第4話 リトル半沢直樹 一刺しで散る その6

 業務改革プロジェクトを企画したこと、クレーム対応に苦しんだ日々、役員との因縁の対決、有名企業への幻滅、そして女子社員たちとの妖しい関係・・・など思いの詰まった職場であったが、ヤスオにとってことがサラリーマン人生の最期の場所となった。

 Eサービス社は赤字削減のため現場無視の乱暴な要員削減を加速させていた。経営資源をF社ではなく条件のよい銀行業務にシフトさせる計画であった。このままでは業務が回らず、事務センター運営に支障をきたす。それだけではない、マニュアルが詳細をカバーせず、属人運用に依存している以上、人材流出はノウハウ消滅につながる。そうなれば人材を補充しても円滑な業務運営は不可能となる。ヤスオはF社の企画部門の社員にEサービス社の要員削減計画を密かに伝えた。F社は危機感を持ち、Eサービス社への業務委託を打ち切り、自社運営に戻すことを検討した。要員をまるごとF社の事務子会社に転籍させる構想が持ち上がった。そのような背景で、F社とEサービス社の委託契約の解消は半年間にわたる調整を経て、正式に合意に至った。

 Eサービス社の社員80名はそのままF社事務子会社に転籍となり、派遣社員200名はF社契約となった。しかしヤスオなどE社からの出向組10名は転籍対象外だった。

 赤いものを青と言い切るF社の虚像の体質には失望していたし、天敵のハリモトが牛耳るEサービス社にも、パワハラの辛酸をなめさせられE社にも全く未練はなかった。ヤスオは50代半ばで早期退職の道を選んだ。会社にしがみつくよりも、心身が元気なうちに技術を身に着けて再出発したいと考えていた。自身の子どもたちも就職し独り立ちしていた。退職すれば安定した収入を失い、大幅な生涯収入ダウンとなる。それでも新しい世界に踏み出す気持ちが強かった。金銭に無頓着な妻の反対はなくヤスオはE社人事部に退職を告げた。


 F社事務センターでの10数年はクレーム対応やハリモトからの冷遇など苦しいこともあったものの、多くの社員や派遣社員と仲間意識をともにできる環境であり、自分の居場所があり存在感の手応えがあった。30年以上のサラリーマン人生のなかでも最も充実した時間を過ごした。12月の仕事納めが最終日であった。100名ほどの部員に囲まれ挨拶を行った。サラリーマン生活の最後を飾る舞台に胸がいっぱいになり、泣きそうな衝動を感じながら仲間の社員たちに感謝の気持ちを伝えた。

 想定外だったのは部からの餞別だけではなく、個人的な餞別の品々を抱えきれないほど受け取ったことだ。それはかつての転職や異動では経験したことがなかった。地味で目立たない性格でかつ役職にも就いていないヤスオであったが、この職場ではなにがしかの存在感をはなっていたらしい。それはアンチハリモトの立場を貫いたことへのご褒美かもしれない。


 師走の寒風に震え家に帰った。翌朝、目を覚ました。”もう行く会社はないのだ”と実感した。仲間たちが書いてくれた寄せ書き、そして餞別の品々をみながら、なぜか涙がこみ上げた。その涙の意味は何だったのか?ヤスオ本人にもわからなかった。ただ、過ぎ去った日々が切なかった。苦しいことにも辛いことにも必死の取り組んできた自分自身が愛おしかった。


 E社では降格と減給、Eサービス社では役員との対立で業務上の活躍も認められず

昇格はならなかった。さらにはパワハラやクレーム処理での精神的な病など、サラリーマン生活では不遇ばかりのE社とEサービス社の日々であったが、人生観を根本的に一変させる価値観に出会った。V.E.フランクルの「人生から何を期待できるかではなくて、人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである」という考え方である。それまでは自分の人生は自分もものであり、自分が選択し決定するものと思っていた。しかしナチスにより強制収容された経験を持つフランクルは、自分が主体ではなく客体であるというのである。そこからヤスオは人生は”一遍の映画”であると思うようになった。凡庸な毎日の連続よりドラマがあった方がよい。どんな境遇も受け容れようと心に決めた。天が自分に与えたドラマなのだ。

 銀行の縦社会の底辺でもがいたことは悪いことばかりでもない。完璧主義で理想の高いヤスオは自分の妻や子どもたちを減点主義でみるところがあった。転職でキャリアアップを図り◯◯総合研究所の社員の座を得て、また難関の資格試験に合格したこともあり、家族を含めて周囲の人たちを上から目線でみることがあった。のんびりとしていて上を目指す努力をしない子どもたちを容認できない気持ちがあった。また大雑把で無神経で生活がだらしない妻に対して嫌悪感を覚えることも増えてきた。その感覚は冷淡な態度となり、夫婦仲が悪化し、あたたかな家庭が崩壊した。思春期の多感な子どもたちは次第に元気さを失い、入学したばかりの高校に登校しなくなるような状態になった。もしヤスオが企業の競争社会を勝ち抜き出世の階段を昇っていたら、彼らを潰すところまでプレッシャーをかけることになったと思われる。しかし自分が組織の弱者の立場を経験することで、人間の価値が偏差値ではないこと、人生は多様であることを身にしみて知ったのである。ヤスオの心が変わることで態度も緩み、家庭や子どもたちを破壊することを免れた。ヤスオが会社組織の底辺に落ちるのと引き換えに、子どもは高校を卒業し、たくましく巣立っていった。人生万事塞翁が馬・・・後から振り返ってみると災いや不幸と思われた出来事は、大切なものを護り、心の安らぎや幸せをもたらしていた。


 50代なかばで早期退職したヤスオが次に進んだ道は何か?会社という組織は離れたかった。フーテンの寅さんのように全国津々浦々を旅 しその場所場所で働いてみたいという思いがあった。まずは冬の北海道に住んでみようと思った。彼は高校生のとき北海道での大学生活に憧れていた。その夢は学力が足らず実現できなかったが、厳しい冬から雪解けの春までのひとシーズンを体験したいという思いは、数十年の時を経ても消えることはなかった。ヤスオは羊蹄山を仰ぎ見る国内有数のスキーリゾートで働くことになった。50代なかばのオヤジのフリーター生活がスタートする。

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