第4話 リトル半沢直樹 一刺しで散る その5

 会社員生活も30年となり、ざまざまな場面でいいことも悪いことも経験したヤスオであったが、会社という組織への失望は天敵ハリモトとの対決だけではなかった。名門企業、エリート社員の”保身”は階層社会における人間の本質を示すものであった。

 F社はメガバンクの傘下で日本で最も早くクレジットカード事業を開始した有名企業である。テレビCMには人気タレントが出演する。4月に発行される社内広報誌には新入社員の顔写真が載るが、女子社員が皆目を引く美人揃いである。人気企業なのでミスキャンパスとか美形を人事は選び放題なのである。金融業界は全産業界のなかで給与水準が高いといわれるが、メガバンク系のF社は銀行並みの待遇であった。彼らとは呑みの席で価値観の違いが明らかになった。昨年はイタリア行ったよ、今年はスペインにするよ、、、娘が◯◯学園中等部の受験なんだ、、、等々、豊かな暮ら振りが随所にあらわれた。そして身なりが違っていた、スーツもシャツも生地がしっかりしていた。Eサービス社は運用部隊の会社なので、高収益は得られない、かつ会社の規模には不釣り合いなほど多数の銀行からの天下り役員を抱えており、その割りを食って社員はほとんど昇給しない仕組みとなっていた。F社の事務センターには明確な階層(格差社会)があった。F社社員、E社社員、Eサービス社社員、派遣社員。その階層ごとに給与水準は7掛〜になる。1000万、700万、490万そして派遣社員はその半分で240万という具合だ。

 その待遇に比例して生産的な仕事が遂行されるかというと、むしろ逆であったかもしれない。F社社員は上位からの通達をただ現場に伝達し、チェックするばかりであった。何か新しい価値を生むという生産活動は、少なくとも事務センターにいる限りは見られなかった。彼らはいわゆる有名大学出身者の学校秀才の集団である。だが内向きの閉鎖社会にいるとその能力は外に向けて発せられることはない。例えば、ヤスオが若いときに勤務したコンピュータA社では、常に新しい製品を開発しなければ市場から取り残されるし、その商品は顧客に評価されるものでなければならない。だからA社の社員は外(顧客)を向き、未来を志向し、革新性を追っていた。しかし、銀行業界とは長年大蔵省や財務省の統制下にあって、監督官庁の顔色を伺うことが戦略であり、独自性を発揮するという価値観はない。ルール通りに動く中で、学閥とか人間関係のパワーバランスでヒエラルキーが生まれ、縦社会が形成される。そのような企業では、社員は顧客を見ることはなく、社内の上をみて仕事をする。F社も銀行文化が根強く、社員の仕事は上の要求へ応えることであった。答えをみつける能力と正解のない問題に取組む能力は全く別物であるが、学校秀才のF社の社員たちは、もっぱら上が満足する報告書作成に神経を注ぎ、そのための会議に時間を費やしていた。

時代は進み、金融会ではIT企業が決済業務に参入し、電子マネーや◯◯payというシステムが一気に市場に拡がる。内向きの銀行員には市場を見る目も未来を想像する力もなく、存在感が急速に薄れつつある。新しい革新はTシャツ、短パンのアメリカ西海岸から生まれる。スーツを着込んだ古い常識に囚われた銀行員は対抗できない、そこに銀行は危機感を抱き、服装の自由化を推め、外部から積極的に新しい血を導入しようと社風の改革に取組む方向はみせている。

 F社の社風を硬直的にしているものは銀行からの天下り幹部たちである。彼らは古い銀行の価値観、縦社会の権化であった。事務センターの移転案件に際し、社員たちは真っ赤な目で徹夜で資料を準備して社長レビューに臨んだ。移転作業は多くの作業項目が発生し、周到な準備が必要であり、レビュー資料は分厚いものになった。しかし、出席した社長は、数ページに目を通すと、社員の説明を遮って、一方的にダメ出しをした。第三者であるヤスオからすればどうでもよい些細なことで社長は声を荒らげて社員たちを叱責した。銀行出身の幹部の頭のなかはひたすらに部下を叩き潰すことが仕事であるようだった。ドラマ半沢直樹では上層部からの理不尽な圧力が社員を襲うが、あながち演出ではなく銀行文化の一幕のように思われる。トップの価値観が変わらない限り、スーツを脱いだところで銀行文化は変わらないし、未来志向の優秀な人材は転出していくだろうのだろう。


 F社の社長は、「クレジットカードの事務処理を全てペーパーレスにしろ、紙を使うなんで時代錯誤だ」と断じシステム化を推めた。もちろん方向性は正しいし、そこに向けてシステム投資することも経営判断として的確だ。しかし、高圧的に社員に厳命する社長の姿勢は、現場に大きな混乱を負担を強いることになった。項目が細かいクレジットカードの書類は、会員が完璧な記載をすることはなく、項目間の矛盾や記入間違い、漏れが必ずあり、それを人手で修正したり補足してから入力を行う。しかし、F社が進めるペーパーレス運用ではその手順がカバーされず、現場の負担は大きくなった。そもそもシステム自体が不完全で開発スケジュールは遅延した。本番前のテストでも問題が多数発覚したが、F社の企画部門はシステムを改善することなく、スケジュール通りに強引に本番稼働させた。シンプルな業務はシステム化しやすい。しかし例外事項の多い複雑な業務はシステム化しにくい。クレジットカードの業務は例外が多く、それらを全て拾って手順書を作成すると電話帳のよいうな膨大なマニュアルになってしまい、使い物にならない。例外や細かい運用は作業者の頭の中に経験で補われ処理されていた。しかし、マニュアルに記載されていない頭の中は当然プログラミングできない。そのため、多額の費用を投じて構築されたペーパーレスの事務システムは使いもににならなかったのである。 真っ直ぐな太い道を通って荷物を運搬するならば大型トラックが効率的だ。しかし細い入り組んだ裏路地で荷物を配送するならば自転車の方がはやい。それにもかかわらず、高い投資をして大型トラックのようなシステムを開発してしまった企画部門としては、自転車の方がはやいとは社長には報告できない。社長に一切意見を言えない企画部門は、細い路地に大型トラックで入ることを現場に無理強いした。結果として発生したことは、ミスと事故、そして大型トラックから自転車への積替えの時間ロスであった。事故が起きていることも生産性が落ちたことも社長には報告されなかった。社長に対してYESしか発言を許されないF社企画部門の社員は、スケジュール通り進捗している、生産性も想定通り向上している、と偽りの報告書を作成する。そうすると、次のフェーズへのGOサインが出され、さらに高いハードルが現場に課せられる。現場としては発生した事故への手作業での修復、そして生産性が低下した分を残業でカバーするという余計な業務負担が増した。世の中は「働き方改革」の掛け声のもと、残業も管理されてきたので、サービス残業が増えることにもつながった。表向きはシステムが成功し、品質と生産性が向上したことになっているので、企画部門は社内表彰の対象となる。現場、彼らの1/4の賃金で働く派遣社員は負担増に苦しむという構図となった。赤いものを青と報告書に書いて保身するエリート社員の人間性にヤスオをすっかり幻滅した。同じ頃◯◯電機、□□自動車、△△製鋼・・・という日本を代表する名門企業での経理不正、不正検査、品質偽装等の不祥事が次々に明らかになった。現場を無視したトップの厳命に対してNOといえない中間管理職がやむなく偽装を強いられたのであろう。偽装を拒否して誠実に仕事をするものは目標未達成で冷や飯を食わされる。良心を捨てて見栄えを取り繕ったものが出世していく。華やかなテレビCMの有名企業の内幕での嘘に嘘を塗り重ねた世界にヤスオは心から憤り、幻滅し、ただ冷めた目でみるだけであった。



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