子作りのための協力者でなければならなかった。
フェルがベラを愛していたのは本当だし、それに肉体がついていかない苦悩は相当なものだと思う。
その事情を汲んで、幼馴染として協力しているだけで、そこに恋情など決してあってはならなかった。
フェルが亡くなった今、俺は、そっとフェルの髪に口付ける。
手紙はまだ、読む気になれない。
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